ハセキ スルタン キュリエスィ(複合施設) ヒュッレム妃はほんとは人助けが大好き?

オスマン帝国外伝シーズン3でヒュッレムがモスクを建てさせることになったのですが、それを作ったのはミーマルシナンです。

モスクの形そのものは気にいったのですが、場所を当時アヴラト市場と言うかなりにぎわっていた場所に変えてほしいとドラマではヒュッレム妃が言っていました。

場所はイスタンブルのヨーロッパ側のファーティフ地区にあります.
モスクは割合小さいのですが複合施設として一部としてみると、その役割はしっかり果たしていると言えます。モスクの向かい側にはスブヤンメクテブ(中等学校)やメドレセさらに病院とイマーレが建設され、複合施設としては充実しているとてもまとまった感じのする複合施設です。

ただハマムやが少しこの場所から離れています、複合施設として作られました。
初めてのモスクは1539年につくられました。ドラマでも模型がみられたと思いますが、ドームが一つの4角形のこじんまりしたモスクです。
5つの小さなドームのあるソン ジェマート イェリ と言う前がオープンになっている場があります。

最初に手掛けたのはミーマルシナンです。
現在はドームが2つになっています。それは1612年にアフメト1世が新たに付けくわえました。

ミンベル(説教台)は木製で幾何学模様で装飾されています。
メドレセは昔風で中央には中庭があります。
イマーレにも長方形の中庭がありその両側に部屋が作られました。
病院は八角形の中庭があり、南側には正方形で2つのドームのあるホールも用意されていました。

それから
ハセキスルタン複合施設がみられる貴重な映像がありますので紹介いたしますね。
レポーターの語った内容はだいたい以下のようです。

このヒュッレム妃による複合施設がミーマルシナンにとってはイスタンブルでの初めての複合施設の建設でした。初めは1つの場所でしたが1550年代にはいると真ん中に通りができて二つに別れました。この通りの名ハセキスルタン通りと言います。

ハセキスルタン通りの向かいにある学校や病院や食堂では、生徒たちは、病気の人々や、旅人そして貧しい人々にすべて無料で教育や医療や食べ物が提供されました。

ここに来ればイマーレでいつでも料理が準備されており無料で食べることができましたが、ここまで来れない場合には家まで食べ物を運んでくれていました。

特に病院としての役割はとても重要でした。

病気の方は無料で治療してもらえるだけでなく、付き添いの人も3日間無料で寝泊まりができ食事も出されました。

遠方から来られる旅人が初めに到達するのがイェディクレです。この複合施設はちょうどその帝都への入り口に近い場所にありました。

十分な準備をして旅人をもてなすためにいつも待っていたのです。

わあなんとも素晴らしい施設だったんですね。ヒュッレム妃は亡くなる直前に多くの人々が宮殿に押し寄せて彼女を讃え、民衆一人一人が感謝するシーンがあります(オスマン帝国外伝シーズン4)それまでヒュッレム妃の違う場面ばかりを見ていたので、その場面をドラマで見たときは、あんまりぴんと来なかったのです。

でも↓の映像を見て、いやあ本当に彼女はすごく人々を助けることもしていたんだなあとヒュッレム妃の本当の姿を垣間見た気がしました。

と言うかドラマでのヒュッレム妃は悪役すぎるかなあ?と感じました。本当はもっと信仰のあつい、人助けの好きな、みんなから愛される存在だったのかもしれませんね。





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