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本 『深夜特急』沢木幸太郎著 第三便 飛光よ、飛光よ 新潮社 極上の旅はすぐそこにあるかも

旅の達人である 沢木氏が1970年代香港からロンドンまで旅した記録。全部で3冊あるがこの本はトルコから南ヨーロッパ パリ ロンドンまでの様子が記されている。 ルポライターだったらしく、彼の感じ方や情景の表現には無条件にひきこまれる。 旅好きには必読の書で、日本人の日本人のための旅行記。 彼自身は旅人 日本人 貧乏旅で、アジアを東から西へ乗り合いバスで進んだことを、今までの旅行記とは違っていると本の中で記しているが、私はそんなことはないと思う。 東から西へでなくても、乗り合いバスでなくても電車でも車でも歩きでも、一緒だと思う。 彼の言うように自分自身を知ることができるのなら、それはどんな状況でもいいはずだ。 それに彼らが旅した場所で異邦人ある限り状況の違いはさほど大きな違いにはならない。 異邦人と現地の人とのつながりは皮相的になりがちで、ほんとうの意味での現地の人々を捉えられないと思う。 現地の彼らからしてみれば日本の旅人を旅行中の異邦人で特別な存在に感じるているはずだから。 (彼らが旅行中でない異邦人でない別の現地の人に対して沢木氏に取った態度と同じ態度を取ることはないだろう) 私も昔 アンカラでバス空港にむかうバスの中から、通勤中の人々が足ばやにあるき行き交っている通りがみえた。 彼らは忙しそうでたいへんそうだと思う反面、自分がその日常にはいないことに何処か幸せを感じた。その時自分はおそらく旅人気分になっていたのだと思うが、今は反対に感じる。幸せなのは通勤中の日常にしっかり足をつけて歩いている人々なのではと思うのだ。 外国 日本人 旅中という特別な状況の中で、感じたり見たり考えたりすることは、初めに旅を体験するのにはもってこいかもしれない。 でもホントの旅は私達が毎日通る道や行く場所や、会う人々や今空を見上げた空や今遠くにあるいは近くに見える風景の中(とくべつでない状況の中)で、する旅だと思うのだ。 一見何気なく見える日常の生活で、外国で旅している以上に新しい何かを感じられたら、それこそがほんとの旅、極上の旅なのではないだろうか。 そしてこの極上の旅は、時間やお金がなくても、だれもがみな見方を変えればできる旅でもある。

本 『春に散る』 沢木幸太郎

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原作では 四天王の呼ばれた世界タイトルに挑戦できそうな4人が喧嘩に巻き込まれ、黒木はその時彼らに殴られることに、 ところが妙なことに4人はその殴った若者をほっとおけず手当てする。 黒木は小さいうちから父親にボクシングを仕込まれ、今まで殴られたことがなく試合にはすべて勝ってきた。 自分を倒した一発が忘れられず、広岡たちを訪ねる。広岡はボクサーを引退後も長くアメリカに住んだ判定負けした後ドンどこまで落ちた時優しいホテルのオーナーに出会い、今はホテル業でそれなりに成功した人物となった。 心臓を患い日本に戻ってきたのだが、一緒に過ごした元ボクサーたちと一緒に住むことになり、そこへ黒木と不動産会社に勤めている数奇な過去を持つ佳菜子と住むことになった。 激しいトレーニングの結果令子の力を借りて、黒木は移籍し試合もできることになった。 復帰の一戦目は山越 2戦目は同じジムの大塚と戦った。 2戦目以後失明の恐れがある目の病気が発覚。 それでも、 3戦目チェチェン人のアフメドを相手に世界タイトルに挑戦した。 見事黒木は新チャンピョンに輝くが、戦い後すぐ病院へ運ばれ手術をすることに・・・ 広岡は彼を見舞って帰る途中、桜の散る道を歩いていた。 そこで突然心臓の発作が! いつもはなさず持っているニトログリセリンを探したが、ポケットにはなかった。 消えゆく意識の中で 後に心が残る何かをいだきながら、逝けることが幸せということなのかもしれないと広岡は思った。 確かにそうかもしれない。 今まで心残りがない方が安心して逝けるのではと思っていた私の考えを覆すような捉え方だった。 広岡は「・・・何かを手に入れるためでもなければ、何かを成し遂げるためでもなく、ただその場にとどまりたくないという思いだけで、ここまで歩き続けた。」のだった。 親や兄からも疎遠だった広岡だったが、日本に戻った1年の間、3人の元仲間とそして黒木と佳菜子と共に過ごした。 彼らのおかげで広岡はこの世から去るときに、この世に心を残す場所を得ていたのだ。 幸せとは心が残る誰かと生き、そしてその誰かを思いながら死ぬことなのかもしれない。 映画 「 春に散る」という横浜流星さん、佐藤浩一さん主演の映画が公開されている。 元ボクサー広岡と佐瀬と藤原が若いボクサー翔吾に出会い、世界タイトルを奪取するまでのお話で、広岡の姪佳菜子役に橋本環奈さんが

