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トルコ歴史ドラマ オスマン帝国外伝とインド歴史ドラマポロスの相違点

戦いは防衛のみに徹したのがパウラヴァで 拡大し続けようとする考え方をもって発展したのがオスマン帝国だ。 また 母親に対する態度は絶対的敬意とでもいうような確固たる信念があるのがポロスの時代には描かれている。 さらに母国に対する忠誠は何よりも優先されるという考え方も強くある。 これに比べてオスマン帝国外伝で描かれている母親に対する態度は時と場所によって変わる感じだ。さらに愛国心も 人々の都合で変化している気がする。 ポロスでは善悪がかなり明確になっていて、一人の人物像が最初から最後までぶれることはない。 もし裏切るにしてもそれなりの理由が存在するので、わかりやすい。 それにくらべてトルコドラマの場合一貫性がないように感じる。善人と悪人が明確でないのだ。 善人と悪人が明確でない。 時代や立場によって同じ人が違った振る舞いや正反対の考え方をするばあいがあり、とらえどころがない ので、悪だか善だかがはっきりしないこともある。それに対し、インドドラマポロスの場合、 悪人は悪人のそして国賊は国賊というはっきりした概念ががある。 そしてルールに従わなかったものは、たとえ王でも王子でも悪いとされる。 ところがオスマン帝国外伝ではトップの意見がすべてみたいなところがあって、 そのルールが臨機応変に変わる。 そこに人間臭さを感じるのだが、インドドラマポロスを見た後はなぜかすっきりした気分になる。 例えばアヌスヤのように、一貫して自分の思想を貫く人物がいるが、オスマン帝国外伝の女性たちはほぼ、 子供の将来のためにということで悪いことにも手を染める。 ここが大きな違いだと思う。 現実的なのはオスマン帝国外伝の登場人物たちだが、 理想的な人物像を描き切った感があるのがポロスだと思う。 8月に始まる「新オスマン帝国外伝影の女帝キョセム」に至っては、 外国とのやり取りの描写も少なく、戦いの様子も激変する。宮廷内でのいざこざ帝国内の反乱 の話題が多い。 宮殿に住む妃たちの目標もみな同じように似たり寄ったりだ。 ところがインドドラマポロスに出てくる女性たちはみな素敵だ。 アヌスヤやラチの人物像は言うまでもないが、アレクサンドロスの母やアンビ王子の母 そしてロクサネやバルシネも魅力的な人物像だ。 女性が弱く愚かで勇敢ではないなどと言ったらばとが当たりそうなくらい どの登場人物も強く勇敢で、強い意志を持

インドドラマ「ポロス」とトルコドラマ「オスマン帝国外伝」、「創始者オスマン」の共通点ってある?

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皆さんはマケドニア―のアレクサンダー大王や十字軍遠征というキーワードをきいたことがありますか? 日本で教わる世界史では必ず出てくる話題だと思います。私たちは知らず知らずにヨーロッパ側の視点からの歴史的事実?を身に着けています。 そしてなんとなくアレクサンダー大王は偉大だとか、十字軍遠征の勇者たちとかいうイメージを持つようになります。 彼らは英雄だったみたいな感じが頭のどこかに残っていきます。 ネットが発達して最近でこそ、世界各地の現地から情報を得るのが簡単になり、彼ら側の視点で捉えられた情報にも接することができるようになりました。   例えばマケドニアの大王が遠征した国の一つにインドがありました。 インド側は征服される側ですし、アレクサンダー大王からみると敵国になるわけで、敵国の大将は悪者?みたいな感じにとらえられやすいですが、侵略される側からみれば、外敵から国を守る「国家的の英雄」でもあるのです。 例えば「ポロス」さんですが、彼について知ることができる史実はギリシャの文献によります。どちらかというと伝説の人で、実在した方ですがあまり多く彼についての資料が残っていないようです。これは「創始者オスマン」のオスマンとも共通しているところです。たまたまアレクサンダーが遠征して戦った戦いに参加していたということで記述されたわけです。それらからポロスさんは敵国のトップだったアレクサンダー大王からもポロスは勇者と認められたことがわかっていますが、ポロスさんのように内外共に勇者と認められた方は数少ないでしょう。 十字軍に関していえば、私が教わったころの記憶では、 十字軍を破るとよくない? 十字軍が勝つとよくやった! みたいな印象が残る文脈で構成されている文書が多く出回っていました。ですので、 「十字軍に勝ってほしい、なぜセルジューク朝はエルサレムに行くのを邪魔するの!」 みたいな感じを持ったものです。 ですが、相手国の人々は十字軍が侵入したのを防いだ者たちを英雄として讃えていますよね。 それはちょっと考えれば当たり前のことなのですが、ヨーロッパ視点で描いた歴史書を学ぶ機会を持った人々はなかなかそんなふうに考えられないです。(私もその一人ですが・・・) そういう意味でこの「ポロス」や「オスマン帝国外伝」や「創始者オスマン」というドラマは

