投稿

ラベル(トルコ小説「メヴラーナ」)が付いた投稿を表示しています

メラハット ウルクメズ Melahat Urkmez ーメヴラーナとシャムス タブリーズィーをわかりやすく伝えるトルコの作家ー

イメージ
  トルコの作家。 彼女は1959年2月27日にハドゥム/コンヤで生まれました。彼女はアンカラのハジュテペ大学に合格しましたが、当時アンカラに一人で女子を行かせることを危惧した父によって大学をコンヤにしました。 後ハルク銀行で働きました。 アテイストだった彼女がアッラーの愛に目覚め、つい聖メヴラーナの 衣の裾 をつかんだのでした。 2人の息子と1人の娘さんがいらっしゃいます。主婦をしていたころには、他者への多くの援助を惜しまず、常に寛大で優しい方です。トルコのコンヤという地域性の強い地域で育ちながらも国際的な視野を多くの本を読むことで培いました。 そして主婦時代に伝記に近い形の小説を書き始めました。 その後トルコ コンヤのネジメッティン エルバカン大学(Necmettin Erbakan Üniversitesi)に入学しトルコ文学を学びます。現在はイスタンブル―ル大学でも学んでいます。 彼女はあるインタビューで小説を書くとき何が大変ですかという問いに、実は今まで大変だったことはないと答えています。好きで懸命にすることは大変とは感じないものだそうです。 彼女は小説だけでなく 彼女の記事は、ジャーナルÇalı、Ardıçkuşu、Gözyaşıに掲載されました。 またコンヤポスタス新聞のコラムニストとして働いていました。 文化省とトルコ文学財団が共同で主催したÖmer Seyfettin Story Contestで、小説「Buzkaşi」で賞を受賞しました。 彼女の受賞歴のある物語は、共同本Kurban(2003)に掲載されました。 作品: 小説: 『心のそのにてメヴラーナ』 Gönül Bahçesinde (Mevlâna Mevlana in the Garden of Hearts)(2004) 『無神論からアッラーへ 言葉の息吹の中で』Necati Büyükalkan( Atheism to God in the Breath of Words)Konya Post、3.12.2005(2005)。 研究:メヴラーナにおける愛の秘密と究極の統合(2005)(トルコ文学、発行:364、2004年2月 İbrahim Dıvarcı(2005年6月1日) Zinnur Erden  Hüzeyme Yeşim Koçak Nükhet Cenan(Konya

【トルコ小説】「心の園にてメヴラーナ」その17 メヴラーナの生い立ち(誕生、移住、結婚、コンヤへ)

忠俊はメヴラーナの人生に興味を持ち始める  全文はこちらから 「聖メヴラーナの子供時代にもきっと思いもかけないことが起こったのでしょうね」 「このように高価な宝石は、その子供時代も、尋常ではなかったでしょう。彼の作品の中に時々出ていますが、アッタールが、そばのものに、彼の父親の後ろから歩く小さなジェラーレッディーンをさして、次のように語ったそうです。 『ひとつの大洋が、ひとつの海に従って、その後から歩いていきよる』と。アッタールのこの有名な言葉を、『一つの海が、一つの川の後ろを、歩いていきよる』という形で伝える者たちもいます」