中田考著 『イスラーム 生と死と聖戦』『イスラーム入門 文明の共存を考えるための99の扉』『一神教と戦争 』『クルアーンを読む』

 今なぜか4冊の本が手元にある。最初の3冊にはカリフ制についてかなり触れている。 興味の持った部分とちょこっとした感想を書いてみようと思う。 『クルアーンを読む』 中田考著&橋爪大三郎著 対話形式で、キリスト教とイスラームをで対比させているのでわかりやすい。 たとえば カリフとローマ教皇 キリスト教で使途の後継者はローマ教皇。 イスラームでは神の使徒ムハンマドの後継者がカリフ。 聖書とハディース キリスト教の聖書はイスラームでは(預言者の言行録である)ハディース。 イエスとクルアーン キリスト教の神の位格の1つ、神の御言(ロゴス)であるイエスはイスラームでは神の本質と一体である御言(カラーム)であるクルアーン だそうで、クルアーンについては p69から「天の書板」にくわしく説明がある。 神は空間の中にいないし、時間や場所に規定されないが「書物の母」は実在している被造物。クルアーンの書かれている文字は被造物。その内容がクルアーン。 これは神の属性。(神の属性は創造されたものではない。)なのでクルアーンの内容は創造されたものではないそうだ。 なあるほど、そう捉えると、クルアーンは物理的な本の形をしながら、神の属性を表しているということがよくわかる。 カリフ制 についても触れていた。 「カリフは一人で国境がないというのが本質ですから、・・・一国イスラーム主義はあり得ない・・・」 イスラーム帝国の始まりの30年にはムスリムの人口は半分以下だったようで、 「イスラーム教徒だけの共同体ではもともとなかった。そういう緩い共同体だったのです。・・・つまりイスラーム教徒でなくても『あっ、この世界は緩い世界で、国境がなくて自由に動ける世界であり、内心のことには他人が干渉してこない世界である、いいな』と思う世界」が中田氏の言う再考すべきカリフ制の姿だそうで、「普遍主義でありながらも、地方的、民族的固有性をできるだけ維持する」姿勢を持つものらしい。 彼の再興したいカリフ制は、以前読んだ 『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」 』鈴木薫著 (講談社現代新書) 新書 – 1992/4/16 に出てくるオスマン帝国と通じる何かがあるように感じた。 『イスラーム 生と死と聖戦』中田考著  この本で一番びっくりしたところは、人間の捉え方についてだ。西欧では人間を理性的存在ととらえるのに対して

本 詩の淵の愛と光 加賀乙彦編 ~人であるアウグスチヌス(日本人)~

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 洗礼名アウグスチヌス、彼を知ったのは6月の末だったと思う。友人から心に残った本について熱く語られた。その中に彼の姿もあった。 アウグスチヌスは日本人で、自らの存在理由を問い続けながら人であるために全身全霊で戦ってきた。彼は友人のよんだ本の中のだけでなく、自らも作品を残した。 最初に私が読んだ彼の文は、見開きに自筆で書かれた母への手紙だった。7月の初旬のことだ。 .......... さあ、お母さん 7時です。あと1時間で出 立する由なので、そろそろペンをお かねばなりません。     ぼくの大好きなお母さん、   優しいお母さん、 いいお母さん、 愛にみちた、ほんとにほんとにすばら しいお母さん、世界一のお母さん     さようなら    でもまたすぐに会いましょう。  ね。 だから あまり泣かないように・    さようなら   百万遍も さようなら ( 髪の毛と爪を同封します。 コレだけでよかった? )   今こそ、ぼくはお母さんのすぐそば、いや、ふところのなかですよ、おかあさん!! 第一印象で思ったことは こんな文を書けるなんてなんて素直な方だろう だった。 さてさて これは亡くなる寸前にお母さまあてにあてた手紙の一部分だが、この全文を読みながら、とどめもなく涙がこみあげてきて、最後は嗚咽してしまったほどの衝撃があったことを今でも覚えている。 おかあさんへのいたわる気持ちが言葉のはしはしにあらわれいて、おかあさんとしてはうれしい言葉だと思うが、書いた方の気持ちを思うとなぜか痛々しく、すこし悲しい気持ちになる。 でも手紙とは本来、相手を思い、相手のために、書かれるものなのだと改めて知った。 この手紙の衝撃が強く、この方の作品をさらに読んだ。 7月はまさにアウグスチヌスまつりって感じで、彼に関する本や人についてしらべて見たりもした。 私は完全に彼にはまった。 8月に入ってしばらく彼の本から離れ、彼の信じるキリストについての本を何冊か読み始めた。 イエスの生涯 やキリストの誕生なども読んだ。 そんななかでも彼のお母さまのことは時々思い出していた。 ところが先日、友人からアウグスチヌスご本人が書かれた本の感想を聞いたのだ。再びアウグスチヌス熱にかかってしまったようだ。 その後彼女に返事を書いた。 以下がその内容。 ☆☾☆ アウグスチヌスさんに関する本に没頭してたのはも