ジェンギズとドラマのヌールバーヌーのキャラの意外な共通点 支配したがるパーソナリティー障害

ジェンギズの一生を改めて見ていくうちに、私はオスマン帝国外伝の登場人物ヌールバーヌーを思い出しました。 ジェンギズとヌールバーヌー。一見何のつながりもない二人のように見えるのですが、実は二人には共通点があります。(史実のヌールバーヌー妃の性格ではありません。ここでお話するのはドラマの登場人物としてえがかれている彼女のキャラクターについてです。) 先日よんだ他人を支配したがる人たち」という本の中に「パーソナリティー障害」について触れられていました。二人の特徴はこの障害の特徴に似ています。 自己中心的、所有的思考、すべてか無かの思考、過度にうぬぼれた思考、羞恥心の欠如、安直な思考、罪の意識を感じない、などが主な特徴です。 ジェンギズにはこのどれもが当てはまります。 ヌールバーヌーには「安直な思考」は当てはまらないかもしれませんが、「所有的思考」(他者を自分が所有物と考え思い通りに扱える所有物と考えること)には、多々例を見出せます。もっとも印象的だったのは忠実なカザンフェルを犬呼ばわりしたシーンです。 シューレはジェンギズやヌールバーヌーとはちょっと違う感じがします。オスマン帝国外伝では、人々は自分が生き残るために「人をいかに支配するか」という課題に始終頭を悩ましていましたね。 でも多くの人は支配したいからしようとしたのではなく、やもをえずその方法をとるといった流れでした。 ヒュッレム妃をみてみましょう、彼女は多くの罠を仕掛け、最終的にはムスタファを死に追いやることになったのですが、ヒュッレムが望んでしたことではないようです。なぜならヒュッレムはかつて「ムスタファが自分の子だったらよかったのに」と語ったことがあるのです。宿敵イブラヒムにも、なにかしらの恩を感じていたようです。 それに比べてヌールバーヌーは、セリムと子供のためと言いながらも、本当はすべて自分のために行動しているようにみえました。 ヒュッレムは心からスレイマンを愛していましたが、ヌールバーヌーはセリムを純粋に愛していたとは思えません。いつもどこか利用していたように感じました。 それはスレイマンとセリムの性質が違うことにも関係していると思います。「パーソナリティー障害」の方は、人を無条件で支配したがります。セリムはスレイマンほど確固とした信念に基づいて行動しませんでしたので、

トルコドラマ・オスマン帝国外伝の登場人物バヤジト皇子は なぜ亡くなったの? 前半

音声はこちらから バヤジト皇子は悲惨な最期を遂げましたが、まずは彼の生い立ちから観てみましょう。 スレイマン大帝の息子バヤジトは1526年イスタンブールで生まれました。 1539年11月11日に弟ジハンギルと一緒に13歳ごろ割礼をしました。ドラマでは兄のセリム皇子は彼をからかいました。その時バヤジト皇子はとてもおこりましたが、ジハンギル皇子や兄のムスタファ皇子とは仲のよかったバヤジトは、セリム皇子とは小さいうちからよくケンカをしていました。 1541年ハンガリーの遠征に参加しました。初陣ですね。 そして1548年コンヤへ派遣されました。 1548年にイラン遠征へ向かった父スレイマン大帝とアナトリア中央部のアクシェヒルによばれました。アクシェヒルはトルコの一休さんといわれるナスレッティンホジャの故郷として有名です。 1553年ナヒチェヴァン遠征の時には、帝都を守る役目である taht muhafazası に任命され、エディルネヘと向かいました。東のアゼルバイジャンのナヒチェヴァンと反対方向の西へむかったんですね。 ところがこの遠征でムスタファ皇子が絞殺されてしまい、ジハンギル皇子も病気で亡くなります。二人兄弟をいっぺんに失ったバヤジト皇子は大変悲しみました。 その後エディルネでは偽ムスタファ事件が勃発しました。ムスタファ皇子が生きているというのです。スレイマン大帝の命を受けたバヤジト皇子はその征伐に向かいました。でもムスタファ兄を大好きだったバヤジト皇子は偽ムスタファの周りに集まったムスタファ兄を慕う者たちをどうにかして助けようと思いました。そのため征伐が遅れてしまったのです。ドラマではセリム皇子の策略でバヤジト皇子が 偽ムスタファと手を組んでいるという噂が立つようになり、それはスレイマン大帝の耳にまで届きました。が、実際にはセリム皇子が噂を流したかどうかは定かではありません。スレイマン大帝は息子バヤジトをこの時は信じ、彼をキュタフヤへいかせたのです。このころにはバヤジト皇子は自分を皇位継承者と思うようになり、以後兄セリム皇子との戦いが激化しました。 これはバヤジト対セリムと言う個人的な争いではなく国の行政、社会、経済状況が生み出した争いでもあったのです。 ムスタファ皇子殺害後にスレイマン大帝への統治に反感を抱く者たち