【トルコ小説】「心の園にてメヴラーナ」 その16 アーシュク(溢れる愛)が彼を取り巻く

忠俊を情熱溢れる愛が取り巻く 忠俊の頭にあった過去は、すべて新生された。一生懸命ガイドの言うことに耳を傾け、録音もした。夜中の寒さが顔を撫ぜたため、かなり疲れていることに気がつ いた。広い山の頂から、そよそよ吹きながら、山々の斜面の松の木の香りも加えて運んでくる冷たい12月の風を感じ、脳は冴え、より聡明に分析を始めるきっ かけとなった。 尋 常ではないすばらしい旅となった。見たもの、聞いたもの、感じたもの、確信したものがすべて魔法にかけられたかのように変わって、 「宇宙のすべてが限りあ るのに、今日私が過ごした彼の思索に含まれる情熱溢れる愛には限界がない。境界を乗り越え、水平線の隙間をさらに潜り抜け、無限へと続く。満月の夜にふさ わしく、かの気高き人間も、また魂たちや心たちと共に生きつづけている」 とつぶやき、目を空の月に向けた。真っ黒い雲がアンブルの馬のように、いなないて いた。月は、雲の後ろに見え隠れしていた。見え隠れする月の中へ、心が空気のように上っていくようであった。月も、その心に強い力で働きかけ潮(うしお) を送っていた。まるで天空に向かって飛び立つようであり、情熱溢れる愛という弦楽器を奏でる撥の旋律に合わせて回っていた。地球、月、諸星、人間などこの 世界に存在するすべてのものは回っている。すべてのものは回り、回って、さらに回り続ける。遥かかなたの的、聖メヴラーナに向かって、魔法の矢を放ってい た。サズ(弦楽器の一種)の不協和音のように、道を見出すことができずにさまよい憐れみの気持ちにも似たどこかしっくりしない音を、聖メヴラーナの心の聖 なる精神の息吹によって調律し、快音としたのである。 休憩時間が終わり、再び旅路へと向かった。忠俊の目は、ガイドに注がれていた。彼のそばを通るガイドに、 「もしお疲れでなければ、もう少しお話していただけ ませんか、お願いします」 といった。もともとこの申し出を待ち構えていたガイドは、もう一度忠俊の隣の座り、 「聖メヴラーナのどのような考えを伝えればよ ろしいですか」 と尋ねながら、一方で、彼の脳裏に浮かんださまざまなメヴラーナについての情報を整理していた。 「どうか、ご存知のことはすべて教えてください、おねがいします」と言った。 ガイドは語り始めた。 「聖 メヴラーナは、タウヒード(アッラーの他に神は

【トルコ小説】「心の園にてメヴラーナ」その15 【良いメヴレヴィ―とは】

博物館、墓、そしてメヴレヴイーについての知識6 忠俊は、自分自身に向かって、私にとって重要と思われる質問をしたなら、彼の集中力を乱してしまうだろうかと躊躇いながらも、「すみません。あなたがお話 してくださってことはとてもすばらしいです、大変感謝しています。本来、私が知りたかったことなのですが、良いメヴレヴィーとはなんですか。何について注 意しなければいけませんか。これらのことについて、もう少しお話していただけませんか」 「もちろん、よろこんで、忠俊さん」といってガイドは再び話を続けた。 「メ ヴレヴィーの基本中の基本は、一般に12の項目に集約できます。

【トルコ小説】「心の園にてメヴラーナ」その14 メヴラーナに影響を与えた方々

博物館、墓、そしてメヴレヴイーについての知識5 「メヴラーナに影響を与えた方々についても知りたいのですが」 「メヴレヴィーについてお話した後、彼らのことも説明いたします」 「ありがとうございます。メヴレヴィーにおける情熱溢れる愛についてお話ししていましたね」 「メ ヴレヴィーによって理解される熱き愛とは、人間が人間に対して抱く無常の人間的愛ではありません。アッラーに対して感じる限りのない深い見返りのない絆が 必要とされる愛です。永遠に続く熱烈な燃える心です。メヴレヴィーの考え方、捉え方が、ネオプラトンの哲学の流れに影響を受け、さらにメヴラーナもまたメ ヴラーナの継承者たちの作品に見られるスーフィズムの概念を示す諸作品において、たとえばメヴラーナの『メスネヴィー』や『偉大は詩作集』、スルターン・ ヴェレドやウル・アーリフ・チェレビーの作品などに見られるスーフィズムの概念は、プラトン主義が発展したもの、つまりプラトンの哲学の流れを汲む哲学書 に多大な影響を受けているという見方があります。しかし、もし私にお尋ねるなら、『聖メヴラーナに影響を与え彼の心を満たしたものは、ただただ最後の預言 者ムハンマド・ムスタファー (彼に祝福と平安あれ)のスンナとアッラーへの情熱溢れる愛だけである』と答えるでしょう」 「私にとっては、聖メヴラーナがほかの誰からも影響を受けることのない独自の思想を持つ偉大な哲学者です」 「哲学者という言葉の代わりに、「神の親しき友(ワリー)」と呼ぶほうがよりふさわしいでしょう。よくお調べになり、理解なされば、自らこのように呼ぶようになられるでしょう。今のところは哲学者と言ってもよろしいかと思います」 「ワリーとは哲学者よりももっと優れていることですね、それが分かりました。ともかくこのことについての詳細は、後ほど学ぶことができますね。今説明の残っている部分をお続けください」 「イスラーム世界で宗教と音楽の狭き道を結びつけ、崇拝行為として音楽を位置づけた最初のタリ-カがメヴレヴィーといえます。葦笛、クドゥム、ヌスフィヤェ (短 い葦笛)レバプ(3弦の弦楽器)、さらに時代が下ってタンブルやさまざまなサズなどが付け加えられ、宗教的儀式として整えられ、ズィクルしながら、セマー の場に入り、イラーヒ(神をたたえる詩歌)をうたいながら、シャリー