「ラン」(森絵都作)を読んで 

悲しい過去を抱えた女の子が、ひょんなことからマラソンのサークルに入り、42kmマラソンに挑戦するまで変わったお話。彼女の走る目的はあの世に家族に会いに行くためにだったのだけれど、仲間と過ごしていくうちに最後は、一緒にフルマラソンを目指し出場してしまう。 ところで、森さんの作品には輪廻の考え方が色濃く反映されていると思う。 今回は自転車であの世の第一ステージに生きたまま行けるシーンが書かれてあったし、以前読んだ本にも闘牛士から、はかない少女に生まれ変わる話もあった。 一神教のオスマン人から見るとこの輪廻という考え方は、まったく理解されないだろう。オスマン帝国外伝の舞台になった時代は1500年代から1600年代のオスマン帝国の時代だ。 オスマン帝国はモンゴルの力に押されたセルジューク王朝の末期に創始者オスマンが築いたトルコ国だった。 オスマンは、当時有力で、民衆に慕われていたイスラム長老と共に、国の基礎を作った。 彼らの考えでは人の魂は永遠に1人は1つなのだ。その魂は4つのステージを生きる。この世に生まれてくる前、そしてこの世、死後のお墓の中、そして死後の世界だ。 どのステージでも魂は同じ魂で、変わることはない。 輪廻ではそういうわけにはいかない。人は生まれ変わるし、それも人だけでなく牛や虫にもかわることがあるという。くるくるまわって忙しい。でもロマンも生まれやすい。 前世で縁があったと思うことで、その縁のあった人と現世でより強い結束が生まれたり、「ラン」のようにあの世の人たちと付き合うことで、今生きている主人公の人生が、現世で前向きになるといったストーリーが生まれたりする。森さんの作品の面白さはそこらへんにあるような気がする。 今回の「ラン」では、主人公の女の子は交通事故で若くして家族を一度に亡くし孤独な人生を過ごしてきたと感じていた。 そしてある時死んだ家族に会うことができた。 その後彼女は何度も会いたくなる。 会う方法は自転車だったが、その方法は期限限定だった。 ほかに40㎞をかなりの速度で走るという方法もあるらしい。そこで彼女は走ることに挑戦し始めた。 でも死んだ家族と、会えなくなる時が来る。どうやら彼らは次のステージへ進んだらしい。 彼女は大丈夫か? 今度の別れは大丈夫だった。彼女には自然で優しい別れとなった。 なぜなら、彼女はマラソン(の仲間)と共に、現世に

ある友人との出会いなおし  ー「出会いなおし」(作 森絵都)読んでー

 図書館から借りた8冊の本を返しに行こうとしたが、なぜかこの「出会いなおし」の本だけもう一度読みなおした。 イラストレーターの主人公が仕事で知り合った編集者のナリキヨさんとの何回かの出会いの様子について書かれてある。 本の最後に 「年を重ねるということは、同じ相手に、何回も出会いなおすということだ。会うたびに知らない顔を見せ、人は立体的になる。・・・ナリキヨさんの後ろ姿を見送りながら、私は泣きたいくらいに強く、面白い、面白いと思い続けた。」 とある。 私たちの日常でも、同じ人に何度か会う経験はする。 実は最初にこの本を読んだときはあまり印象に残らなかった。もう一度読んで、図書館に返すまでに一週間の時が流れた。 その間に偶然にも、私は4人の人との出会いなおしがあったのだ。 私はめったに人に会わないし、親族を除けば、連絡を取り合う友人は数人だ。 にもかかわらず、短期間に4回も出会いなおしを考えることになるとは、、、 どうやらこの本が偶然私の手の中にあるとは思えなくなり、2度目はとくに丁寧に読んだ。 私はかなり作者に共感し、 「年を重ねることは面白い!」と私も思った。 私の出会いなおしは友人。 彼女とは高校1年の時知り合った。部活が同じだったのだ。3年生になって引退するまでのほぼ2年半を毎日朝から晩まで一緒に過ごしていた。 私たちの部活はかなり厳しく、二人にとって高校時代は部活一色だった。 ボール拾いやコート整備、普通の練習時間だけでなく朝練も一緒だった。 土日の1日中練習の時は、お昼ご飯も一緒だった。そして夜遅くなった時や、明日試合を控えて朝時間的に余裕がないときは家に泊めてもらった。彼女の家は高校からバスで15分ぐらいの場所にあり、乗り換えなしに高校にも駅にも行くことができた。 彼女のお母さまは、苦労人。とてもやさしい方だったけど、しっかりしていて、江戸っ子ではないけれど、粋で気風の良い感じの印象を受けた。 試合の日の朝は、おにぎりの弁当を作ってくれた。私たちの部では土日や試合の日の弁当は顧問の先生の分を交代で持っていくという決まりがあり、私が当番に当たった時は、なんと3人前も作ってくれたんだ。 たいへんだったと思うけれど、まったくそんなことはおくびにも出さなかった。 友人は母親になのか、優しいけど、芯のあるひとで、今までいつでも私によくしてくれた。 高校卒業後、私た