ナーゼニン(ヴァレリア) オスマン帝国外伝登場人物

ナーゼニン(ヴァレリア)はベネチアではヌールバーヌーの召使をしていた。ある時突然ヌールバーヌーの家が襲われ二人はさらわれた。そしてイスタンブルへ奴隷として売られた。シーズン4ではヌールバーヌーがマニサに行くまでイスタンブルで一緒に過ごしていたが、ベネチアではお嬢様だったヌールバーヌーはイスタンブルに来てからも、かって召使だった彼女を何かにつけ見下した。 ヌールバーヌーがヒュッレムの命令でセリムの側室となりマニサに去った後、ナーゼニンもヒュッレムによって、スレイマンの側室に選ばれた。 ヒュッレムが側室を選ぶはずがないと思われるかもしれないが、ヒュッレムも年には勝てなかった。苦渋の決断をせまられた。 そこで1回のみという条件でスレイマンのおそばにナーゼニンを行かせた。ところがファトマ皇女がこれを利用し何度もスレイマンに会わせることに成功したのだ。ヒュッレムは何とかして娘を産ませないように試みたが失敗に終わり、スレイマンの娘が誕生した。こうしてナーゼニンは皇帝妃となったのだった。 ヒュッレムの秘密の部屋事件もあり、スレイマンとヒュッレムの仲が冷え切っていたころのことだった。それでセリムの息子が生まれたとき、その祝いにスレイマンはヒュッレムではなくナーゼニンを連れて行った。 そこでナーゼニンはヌールバーヌーと 久しぶりに再会した。ナーゼニンは今までさげすんできたヌールバーヌーにここぞとばかりに仕返しをした。自分が皇帝妃でヌールバーヌーが皇子妃であることを知らしめ、スールバーヌーを卑しめた。ヌールバーヌーはかなり我慢していたが、ヒュッレムからナーゼニンの命を奪えという密命もあって、事故を装いナーゼニンをバルコニーから落ちるようにしむけた。 そしてナーゼニンは階下に落ち、あっけなく亡くなった。彼女は短い間ではあったけれど皇帝妃までになった。だがそれでおごったためにヌールバーヌーを過度に刺激してしまった。もしマニサでひどいことをヌールバーヌーに言わなかったら、ヌールバーヌーも密命を果たすことを思いとどまったかもしれない。 口は災いの元、沈黙は金なり。おしゃべりだからつい余計なことを私も言ってしまうのできをつけなくては・・・さもなければ死が・・・なんちゃて・・・

史実 【ミフリマーフ スルタン】 オスマン帝国外伝登場人物

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1522年イスタンブルで生まれた。 父はスレイマン1世。母はヒュッレム妃。 ミフリマーフは文献ではMihrimahとよく使われるがオスマン帝国の資料には “Mihr ü Mah ”と書かれる。 スレイマン1世には娘が1人しかいなかったためとくに父親にかわいがられ、母親と共にに育った。 ディヤルバクルの長リュステムパシャと結婚することになったが、彼にハンセン病と言う噂がでまわりスレイマン大帝が調べさせるためにディヤルバクルに医者を送ったといわれている。しかしこの伝承は正しくなく、後に政治的な争いの結果書かれた可能性があるともいわれている。 1539年11月ミフリマーフとリュステムの結婚と同時にバヤズィトとジハンギルの割礼式も行われた。 結婚後夫の昇進に尽力し、母ヒュッレムと共に権力を握った。夫リュステムが 大宰相に就任するとますます権力は増大した。 ムスタファの代わりにバヤズィトを支持し、彼を皇位につけようとした。 1553年ムスタファが処刑と同時に、夫リュステムは大宰相の任を解かれた。この時夫が死刑にならないようにヒュッレム母に強くお願いした。ヒュッレムも手紙をスレイマン大帝にかけ婿の許しをこうた。 その後ミフリマーフは母と共に尽力し、カラアフメトパシャの処刑後、再びリュステムを大宰相の座につかせることに成功した。  ヒュッレム妃がなくなるまでバヤズィトを次期皇帝にと懸命に働いた。 ヒュッレム妃の死後彼女のサライでの影響はますます増大した。スレイマン大帝は何でも彼女に相談するようになっていった。 その後もバヤズィトのために働いたが、 バヤズィトが無関心だったため セリム側についた。 リュステムパシャが1561年亡くなったがその後結婚はしていない。 子供は アイシェ ヒューマシャー とオスマンの二人いた。 スレイマン大帝がなくなった後のセリム2世の時代に、ミフリマーフは 宮廷でもハレムでも最も影響力のある女性の一人 として活躍した。 エスキサライで生活していたが、高い給付を獲得していた。  その当時イスタンブルに滞在していたドイツ人旅行家ステファンガーラックStephan Gerlachによると1578年1月25日に亡くなった。お墓はミーマルシナンが造ったスレイマニイェジャーミの父の墓の隣にある。 文献によるとミフリマーフは良い教育を受け上手に話し上手に描くこともでき