[トルコ小説】「心の園にてメヴラーナ」その13 メヴラーナの名について

博物館、墓、そしてメヴレヴイーについての知識4 「すみません、名前について知りたいのですが」 「メヴラーナ・ジェラーレッディーン・ルーミーは有名な名前です。当時、アナトリアはルーム地域と呼ばれていました。ルーミーはルームの (人) という意味になります。本名はフセイン・ハーティブ・オウル・ムハンマド・オウル・ムハンマドです。ルーミーとしてよく知られた原因は、長い間コンヤに定 住し「ルーム・エフェンディ」という呼び名で有名になったからです。彼に与えられた称号メヴラーナは「民の偉大な方」、メヴラーという単語から起こり、そ の単語にアラビア語の一人称複数の人称語尾のナーをつけて合成させ、メヴラーナーとなりました」 「ありがとうございます。どうか続けてください」 「アッ ラーヘの情熱溢れる愛が、人間の心の中で満たされると、人間は、アッラー以外に何も見えなくなります。絶えずアッラーの高さまで、自分自身を高めるように 努め、どの瞬間も、どの場所でも、アッラーによって満されていると感じます。心で感じるのです。人間は、アッラーについて沈黙を破り、言葉と声によって、 アッラーを顕現させる存在です。神の御言葉を話す者、カラームッラー・ナートゥクです。アッラーは、さまざまな形の中に違った資質によって顕現されます。 人間がこの宇宙で見るさまざまな存在の種類、色、音、協調、調和、秩序、美のような資質は、アッラーの顕現にほかなりません。人間は情熱溢れる愛によっ て、一段一段アッラーに近づいていきます。そして、明らかに完全さの段階に到達します。到達した段階ごとにアッラーの異なった資質を感じることができま す。この点から熱く燃える心、つまり情熱溢れる愛によって高まること、成熟さと知識力を備えることが、アッラーに近づくことの意味になります。すべての人 間たちが、地上で手にする知識、すなわち情熱溢れる愛によって手にする知識は、その段階に応じて、アッラーを映し出す存在であるので、人間を愛すること は、つまりアッラーを愛することなのです。 メ ヴレヴィーとしての愛に支えられた人間の捉え方は、人間にさまざまな種類が存在する中で、それぞれの異なった価値を大切にすることから始まります。人間と は、万有の本質、存在のすべてを言い伝える言葉、見えるものを見せる目です。メヴレヴィーの教えによると、全宇