 本 風に舞いあがるビニールシート 森絵都作

森絵都 作 6点の短編がおさめられている。 森さんの文章が好きだ。 今回はこの6点の中からほんの題名になっている作品について紹介したい。里佳とエドの夫婦がいる。私たちには耳慣れない国連難民高等弁務官だ。二人は愛し合って職場結婚し、そして別れた。その数か月後エドはアフガンで少女を助けるために亡くなった。 その少女と会った記者との会話からエドの最後を知った。 普通の家族の幸せを求める女性と、難民たちを少しでも助けるのが義務だと思う男との食い違いから彼らは別れたのだが、いまだに女は男を愛していた。 そして男が助けた少女の言葉を聞いて、今まで爆弾も敵の銃撃も受けないところで仕事をしていた女は、男が亡くなったアフガンに生きたいと希求するようになるというお話。 エドの意志が彼の死によって彼女に受け継がれたのだ。 日本で暮らしている私たちにとって、いつも死と隣り合わせの難民の方々を身近に感じることはできない。 でも今でも世界の各地で内戦や戦争やクーデターなどで、恐ろしい場所で生活している方々が存在しているのは確かだ。 スーダンでも内戦で首都ハルツームから避難を余儀なくされた友人のご家族もいらっしゃる。 私たちは何もできないと思い、スルーする中、エドのように、難民を作り出す世界の問題を、自分の問題にしてしまう人たちもいる。 これは少し前読んだイエスの生涯から感じたことだが、 イエス愛の考え方が、エドたちのような方々の中に息づいているのではないだろうか? 本人がイエスを信じているといないにかかわらず、アメリカの地に今まで育ってきた文化の中で、彼が育ったことに関係しているのではないだろうか。 私のようなものには、今ここ爆弾の飛んでこない日本で、衣食住が何とか足りている今の生活に、ただただかんしゃするばかりである。 by anne

本 モーリヤックと遠藤周作の「イエスの生涯」

モーリヤックと遠藤周作のイエスの生涯 私がイエスの生涯に興味を持ち始めたのはつい最近のことだ。 中西美繪シスターのヴェロニカについての文章がきっかけだった。 ヴェロニカはイエスが刑場に引き出されるまでの道中でイエスに唯一寄り添おうとした方だ。 私は彼女が書かれてあるかと思って期待してイエスの生涯の本を読み始めた。 残念ながらモーリヤックには数行ほどあり、遠藤周作にの作品には一言も触れていなかった。 それにしてもなぜイエスの母マリアは イエスを呼び止めなかったのだろうか? ところで、 モーリヤックは イエスから見た世界を語っている。 そのためかイエスに対して敬語が使われていない。 又時にはイエスらしからぬ思いや表現をしている。弟子たちが自分の真意をわからずじまいにいることへのいらだちに表現などがそれである。 そして、捕らえられて刑場までのみじめな描写はイエスから見た視点といえばそれまでだが、私たちにには直視できないほどの無残で残酷な周囲の人々の対応が描かれている。 にもかかわらず、彼のイエスの生涯は忘れられない作品になりそうな予感もある。 それは亡くなられる間際の両サイドの政治犯たちの会話だ。 死刑囚としてして死ぬ直前、一人は「キリストなら自分自身と私たちを救え」と言う。するともう一人が、「この方には何の不善もない。」といい、イエスを信じ、イエスに向かって「主よ(イエスよ)御国に入りなさるとき私を覚えておいてください」といった。 これまでイエスはすべての人に裏切られ、最後まで残った12人の弟子たちにも、まずはユダにそして死刑が確定し捕らわれる時は、11人の弟子たちに裏切られた。 11人はイエスを置いてみな離散した。 そうした中で、イエスを信じるといった隣の十字架にかけられた政治犯に対して、「あなたは私と共に天国におるだろう」と答えた。 弟子ではなく、一緒に処刑される隣の政治犯が天国行の切符を持っているというどんでん返しはなかなか忘れられるものではない。 遠藤周作の「イエスの生涯」では、 彼はみんなの期待し夢見た現実のユダの国でもなければ、病人が健康な体を、空腹の者たちが望むパンを、実際に与える者ではなくただただ神の愛を伝えるため生きたと表現している。 苦渋に満ちた一生は純粋にただ愛のためだったというのだ。 そして、いったんはイエスを見捨てた弱い弟子たちが、彼の死後急に