史実 ミフリマーフの娘 アイシェ・ヒューマシャーAyşe Hümaşah Sultan  オスマン帝国外伝登場人物

 1541イスタンブルで生まれた。母は ミフリマーフ 、父はリュステム。スレイマン1世とヒュレム妃の初孫。  小さい頃はミフリマーフとリュステムのそばで育った彼女は母親や祖母と同様オスマン帝国の政治にも強い影響力を示した。 後に宰相になったセミズ アフメト パシャと結婚。  子供はアフメトとパシャとの間に アブドゥルラフマーン ベイ、メフメトベイ、 シェシヒード ムスタファパシャ、 オスマンベイの4人の子供を授かった。 1589年アフメトパシャがなくなり、そのあと1592年にシャンジュ フェリドュン ベイと結婚したが、結婚一年後彼は亡くなった。 1594年息子と共に巡礼にいったアイシェヒューマシャースルタンは、戻ってすぐにウスキュダルの家で亡くなった。 一説ではハサンベイと結婚しもう一人娘を授かった言われている。 また一説では1590年に アズィーズ マフムト ヒュダーイ エフェンディ と結婚したともいわれている。彼女の名にちなんだアイシェヒューマシャーモスク 1594に建てられた。他に彼女の名のテッケが2つ、テッケの前には水のみ場もあった。

ガブリエラ役を熱演しているアイシェ・オズデミル Ayşe Özdemiさんのインタビュー(2013年)

オスマン帝国外伝シーズン3ジェノヴァの商人ガブリエラを演じているのはアイシェ・オズデミル 2013年6月に行われたオズデミルさんのインタビューを抜粋します。当時トルコはメルイェムさんが降板したというニュースで話題になっていた時でもあります。そのことについても少し語ってくれています。   外国語での撮影というのは本当に大変なことなのですが、メルイェムさんはドラマを始めたときにトルコ語ががほとんどわからなかったそうです。アイシェさんは少しはトルコ語が分かっていたらしいですが、知らない言語での大変さは想像できません。   それではガブリエラさんを演じているアイシェオズデミルさんのインタビューどうぞ ご自分について何かお話しくださいますか? 「祖先はアフィヨンから来たがベルギーで生まれ、育ちました。 トルコへ来る前に経済学を勉強していました。当時は21さいでした。 トルコから女優にならないかと誘いがあり、すべてを棄ててトルコに来ました。 どのようにオファーを受けましたか? 2012年ジャンスデレさんが熱演したフィルーゼの役をと思ってトルコに来ました。当時は私を気にいってくれました。 (そのころのドラマでは)マニササライがあんまりにも静かだということで、少し変化を持たせたいと望んでいました。 (そういえばヘレナが去った後あんまりおもしろいお話がなかったですよね) 外国人のキャラクターが必要で、外国人らしく話す必要がありました。 そのため私がふさわしいと思ったようです。 授業中電話がなりました 。 「アイシェ、このような役があるのだが、出たいですか?」と聞かれ私もすぐにOKしました。 ドラマでプロ的な演技でしたね。演劇の教育を受けたことがないそうですが、そうですか? はい ありません。ベルギーで経済学を学んでいました。 カメラやこの業界についての経験やトレーニングはありませんでした。 オスマン帝国外伝が初の演技でした。 彼らの前に立った時私が望んでいた職業はこれだと気が付きました。 それでは、今は演劇指導を受けていますか? グラフトアトリエで演劇指導を受けています。 ドラマでの演技は難しかったですか? 実はそのドラマの役では普通よりもより外国人のように(外国なまりがあるように)話しました。それが必要だったのです。私のトルコ語はそれほど悪くはありません。 今はもっと上手ですよ(ニ