【トルコ小説】「心の園にてメヴラーナ」その12 メヴレヴィーの館って何

イメージ
博物館、墓、そしてメヴレヴイーについての知識3 ガイドは、 「はいもちろん、忠俊さん、「メヴレヴィーの館」がありました。これらは大変重要な役目を果たしました。コンヤだけではなく、いろいろな地域に存在していました。その幾つかは、今でもその役目を果たしています。メヴレヴィーのタリーカが発展していった県ではメヴレヴィーたちの数によって、とつ又は数箇所 にメヴレヴィーの館が作られました。トルコで、もっとも多く「メヴレヴィーの館」が見出せるのはイスタンブールでした。この中で特に有名なのは、ガラタ・ メヴレヴィーハーン、エーユプのバハリヤェ・メヴレヴィーハーン、ヤェニカプのヤェニカプ・メヴレヴィーハーンです。 「メヴレヴィーの館」は、メヴレヴィーたちのタリーカのきまりに従い集まる場所や、特別な部所、儀式の場所やメヴレヴィーの倫理に基づく特別な部屋などが存在 するところです。中に台所、修行場、客間、セマーの場であるセマーハーネ、広間、演奏家の館、小房のような特別な場所があります。「メヴレヴィーの館」 はすべての権能を有するシェイフたちによって管理されていました。 「メ ヴレヴィーの館」は、同時にメヴレヴィーたちのため、教育機関としても機能していました。メヴレヴィーたちのために、必要なあらゆる知識、タリーカの規 則、メヴレヴィーに必要な一般基礎知識や儀式や音楽も、この「メヴレヴィーの館」で教えていました。シェイフたち、修行者たち、宿泊用の特別な部屋、睡眠 をとる場所などがありました。どの「メヴレヴィーの館」にも、図書館が設置されていました」 「メヴレヴィーについて、ほかに何かおっしゃりたいことがありますか?」 「聖メヴラーナは、親友たちが参加した特別な集会を準備し、神秘主義や宗教についての講義をしたり、詩を読んだり、ズィクルしながら、旋回したりしてしました」 「すみません、ズィクルとおっしゃいましたか、それは何ですか」 「単 語としての意味は、」思い出すこと、という意味になります。聖メヴラーナにとってのズィクルとは、アッラーの御名を想うこと、唱えることです。 アッラーの御名を想念しながら愛と情熱溢れる愛と共に旋回し熱き愛の状態にはいります。 セ マーゼンたちの旋回は その精神的喜びを得ることにより起こりま す」

【トルコ小説】「心の園にてメヴラーナ」その11 博物館、墓、そしてメヴレヴイーについての知識2

 (忠俊とガイドの話の続きからです) 「 ありがとうございました。あなたを疲れさせてしまわなかったでしょうか。そうでないことを願いますが、あなたの教えてくださったことは、私にとって、とても大切なことです。そこで、もうひとつお尋ねしてもよろしいでしょうか」 「もちろんです。疲れてなんかいませんよ。反対に、聖メヴラーナについて語ることは、私には大きな喜びとなります。お聞きになりたいことがあったら、何でもお 尋ねください。私の知っていることは、何でもお答えします。あなたに、よりはっきりとした考えをもっていただきたいですから。どうか、質問なさってくださ い」 「わかりました。それでは、儀式でみたセマーゼンたちは、メヴレヴィーなのでしょうか、彼らは心の絆で繋がっているのでしょうか。彼らは我を忘れて旋回しているように見えました」 「あなたがご覧になったセマーゼンたちとシェイフは、過去を再現させるために、政府のスタッフの一員として働いている方々です。精神的生活について、私たちに はわかりません。この絆は、個人的な特別の絆と考えられます。ただ自分の心の中だけ、創造主との間に見られる想念です。強い心の結びつきです。セマーゼン は、この絆を得られたかもしれないし、そうではないかもしれません。しかし、情熱溢れる愛の状態に入っているのですから、メヴレヴィーではなく、その心の 絆が得られなかったとは、到底考えられません」 「ええ、そうですね。私も、彼らがその絆で結びついていないとは考えられません。きっと、絆を得られたことでしょう。それではスルターン・ヴェレドの時代のメヴレヴィーたちがどのようであったか、さらにお話していただけませんか」 「メヴレヴィーのタリーカのきまりでは、試練に耐え、試験や試みを乗り越え、能力ある指導者から許しを得た者にその資格が与えられます。メヴレヴィーになるた めには、指導者から許しを得て、免許皆伝を授かることが必要です。メヴレヴィーとしてのふるまいや着こなし、携帯するものから話し方まで、さらに周囲の人 々への関心、他の人々に対するよい態度など、タリーカのきまりには、明確に枠組みがしっかりと示されています。メヴレヴィーに対して、愛情と関心を持ち、 シェイフの存在するテッケ(修行場)で、必要なら儀式に参加する者をメヴレヴィー・ムフビーといい