ビルマの出てくる本「運転者」と「トッケイは七度鳴く」について 

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  みなさん ビルマという国をご存じですか? 現在はミャンマーと呼ばれています。インド、バングラデシュ、中国、ラオス、タイに囲まれています。 その昔ここでは日本軍が戦って、多くの犠牲を出しました。 アウンサンスーチーさんが非暴力民主化運動を繰り広げ民主政権を樹立。その時国名がミャンマー連邦共和国となりました。その後軍事クーデターが起こり、スーチーさんは捕らえられ、国内は混乱した状況になり現在に至っています。 ところで最近私はビルマという単語が出てくる本を2冊読みました。 「運転者」と「トッケイは七度鳴く」 です。 運転者って言葉ありましたっけ? 運転手の間違いではなく正真正銘の運転者です。 運を転じる者という意味だそうです。 運と言えば私たちはよく運がいいとか悪ういとか言いますよね。 この本では 運は貯めたり使ったりするものとたらえています。 ではどうやって運をためるのでしょうか? ここでようやくビルマが出てきます。 第二次世界大戦、ビルマで戦死した主人公の祖父が 運を貯めています。 おじいちゃんは子供の幸せを守るために戦いそして若くして死にました。 こう聞くと、普通この方が運がなかったとか、運が悪かったとか思いますよね。ですが作者はおじいちゃんは運を貯めたって表現してます。それは、運を転じることができる車にのれる料金としてたまります。 実は孫がこの不思議なタクシーに乗った時最悪な状況だと本人は考えていました。 確かにひどい状態だったと言えます。 ところがタクシーである運転者が彼をある場所へ連れていきます。(そこにメーターに記されてる分だけお客さんは乗れます。) こうして主人公はおじいちゃんの貯めた運を使って現在の状況を好転させていきます。 この過程でおじいちゃんやお父さんの想いとか、奥さんや子供の考えとかを知っていくことになるのです。 主人公はビルマで悲惨な状態で死んだおじいちゃんの恩恵を受けて、自分のやりたいことを知り、考えを改め、成功していきます。 運についてなかなか面白い視点で書かれた良い本だと思いました。 「トッケイは七度鳴く」は慰安婦とビルマで戦った日本兵士の恋の物語です。 慰安婦が強制的に日本人によって連れてこられたのではないという視点から書かれています。 そして前線での過酷な状況で日本兵が生き残りたいと必死で耐えたその原動力

荘子の本がでてきた [内篇の太宗師篇]だいそうしへんからの抜粋

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本を整理していたら学生のころ読んでいた荘子が出てきました。懐かしくてもう一度読み直しましたラ、なかなか面白かったのでちょこっと紹介いたします。  荘子 現在残っているのは郭象(かくしょう)という方が編集した33篇のものだけです。 郭象 さんは4世紀の晋の時代の方です。 荘子をつづった荘子という方は 紀元前4世紀後半の戦国時代に生きた方です。 宋の国の蒙(現在の河南省)にうまれました。孟子と同時代の方です。 彼は戦国の世で苦難にある人、どうしようもない運命から逃れようとする人々が懸命に今の状態から抜け出そうとするけれど、結局は苦難に埋もれてしまうしかない希望の見えない人々の立場に立って思索した方です。 日本では老子と荘子を同じ思想というように紹介される場合もありますが、違っている部分もあります。 老子の思想はより政治や処世等現実世界に関心を示しています。 荘子は本来は現実世界での様々なことを乗り越えて、 逍遥遊の世界 (精神的な自由と平安の境地)にたどり着き、その世界で自由に遊びまわっています。 "天と地の正常さにまかせ自然の変化に打ち乗って、終局のない絶対無限の世界に遊ぶもの"と逍遥篇の一節にあるように、彼はこのような存在でした。 ”至人には私心がなく、神人には功績がなく、聖人には名誉がない”(引用)と彼は考えていました。 彼の根本的考え方は 万物斉同 因循主義 にあるといわれます。 33篇の中でその境地がしっかりしているのは内篇の初めの部分です。 内篇は荘子本人の言葉が多く、内篇の一部と外篇と雑篇は荘子本人の言葉かどうかわかりません。 一説によると 荘子の考えを慕うものたちの作品の場合があるとのことです。 内容も内篇の初めの部分とは少し趣が変わって、老子の思想に近づいている感じー現実世界を頭の片隅に置いて物事を見ては考える感じーです。 ですので、内篇だけでも機会がありましたらご一読ください。 内篇は7つの篇から成り立っています。 逍遥篇 万物斉同篇 養生主篇 人間世篇 徳充符篇 太宗師篇だいそうしへん 応帝王篇 [抜粋] 自然の営みを認識し、人間の営みを認識したものは[人知の]最高である。 自然の営みを認識するものは、自然のままに生きていくし、人間の営みを認識するものは、自分の知能で認識したことによって、その知能の及ばないところを補い育てていく