登場人物 マルコチョール② シーズン3編 

マルコチョールがまたイスタンブルにやってきた。ヨーロッ情勢を伝えるためだ。だがその途中マルコチョールは何者かに襲われる。 マルコチョールはだれが自分を襲ったかをスレイマンに聞かれると、たぶんローマ法王だと答える。犯人はマルコチョールが推察した通り、ローマ法王の手のものだった。 マルコチョールにとっては久しぶりのイスタンブル。会いたい人と言えばあの人しかいない。 そうだマトラークチュだ。 マルコチョールは酒場を訪れる。 そこでマトラークチュがふさぎ込んでいたからだ。マルコチョールをみると、久しぶりにマトラークチュは笑顔になった。 二人の友情は健在だ! マルコチョールはアイビゲと別れ、故郷に帰った後は、べネチアとの戦いで奮闘していたようだ。 マルコチョールはベネチアが送った刺客についてのニュースも持ってきた。そのためしばらくはマルコチョールは常に護衛としてスレイマンを守っていた。 とうとう市場でスレイマンは襲われるが、そこをマルコチョールが見事守り、それ以後スレイマンはマルコチョールにイスタンブルに残るように命じた。 このころイブラヒムがなくなって、イスタンブルでは自分の利益とは無関係に皇帝を守ろうとする人物はいなくなっていたのだ。 だがマルコチョールにはいつも女難の影が付きまとう。 今回は成長したミフリマーフだった。 久しぶりに再会したミフリマーフは、少し前まであれほど慕っていたヤフヤーのことは 「女心と秋の空」で、すっかり忘れてしまったようだ。 なにせめの前にマルコチョールが現れたのだから無理もない。 その後、スレイマンがヨーロッパ遠征へ向かう時にもちろんマルコチョールもお供した。 その分かれの際ミフリマーフはお守りをマルコチョールに渡した。 だがそれを見ていたものがいた。リュステムだった。 戦場でマトラークチュとリュステムが言い合いになる。 イブラヒムのことを好きだったマトラークチュが彼の悪口を言われ激怒したのだ。 それをマルコチョールは止めにはいった。 マルコチョールもイブラヒムのことが好きだったのだ。 その戦争中メフメトが奇襲され怪我するが、その時もマルコチョールが彼のそばにおり彼を助けた。 マルコチョールは本当に強い。 遠征から戻った後、ミフリマーフを使ってハティジェがヒュッレムを始末しようとしていた。 その時にマルコチョ

Malkoçoğlu(マルコチョール)  と言うトルコ名の起源は? トルコ語入門

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マルコチョールのトルコ語は Malkoçoğlu  です。 オスマン帝国外伝に出演している登場人物・マルコチョールと言う名で親しまれていますね。 よくみると 本当はこれは二つの言葉からできています。 malkoç と oğlu  です。 malkoç ne demek? ( マルコチュ は何という意味ですか) オスマン帝国時代の軽騎兵の長Osmanlı İmparatorluğu devrinde akıncıların başı. オスマン軽騎兵の宿舎の長Osmanlılarda akıncılar ocağının komutanı. 城を守る者Kale muhafızı, koruyucu. 軽騎兵の長Akıncı ocağı reisi. oğlu (oğul) は 子供 特に  息子 と言う意味です。 oğlu息子 と言う言葉が初めて記されていたのはオルフン碑石(735年)です。これは突厥文字で書かれています。 これ以前にも日常の会話やで使われていたと考えられます。 古代トルコ語ではoğulは複数形で使われていましたがö次第に単数として使われるようになりました。 マルコチュの息子って感じになります。 でもこの息子を複数形に して oğulları,をつけると、 マルコチュ一族 Malkoçoğulları, というようないみにもなります。 マルコチュ一族の詳細はこちらから オルフン碑石の中に出てくる息子(oğlu)の単語はこんな形してます。 𐰆𐰍𐰞𐰃   これは突厥文字と言います。突厥文字は面白くて 音節の切り方 がおもしろいですよ。今度紹介したいと思います。 𐰋𐰏𐰠𐰚 𐰆𐰺𐰃 𐰆𐰍𐰞𐰃𐰤 𐰴𐰆𐰞 𐰉𐰆𐰡𐰃 𐰾𐰃𐰠𐰚 𐰶𐰃𐰕 𐰆𐰍𐰞𐰤 𐰚𐰇𐰭 𐰉𐰆𐰡𐰃 [beylik oğlunu kul kıldık, hanımlık kızını cariye kıldık] ] beglik ogluŋun kul kıldıg, işilik kız ogluŋun küŋ kıldıg