【トルコ小説】「心の園にてメヴラーナ」その10 博物館、墓、そしてメヴレヴイーについての知識

「忠俊さん、もしよろしかったら、はじめに博物館と墓についてお話しましょう。詳しいことは、そのあとでお伝えします」と語った。 忠俊は待ち遠しく、「よろこんで」と答えた。 ガイドは説明し始めた。 「ご覧になったように、コンヤにメヴラーナ・ジェラーレッディーン・ルーミー(マウラーナー・ジャラールッディーン・ルーミー)の墓と修行場を含む、1927 年に開館した博物館には、聖メヴラーナの墓石、『メスネヴィー』詩作集、そして、そのほかにもご覧になった当時の品々が展示されています。墓の中の壁に は、文字で装飾された大変興味深いカリグラフィーが記されていますが、メヴラーナの芸術に関係するものです。ご注意なさるなら、墓の扉や修行場の中庭に開 かれた扉と、墓に至る回廊には碑文があります」 「はい、すべてみました。その碑文が、何を伝えているのか知りたいです」 「よろしかったら、碑文に書かれた詳細を、根本から学んでみてはいかがですか。さもなければ、今度またお墓を訪れることがあったなら、その時もっと詳しくお話いたしましょうか」 「また、参ります」 「ええと、どこまでお話しましたっけ」 「メヴラーナの墓についてお話ししていらっしゃいました」 「ええ、そうでした、メヴラーナの墓は、メヴラーナ・ジェラーレッディーン・ルーミーの死後、アラメッディーン・カイセルとアラーエッディーン・ケイフスレヴ 2世の娘とムイニッディーン・ペルヴァーネの婦人グルジュ・ハートゥンによって1274年に建てられました。つまり、死後すぐに建てられたのですね」 「1927年とおっしゃいましたか」 「忠俊さん、1927年は博物館の開館の日です。1274年に墓が造られました。亡くなって、すぐのことです」 「聞き間違えてしまったようですね。失礼いたしました。どうかお続け下さい」 「建築家はベドレッディーン・テブリーズィーです。周囲の礼拝所、セマーハーネ、聖なる広間、台所、修道者の小房、噴水地、シェブィ・アルースの噴水とチェレ ビー(メヴラーナの子孫につけられた称号)たちの部屋などからなる墓を中心とした教育機関の形に整えられています。この教育機関を構成する建築の基礎であ る墓の建物は、セルジューク時代に、墓の刻み目のある胴体部分、とんがり帽子の形をした屋根の部分、入り口の回廊、チェ

【トルコ小説】「メヴラーナ」その9 メヴラーナを育む若葉の香る土地との別れの挨拶

墓 を心ある者と喩え、「私達の死後、私たちの墓をこの地で探さないでください。私達の墓は、賢きもの達の心の中に存在しますから」とおっしゃった聖メヴラー ナは、彼の心によって全世界の人間を抱き、包み込み、700年間、神への情熱溢れる愛を伝えてきた。神の息吹によって普遍的なメッセージをいまだに与え続 けている。滅びることのない広大な愛が人間の心に芽生えたこの土地から、寛容さが円を描いて回る愛の軸であるメヴラーナの街から、そして、歴史の香りを漂 わせるこの街の息吹から別れ旅立つことは、忠俊にとって大変つらいことであった。 人 生の中で、今まで一度も味わったことのないすばらしい気持ち、もっとも幸せな瞬間をこの日、一日中感じ続けることができた。初めての親友や恋人に抱く気持 ちに似た愛、その絆が別れの痛みをますます強く感じさせた。まるでコンヤの聖メヴラーナと共に何年間も生活していたかのように、心の一部がこの土地に取り 残された形となった。乞い焦がれる者へ辿り着く道が、遠くに離れていった。観光バスは、12月の寒さの中で夜を分けて、前進していた。忠俊は、いまだに聖 メヴラーナの墓とセマーの儀式の影響下にあった。初めて味わったあの喜びと驚きに満ちたセマーの上演は、彼の目の前から、そして心から離れることはなかっ た。白い衣を着て右に左に、心の周りを旋回しながら、72国の人々を、熱く燃える心によって抱くことを象徴化したセマーゼンたちは、彼の心の中で扇のよう に、情熱溢れる愛によって回り続けた。彼は喜びに満ちて生きた瞬間すべてを思い出そうとしていた。いや、そのことを思わずにはいられなかった。   彼の人生において、重大な変化のサインが送られ、海の灯台の強い光が自分自身に向けられ、道が示され、そして呼び招かれたことを彼は感じていた。「奇妙な 一日を、私は過ごした。気持ちが混乱してしまった。私の魂は変わってしまった」と思った。あの有名な呼び招きの言葉の意味が、彼の脳を占領してしまったよ うだ。聞いたこと、見たことすべては強い影響力を備えていた。訳などまるで必要とすることもなく、彼の心に、そして魂に呼びかけているようであった。   ガイドはさらに説明する。   脱力感が観光バスに乗った人々のほとんどを襲った。一日が終わった。旅の疲れがバスに乗