海からの贈物 リンドバーク夫人  引き潮の時こそ、視点を変えて、新しい世界を見出そう! 本感想

 リンドバーク夫人は6章の「たこぶね」の中で 人間との感情や付き合いは永続的ではない。永続的のように見たいがためそう見えるのである。そして人は愛情や人間的な関係の満ち引きに対して自信がなく潮が引いたとき、二度と満ちてこないのではと不安になるそうだ。 人間的な関係の保証は過去を振り替えったり、未来を恐れたり期待することではなく、現在に生き現在の状態をそのまま受け入れることしかないのだそうだ。 なので、人間的な関係も 島 のようでなければならないといっている。ここでいう島はリンドバーク夫人にとっては、特別な意味の持つ特別な場所であり、私たちも島のように、課されたいろいろな条件と共に、今ここにある状態で、受け入れなければならなのだそうだ。 『島は海に囲まれ海にわりこまれて、潮が絶えず満ちてきたり、ひいていったりしている。 翼がある生命、潮の満ち引きまた断続的であることが我々に与えてくれる保証を信じなければならない』(引用) でも断続的であることをマスターするのはむずかしく、引き潮になった時はどうすればいいか人はみな迷う。でも心配いらない。その時には『普通はしらずにいる別の世界が現れてくる』(引用)から。引き潮の間に 海底を覗くチャンスが生まれるのだそうだ。 断続的であるを隠したり無理に永続的だと思い込もうとしたりせず、それを恐れず、今の状態を受け入れ、そこに今まで見えなかった別の世界を見いだせれば、断続的であること豊かさの源泉にもなる。実は私たちには、いつでも、どんな状況でも、いろんな世界が開かれているのかもしれない。 引き潮の時こそ、視点を変えて、新しい世界を見出そう!

Solidityを無料 学べるサイト ゾンビが出てくるよ!

『スマートコントラクト開発』の本の中に、 Solidityを無料 学べるサイト が紹介されています。 とても面白いです。 ゾンビが出てきて少し気持ちも悪い感じもしますが、そのゾンビを 自分でコーディネート できるようになります。 私はちなみに帽子をかぶったゾンビを作りました。 そのゾンビが 毎回テストに合格するたびに下を通り過ぎます。それがまたいいですねえ。 ゾンビのサイト は https://cryptozombies.io/jp/  ぜひ遊びに行ってみてください。

久しぶりの読書『デカルトからベイトソンへ』 モリス・バーマン著

2020年早々手にした本、以前紹介した 『Alife』 と言う人工生命の本の参考文献に出ていた「デカルトからベイトソンへ」と言う本です。  デカルトの原子論的考え方とベイトソンの唱える全体論的考え方を紹介している本です。前半は近代科学までのお話です。後半では ベイトソンの考え方を詳しく説明し、さらにベイトソンの考え方の危惧する面も語ります。そういった批判も加えてたうえで、ベイトソンの考えを元に、未来の形而上学を築くこうと試みています。

おすすめの本3冊【オスマン帝国建国1299年から2016年7月のクーデター未遂事件後まで分かる】

この一冊でわかる現代トルコ史! ぜひともお勧めしたい本は、 『トルコ現代史 - オスマン帝国崩壊からエルドアンの時代まで (中公新書 2415)』今井宏平 新書なのにこれだけでほぼケマルアテュルクが建国したトルコ共和国を直近の2016年までかなり駆け足ですがほとんど網羅している形で解説してくれています。 ケマルが掲げた6原則「共和主義・民族主義・人民主義・国家資本主義・世俗主義・革命主義」を通して、それぞれの政権を見比べています。この6原則を今の時代まで当てはめようとする試みは若干無理があるような気がしますが、でも逆にその無理さがわかりやす差を生むというような側面もありますので、ぜひぜひお手に取ってお読みください。たぶん図書館でも借りれます。 この本の最初にのオスマン帝国の末期の様子も描かれています。もしオスマン帝国の歴史を一冊でさっと把握したいなら次の本がおすすめです。

久しぶりの読書 『Alife 』面白かった!