 オスマン帝国外伝 キャスト 【イブラヒム パシャ特集】

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いよいよイブラヒムパシャがあの世に旅立ってしまいます。そこで今回イブラヒムパシャが出演している記事を集めてみました。 ハティジェやニギャールとの恋が多かったです。イブラヒムパシャはほとんどの遠征に参加していましたので、遠征での活躍もありました。ヒュッレム妃との争いも目が離せませんでしたね。 印象に残ったのはニギャールやハティジェ皇女との最後の別れのシーンと最後にスレイマン皇帝の前で披露したヴァイオリンの音色でした。 皆さんにはどのような思い出がありますか?  イブラヒムとの別れと最後とお墓 ニギャールとの別れのシーンハイライト ハティジェとイブラヒムの最期の別れのシーン イブラヒムが最後に引いたヴァイオリン イブラヒムの最期 イブラヒムの最期 (日本語音声はこちら) イブラヒムパシャに死をめぐって(語る会) もしイブラヒムパシャが生きていたら(語る会 ) なぜイブラヒムパシャは葬られたか? イブラヒム 死後 イブラヒムパシャの墓は謎が多い イブラヒムのお墓はイスタンブルにある?(語る会) エスマヌルを探しに来たニギャールはイブラヒムのは墓へ イブラヒムの訃報にハティジェはヒュッレムを・・ ハティジェはイブラヒムの死を悼み自殺を・・ ムスタファはイブラヒムの死を悼みながらも ヒュッレムもイブラヒムパシャの墓を訪れた シーズン1 マ トラークチュとイブラヒムの出会い ハティジェとイブラヒムの初々しい恋 イブラヒムが遊んでいたゲームは何?(語る会) イブラヒムとハティジェの純愛 瀕死のイブラヒム(ロドス島で) イブラヒムのラヴレターを見たスレイマンは ハティジェへの手紙についてお許しをと言うイブラヒム(予告編) 恋に悩みパルガに戻るイブラヒム 母后にイブラヒムのことをし知られたハティジェ 愛 は身分を超える? ハティジェとイブラヒムの恋(語る会) イブラヒムとレオ エジプトからの手紙 イブラヒムがエジプトへ ハティジェとの別れ レオの正体がイブラヒムにばれる シーズン2 死にそうなわが子をただ見ているだけのイブラヒム イブラヒムのノートが危ない イブラヒムが消えた ニギャールの恋は破局 母后の倒れた理由はニギャールとイブラヒムのこと? ニギャールを訪れるが彼女はいなかった ニギャールをニコの元へ送るつもりのイブラヒム 影の敵エフェンディハズレトレリ シーズン3 ハティジ

オスマン帝国外伝 キャスト・登場人物【リュステム】

リュステムはデヴシルメで都にやってきたらしいのですが、本人は10才の時自ら志願したイブラヒムパシャに語っていました。 他の映像では母親の死の後連れていかれたように想像できます。 ともかく彼は小さいうちにイスタンブルに来てそれから訓練を受け、厩につとめたようです。

オスマン帝国外伝で印象に残った登場人物キャスト(男性) レオ マトラークチュ スンビュル

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オスマン帝国外伝のドラマでは多くの登場人物が現れては消えていきました。 主だった人々はどのように最期を迎えたかは描かれていますが、理由もなく、何となくいなくなってしまった人もいます。 そういう人々も含めて今日は、最も印象に残った3人を選んでみようと思います。でもこの質問はかなり難問で、答えを出すのにとても時間がかかりました。 一度選んでも1週間後にまた考えるとかなり違った方が思い浮かぶのです。  時間が過ぎると、答えが変わってしまう種類に質問だと気づきました。 何故なんだろう?とかんがてみましたところ、 おそらく自分が生きている状況の変化に応じて、答えが変化しているのだと思います。 と言うことで前置きが長くなってしまいましたが、現在はこのようになりました。皆さんの予想とはだいぶ違ってしまって、がっかりさせてしまうかもしれませんが、ご容赦ください。 男性 レオ マトラークチュ スンビュル 女性 ニギャール エスマ ギュルフェム妃 です。 レオ はご存知の通り、タタールの襲撃後、行方不明になった婚約者のアレキサンドラを探し世界を旅します。やっと会えたその想い人はすでに結婚し、子供もいました。 彼にとっては手の届かない人となりますが、思いをすぐに断ち切れるなんてだれにもできませんよね。レオもそうでした。しばらくイスタンブルに留まってしまったのです。 それでも相手の幸せを願い去ろうとしましたが、 いろいろあって、最終的には自分の存在自体が想い人の幸せな生活を脅かすという立場に追い込められました。 そして想い人が毒入りのスイートを自分に渡そうかどうか迷っていたとき、即座に決断し自らそのスイートを口に入れました。 これがレオの愛の貫き方でした、 悲しすぎるこの結末、でも レオはもしかしたらある意味で幸せだったのではないのかなあとも感じました。 勿論、この行動が、残された彼の想い人の幸せにつながったかどうかは見方によると思いますが、レオは最悪の状況の中で自ら選択したところが、印象的でした。 現実の世の中ではめったにであうことのない愛のカタチ、 相手のために死ぬことを選んだレオの選択が印象深かったです。 マトラークチュ さんは、スレイマン皇帝がなくなる前に何らかの理由で亡くなっていましたが、スレイマンに命を奪われたわけではありません。 彼は歴史上存在した人物で、彼の作品が今でも残さ