【トルコ小説】「メヴラーナ」その8  セマー(旋舞) の説明です

セマー(旋舞) 空は暗くなり始めた。メヴラーナを記念し、セマーを見せるサロンに向かってみんなは出かけた。忠俊はこよなく幸せであった。だが、同時に自分は沈んだ状態で あることも感じていた。何も語らなかった。今でも尚、絶え間なく指導者の御前で感じた相互作用的な感動に浸っていた。まるでプログラムされたロボットのよ うに、グループみんなに従ってはいたが、彼の内的世界では光が満ち溢れていた。一行は友人達とサロンに入り、示された各々の観客席を見つけて席に着いた。 忠俊の人並みならない関心を見極めたガイドは、彼を特に隣に座らせようとした。 「忠俊さん、少し後で観ることになるセマーは、万有の動きを示しています。メヴラーナによると、セマーとは、アッラーが、『われは、汝らの主である。さよう か』と仰せられたのに対し、『はい、さようです。あなた様はわれらの主であらせらます』と返答したその声を聴きながら自我を消滅させ、主に合間見えること です。諸原子は修道者たちのように、太陽の光の中でセマーをし、回転していますが、どのような旋律で、どのような拍子で、どのようなサズ(弦楽器の一種) によってセマーをするのかは、私達は知る由もありません。セマーとは、心の中の神秘に到達した者達が、人の心を和らげる恋人に会うためにする動きです。セ マーに入ると、2つの世界からもっと外の世界へ出ます。セマーの世界は、その2つの世界よりもより外側に存在します。7番目の天は一番高い天ですが、セ マーの位階はこの天よりもより高いのです。顔をクブラ(礼拝する方向)に向けた者達は、この地上においてもセマーの位階の高さに到達します。もちろん、あの世でもですが・・・『たとえ輪となって、セマーをし、回転し、留まる者達の間にカーバが存在したとして も・・・』と語られるようにです。セマーは、聖メヴラーナが霊感によって到達し、発展させたものです。完璧に向かって歩む精神の旅(ミィーラージュ)は、 その行き来の代表的なものです」 「ミィーラージュとはなんですか?」 「忠俊さん、このことについてあなたに本を一冊あげましょう。それから学ぶことができますよ。もしよろしかったら、儀式が始まる前に、セマーについてあなたに少し情報をお伝えしましょう」 「喜んで、どうかお続けください」 「セマーは、7つの部門と4つのセラームから成