先週図書館で『ケマルパシャ」の本を借りました。作者は大島直政さんです。この方は大のトルコ好き!です。良き古き時代のトルコの良さを存分に伝える作品を多く書いています。実はあんねあんねは昔彼にトルコ語を教わったことがあるそうです。  図書館の近所に本屋さんがあり、久しぶりに本屋さんをぶらつきました。私は本屋さんが大好きです。他のお店屋さんには用事があるときにしか入らないのですが、本屋さんだけは入り口に障壁を感じたことは一度もありません。 話はだいぶそれてしまいましたがその本屋さんである本が目に留まりました。 『ALife』と言う本です。 その本の最後の方にこんな言葉が書いてありました。”Life is what happens to you while you're busy making other plans.「人生とは自分がいろんな計画で忙しくしている間に起こることだ」  これは1980年に衝撃的にこの世を去った歌手ジョンレノンさんの言葉だそうです。 彼の妻は日本人の小野洋子さん。この言葉をの最後のパラグラフに引用している本ALIFE とは一体どんな本なのでしょうか。ちょっとほんの最後のところを抜粋します。 ”Life is what happens to you while you're busy making other plans.「人生とは自分がいろんな計画で忙しくしている間に起こることだ」  プランはすなわち力学系的な未来のことですが、実際には予測できない、外から介在してくるものが未来を決定していく ということです。 意識とは 未来を予測することではなくて、現実を生きるために否応なく力学系的になれない、その時に生まれる心の形だと言えるかもしれません。 ・・・ ALifeの研究で生命を突き詰めた結果、非力学的系的なもの、非決定論性が残るというのは面白いことです。 ・・・」 ” 引用(p191-192) A Lifeとは人工生命(Artificial Life)のことだそうです。この本にはコンピュータやロボットや化学や遺伝工学を使って 人工生命を作ろう と頑張っているのですが、 最後にぶち当たるのがこの意識らしいです。と言うか究極の問いが 人工的な意識を持てるか と言うことらしいです。私たちはあんまり意識していない

『偶然とは何か』 竹内啓著 岩波新書 

生きていると偶然の出来事によく出会いますが、あんまりその意味を私は深く考えたことはありませんでした。ところが最近偶然についてよく考えます。偶然の話をしているとある人からこの本『偶然とは何か』を紹介され、手に取ることになりました。 私は今まで偶然と運命(真意)は振る舞いが同じなので、本質的にはこの2つが指し示しているものは同じもので、違いは受け取る側の人のとらえ方の問題だと思っていました。でもこの本ではこの二つをしっかり分けています。 本文引用 「古代の人々は宇宙に秩序が存在することを発見し・・・同時に人間が理解できないことも起きることを認めざるを得なかった。・・・それを何か不可解な必然性の表れとして真意、因縁、運命などと解釈したのであった。それはある意味では偶然を別種の必然とみなすものであり、偶然の存在を否定するものであった。純粋の偶然、つまり何ら理由なくして発生したり怒ったりするものやことの存在を受け入れることは人間にとって難しいのである」 ここでいう 純粋の偶然 というものに著者は注目しています。 数学的な確率の話も出てきますが、苦手なのさっと読み飛ばしましたが「大数の法則」を押さえておけば、だいじょうぶだと思いました。 著者はあんまり数式の話はせず、現実の中で実際に出会う偶然を、科学や経済、金融、天文、歴史等々いろんな分野から例を挙げて面白く説明し、次に偶然を邪魔者扱いしないで積極的肯定的にとらえることの良さを話していきます。偶然とは世界を作り出す本質的要素というふうに考え、その偶然の意味を積極的に、肯定的に、とらえることで、予測不可能な偶然とうまく付き合える方法を模索します。 ところで、 この間読んだ「まぐれ」「ブラックスワン」の著者タレブさんは限りなく小さなほぼ起こらない確率で起こる出来事は案外人々が感じる以上に高い確率になる場合があるので重要だと繰り返し言っていましたが、この本の著者竹内さんは「確率が0に近いほぼ起こらない出来事は無視しろ」と言っています。それは「杞憂にすぎない」とも・・・ このように、短期間に正反対の意見を目にましたが、どちらもそれなりになるほどと納得させられました。 と同時に、ある主張だけでなくその反対の主張をまたは少し角度の違った主張にも目を向けることが大切だと思いました。物事を

書籍感想 【『まぐれ』(タレブ著)と『根拠なき熱狂』(シラー著)

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「まぐれ」 はおもしろい! 1週週間前に読んだ「まぐれ」の本では「ランダムによるごまかし」を語っていた。 人々の成功あるいは失敗が偶然によるものなのか、必然によるものなのかをいろんな例を挙げて説明していた。 著者はトレーダーで彼のじいちゃんとひいじいちゃんはレバノンの副首相だった。レバノンの動乱の前後で人生がガラッと変わった経験の持ち主。 語り口がとにかく面白い! 自由に言いたいことを言っているのに、なぜか頷いてしまう。翻訳も素晴らしい!彼の人柄や語り口が珍しく翻訳されているのに伝わってくるのだ。 「 根拠なき熱狂」(シラー著 )を読みました。 こちらもメチャ面白かったです。「まぐれ」の著者は好きかって書いてるのに、人々を引き付けるなんつーかわけのわからない魅力が文体にありました。 一方『バブルの物語』と『根拠なき熱狂』2冊は普通の文体ですが、内容が本質をついていたので面白かったです。 シラーさんはかなりデータを分析した結果、意見を述べているので信憑性があるように見えましたが、実際にはほんとにそうかどうかはわかりませんね。 なんせデータは見せ方で全く正反対の結論を引き出すこともできるようですから。とにかくデータや統計は他の方が言っているのをうのみにするとえらいことになります。 バブルへの対策の中で、彼はマクロ市場を創設し(発案した「マクロ証券」などによって)、リスクヘッジに対する常識を変えるよう提唱してます。 人々が専門家の知識に大きな影響を受けるという特質を踏まえ、その種の多くの専門家たちがリスクヘッジが大切であることをみんなに繰り返し伝ることで、人々に投資の多角化を進めさせるという方法を提示しています。 本文引用 「結局のところ自由社会においては人々が自ら犯す失敗の結果から彼らを保護することはできない。完璧に保護しようとすれば、彼らの自己実現の可能性を否定することになってしまう。根拠なき熱狂は不合理な悲観主義のもたらす影響から彼らを完全に守ることはできない。こうした感情的な反応はそれ自体、人間が人間である条件の一部なのだから・・・」 本文引用(彼の結論) 「投機バブルに対処する国家的政策の主眼は、もぅぱら自由な取引を推進し、人々がより多様で自由度の高い市場に投資するチャンスを拡大するのに置くべきだ。よい結果を得る