皆はドラマからどうやって消えたか?(オスマン帝国外伝)

トルコでは、死を毎日思い起こす人々がいます。自分が死んだあと棺桶に入れられて墓まで運ばれ、そしてそこで天使たちに質問されることを想起するのです。 (そうすることで今の自分の生き方を見定めるらしい) ところで、オスマン帝国外伝のキャスト(登場人物)はどんな最期を遂げたのでしょうか?(注:ドラマでの最期、史実かどうかわかりません)①②③④は登場したシーズンを表します。 皇室《シーズン1》 スレイマン皇帝 ①②③④ ハンガリーへの遠征中スィゲトヴァールで最期を迎える。 母后①②   史実 倒れて話せなくなった母后にヒュッレムの激烈な言葉をきっかけに息を引き取った。 ヒュッレム①②③④ 病気でイスタンブルで、みんなと最後にみんなとたのしく庭で食事をし、その帰り道廊下でたおれ、スレイマンに支えられながら、ベッドまでたどり着き、そこで最期を迎えた。 マヒデブラン①②③④ スレイマンの死後もブルサにとどまり生きた。セリムが援助した。 ギュルフェム妃①②③④ スレイマンを刺そうとして、スレイマンの付き人にさされた死亡。付き人フェルハトはこのため辞職。 ハティジェ皇女①②③ ヒュッレム行方不明の犯人と知られ、毒を飲んでスレイマンの腕の中で息を引き取る。 イブラヒムパシャ①②③ スレイマンにイフタルに呼ばれ、その夜宮殿に泊まるように言われ喜びの絶頂の時に、宮殿内で絞殺され死亡。 フェルハトパシャ①ベイハン皇女の夫 贈賄の罪のためイブラヒムに処刑された。 ミフリマーフ皇女 ①②③④  リュステムの死後、一度宮殿に戻ってきたが、スレイマンの死を知り宮殿から出ていく。 ムスタファ皇子①②③④ コンヤのスレイマンの陣中に呼ばれ、テント内で絞殺された。 メフメト皇子①②③ マヒデブランの部下が毒を体に混ぜ死亡。 バヤジト皇子②③④   史実 サファヴィー朝のタフマースブから解放された、オスマンの地を踏んだと思った瞬間セリムに絞殺されて死亡。 セリム皇子②③④  スレイマンの死後、皇帝につく。ドアまでは最後まで生きた皇子 ジハンギル②③④ 遠征中ムスタファ兄がなくなり、そのショックで死亡。元来病気がちだった。 ベイハン皇女①②③ ハティジェのために宮殿に一度戻るが、宮殿を生きたまま去る。 【宦官・女官】 スンビュルアー①②③④ すべての人が宮殿を去った後ハレムのドアを閉めた。詳細 ニギャール①②③

【ニギャール特集】~ニギャール大好きさん集まれ~ 

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【ニギャールさんの記事】 登場人物 ニギャールの一生 シーズン2 ニギャールの恋は破局に 結婚した日に離縁せよ マトラークチュ&ニギャール ギュルアーの機転で結婚を免れるニギャール ニギャールへの怒り 口ごもるニギャールにダイェが助け舟 を ニギャールとハティジェが対面 ニギャールはニコのもとへ 監禁されるニギャール 森から逃げようとする身重のニギャール 陣痛に苦しむニギャールをハティジェは シーズン3 ニギャールの子は死産?ハイライト 死んだはずのニギャールが再登場 ニギャールを呼び寄せたのは何故? あなたはニギャールを信じますか? ニギャールの見知らぬ訪問者 ニギャールの見知らぬ訪問者(トルコ語会話) ニギャールは娘の生存を知る ニギャールの願いとリュステムの母 ニギャールが離縁を求める ニギャールは意外な行動に エスマヌルとニギャールの捜索  ニギャールの故郷スリナって?(語る会) ニギャールがイブラヒムに危険を知らせるが ニギャールとイブラヒムの別れのシーン エスマヌルを探すのギャールはイブラヒムの墓へ 日本語版 ニギャールはヒュッレムの手下になったの? ニギャールの最期 ニギャール最後の撮影現場について 語る会から イブラヒムを信じなかったニギャールの愛は偽物?(語る会) ニギャールあの世でお幸せに(語る会) ダイェに耳を傾けて(語る会) ダイエの平手うちは愛の鞭?(語る会) ダイェの死はニギャールのせい?(語る会) レオの日記帳の行方(語る会) リュステムの最期と愛娘アイシェの誘拐事件の結末(語る会) 投票 ニギャール2位 シーズン1 ニギャールが赤ちゃんを渡すと 41話、42話 意味ありげにお辞儀をするニギャ-ル 44話、45話 ニギャールに逃がしてと頼むヒュッレム 【演じているフィリズアフメットさんの記事一覧はこちらから】 更新日 6月9日