【書籍】 「バブルの物語」ジョン・K・カルブレイス著

これは1990年ごろ書かれた本です。ふつうは時がたつにつれてどこか古臭い感じを受けるもんなんですけど、この本は違いました。まるで今書かれたかのように感じさせる本です。それどころか時がたてばたつほど内容はより輝きを増していくように思います。 内容は簡単で繰り返されるバブルの原因は陶酔的熱病にかかる人々だというのです。 陶酔的熱病とか熱狂的陶酔感とかは聞きなれない言葉ですが、原語ではEUPHORIAです。「根拠のない過度の幸福感」とか「陶酔感」という意味で訳者の鈴木鉄太郎さんは解釈しています。 著者はいくつかバブルの様相を例を挙げて説明していますが一番面白かったのはチューリップの球根のお話でした。 時は1630年代、ちょうどマスケティアーズがフランスでは活躍していたころです。そのお隣さんおオランダでチューリップの球根が買われます。チューリップの球根がヨーロッパに入ったのは、スレイマン大帝の時代のイスタンブルからでした。1562年です。これはヒュッレムがなくなって4年目そしてバヤズィットが亡くなった次の年です。 スレイマンの晩年の時代オスマン帝国で皇位争いをしているとき、オランダではこのチューリップの球根で大変なことになっていました誰もかれもが全財産をはたいてまでもチューリップを勝ったのです。一時は球根1つが25000ドルから50000ドルもしたそうです。いドル110円で計算すると275万円から550万円もしたんですね。 わあなんという値段! みんなが永遠に値段が上がり続けると思い込んで買い続けるので値段はどんどんあがってていきますが、ある時チューリプの球根がただの球根に過ぎないので、誰かが突然売り始めるときが来ます。もう値段が上がらないんじゃないかと思って周りの人々も買うのをやめます。一度売り始めると、今度はまわりのみんなは不安がってどんどん売り始めます。 というような具合になると、球根の値段が急に下がり、球根本来の価値の値段にまで下落は止まりません。なんせ球根ですから、 でもここで面白いのは球根の値段を上げたり下げたりしているのは陶酔的熱病にかかっている人々なんです。チューリップの話だけでなくいままでバルブがはじけるたびに、専門家やその筋の人々はいろいろな原因を見つけ出してくるのですが、 そのバブルにも共通している買う人の気持ちの変化には焦点を当

本「行動ファイナンス」第3章 心理学からのアプローチ

目次 第3章 心理学からのアプローチ 1、効用関数について 2、効用関数の不備 3、所有効果 4、ハウスマネー効果

【書籍】「行動ファイナンス入門」 岡克彦著 1章

第1章 伝統的ファイナンスのエッセンス 1、金融経済学とファイナンス 2、リスクとリターンについて 3、株式投資はハイリスク・ハイリターン 4、株式価値の決まり方 5、分散投資の効用  6、究極の分散投資  7、まとめ、 まとめで述べているように資産はリスクの低い資産短期国債とリスクのある危険資産に分けられる。 危険資産への投資の場合はギャンブルはやらず 期待リターンの高い投資 をこころがけること。なお危険資産を測るのに便利な リスク指標 がある。 必ず分散投資すべし!そして長期保有すること!この2つを守れば高リターンが得られる。究極の分散投資は株価指標だ! ここでベータと言うリスク指標について付け加えておこう。 マーケット1%上昇したとする。1%上昇するみこみのある資産はベータ1である。2%の場合はどうだろう。この時はベータは2となる。ではベータが0の場合は、相関関係がなしと言える。 感想 「証券市場線」を発見したひとはすごい!分散投資して長期保有が大事なんですね。わかっていても目の前の動きについ気を取られちゃうのが人間の性ですので、思っているよりこれを行動するのは難しいかもしれません。 https://mutekinotami.blogspot.com/2018/12/1.html 【書籍】「行動ファイナンス入門」2章  岡克彦著~ 晴れた日に株を買うと儲かる?~
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