オスマン帝国外伝キャスト・登場人物 【クララ(ヌルバハル)】 

クララは心の優しい女奴隷だった。 メフメト皇子に見染められ 側めとなる。 メフメト皇子も誠実な若者で二人は、ヒュレムの心配をよそに愛をゆっくりはぐくんでいた。 クララは メフメト皇子に自分もあなたが信じている者を信じたいと言い、メフメトに導かれてシャハーダをする。 それから二人の仲はより親密になっていった。

オスマン帝国外伝 登場人物 シーズン4 スンビュルの恋人【ジェヴヘル】 

ジャヴヘルはスンビュルが生まれて初めて恋した相手だ。 スンビュルが市場に用事があって出かけてきたときに偶然出会った。 スンビュルは偶然と思ていたが、じつは 彼女はピーリーレイスの部下のヤヴズにやとわれたスパイだった。 スンビュルに近づき何か重要な情報得ると言うのが彼女の仕事だった。 ところがスンビュルと知り合っていくうちに彼女は悩みはじめた。 スンビュルは宦官だったが、女性を心から愛することのできる人だった。 そして愛する女性にはとてもやさしかったのだ。

オスマン帝国外伝キャスト・登場人物【アイビゲ】 

アイビゲはクリミア国の王女、ドラマでは母后の姪にあたる。シーズン2でクリミアで王位争いが起こり、国内が物騒になったので、心配した母后が彼女にイスタンブルに来るように言う。 船でイスタンブルに向かったアイビゲ! 迎えに行ったのは小姓頭のマルコチョールだった。

オスマン帝国外伝キャスト(登場人物) 【エスメハン】

エスメハン シャースルタンとルトフィパシャの娘。両親がイスタンブルに配属されたので彼女もイスタンブルへやってきた。 最初立場の似ていたミフリマーフと仲が良かった。お互いに思い人がおり。そのことで少女特有の絆みたいなものが二人の間には生まれていた。 エスメハンはミフリマーフの弟メフメト皇子を慕っており、ミヒリマーフは初恋の人だったマルコチョールを思っていた。 エスメハンは悩んでるミフリマーフに手紙を書くように善意からすすめ、二人の仲を応援しようとしていた。 リュステムが書いたと思われる偽の手紙のことも彼女は知っていた。 ある時ハマムで言い争いになったのだが、エスメハンはミフリマーフの一撃で倒れてしまう。頭を打って重傷だった。彼女が気が付いたのは自宅のベッドの上だった。 エスメハンは気が付いた後もミフリマーフによって倒れたことを誰にも話さなかった。周りの人々にはしつこく聞かれたのだが、ミフリマーフを怖がったようだ。 だがエスメハンはこのことで完全にミフリマーフと敵対するようになる。そしてミフリマーフの書いたラブレターをみんなにばらしてしまう。 その手紙を見ている女奴隷たちを見て、一番驚いたのはミフリマーフだっだろう。だがミフリマーフは慌てず(いや雄等慌てていたが、みんなに悟られずに)、エスメハンが書いたと皆の前で先手を打って公表したのだった。エスメハンは墓穴を掘ってしまう。 その後マルコチョールとの縁談の話が持ち上がる。初めはメフメット皇子をあきらめられずに躊躇していたが、後にミフリマーフとのこともあり、承諾してしまう。 ただここで問題はマルコチョールだった。彼は結婚する気持ちがないことをスレイマン皇帝に伝える。そのためこの縁談話はお流れになった。マルコチョールは実際はバヤズィット2世の娘アインシャーの娘と結婚している。 (バヤズィット2世はスレイマン皇帝のおじいちゃんだ。バヤスィットの娘ヒューマはマルコチョールの実の父と結婚したためヒューマは義利の母になり、アインシャーは義理の叔母になる)。 その後ルトフィパシャが大宰相になり権力を振りい始めて、かなり過酷なルールを適用するようになったため民衆の反感を買った。 彼は増長し最後はシャーに暴力をふるうところを見られたために、死刑を言い渡される。そこでエスメハンは母に父の刑を軽くしてもらうように頼む。 母は受け入れ、皇

オスマン帝国外伝登場人物 【メルジャン・アー】

  メルジャンはキラズアーがとトラブゾンへ去った後、シャースルタンと一緒にコンヤからやって来た。 スンビュルと敵対する。スンビュルは年を取ったせいかどうもメルジャンにまけている感じだ。
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