【トルコ小説】「メヴラーナ」その7 忠俊の心に水を・・・

ガイドは博物館に備えられた品々について説明するだけでなく、聖メヴラーナの目に見えない部分をより重点的に好んで伝えた。忠俊の心に芽生え始めた炎の火種 に風を送り、さらに燃え上がらせていった。「水に満足する者に何も与えることはできぬ。水に恋焦がれる心を見出しなされ」と語った偉大な指導者の言葉をさらに続けた。 忠俊は彼の心が水を求めているのに気がついていた。その日までのどの渇きは仏陀の前でさえ、癒されることはなかった。その時にかいだ香り、心を酔わせる美酒のような効果は、以前一度も感じたことがなかったし、味わうこともなかった。 「これはなんともいえない心地よさだ。虹ほど近く、虹ほど遠く感じるこの不思議な感覚」と自分自身に語りかけた。魂にやさしく平安を撒き散らす甘い季節風、ベ イト(二行連句)が吹いてくる。葦笛の音はこの風を駆り立て、けしかけ、何も聞こえず何も語らぬ遠い地平線へと連れ去っていった。 心に話しかけ、魂にささやきかける世界から齎される不思議な音色、その神を思い出させる音と神秘的な香りは非常に異なった感覚を呼び覚ませていった。普遍的な愛と寛容さを顕す偉大なスーフィーの影響を受けず、彼に向かおうとしない諸器官は、彼の身体の中にひとつも残っていなかった。 彼は人生の中で次第に生きる事に嫌気がさしていた。人生は意味のないものだと知っていた。だだっ広い太洋のど真ん中で、支えもなく取り残され、さまざまな嵐 に見舞われ、沈没を免れようと右往左往する船のように、弱々しい精神状態に陥っていた。嵐の中、精神を守り支えとなる港を探し求めていたが、どこもいつも 何か欠けていると感じていた。しかし、ある時は、それらを捜し求め調べたりもした。訪れた国々のさまざまな哲学者達、神殿や彼らにとって聖なるものと聖な る者の意図することも学び、深くそれらを習得してきた。自国でもまた同様に、深く捜し求めたが、どの場所でも、彼が探し求める精神的安定を与える風を見出 すことはできなかった。誰からもこれこそが意味あるものという確信は得られなかったし、呼びかけられることも、魂が引き寄せられることもなかった。このた め、長い間、捜し求めることもしなくなっていた。そして、もう彼の内面を完璧に満たし、落ち着かせ、休養させる精神の扉は存在しないと思っていた。しか し・・・思いもかけず、偉大な人物である

【トルコ小説】「心の園にてメヴラーナ」その6 

ガイドは、聖メヴラーナが、「『メスネヴィー』の中で語ったように、唯一の神は拝火教徒でさえ、もしご自身を呼び求める者なら応え給う」と言 いながら、このように成熟者たちは神の恵みと慈悲で希望に満ち溢れていた。聖メヴラーナの誰をも下にみるべきではない」という繊細な考え方を、別の言葉を 説明した。そして、その言葉を暗誦すると、忠俊はさらに感嘆した。 「信仰を持たない人々を軽視なさらないでください。信仰者として死を迎える可能性もあります。人の人生の終わりを知るものはいませんのに、そのことからまったく顔を背けていらっしゃるのです」と言う彼の言葉は、意味深長である。 聖メヴラーナが担った役割を意識して、彼は次のように述べている。 「私たちはコンパスのようだ。私たちの一方の足はシャリーア(イスラーム法)の上に、堅固に留まっているが、もう一方の足は72の国を歩き回っている。ある人々は時がたつに連れ、黙認できないような行き過ぎた寛容さと非難したとしても、その広い寛容さはタウヒード(アッラーのほかに神はなし)の秘密と高貴なる クルアーンの光とイスラームの意識と基本に基づく聖ムハンマド・ムスタファ(彼に祝福と平安あれ)の高徳さを指し示しているに他ならない」と。 平らな表面を流れる透き通った水のように、滑らかに読まれた聖メヴラーナの諸ベイト(二行連句)とガイドの解説は、よく響き、こだましながら、真っ暗な穴の 中へ、さらに深い井戸の底に流れ込むかのように、日本人の観光客の脳裏にも流れ込み、こだました。忠俊は、その場の心地よさの中で幸せと驚きを感じていた。人々はモザイクのように、同じ場所に存在でき、寛容と愛の最終扉を捜し求め、そこに至ることもできる。そして、その色とりどりのモザイクの中で、それ ぞれの魂が一つになる。誰もが、それらにご自身の高貴な光を与える聖メヴラーナを太陽にたとえる。彼は、善人も、悪人も、富む者も、貧しき者も、知り合い も、見知らぬ人も、大人も、子供も差別なく、それぞれの人間、いきとしいけるものすべてに、同じ光を放つ太陽のようである。鎖に繋がれ、締め付けられてい るかのように、「もしあなたの生きた時代に生き、あなたを見ることができたなら、偉大な思想家よ」という言葉が、彼の唇からもれでた。 中の神聖な神秘的な雰囲気は、忠俊に霊感によって磨かれたメッセージを与えた。

【トルコ小説】「メヴラーナ」その5 メヴラーナのお墓の前で

小説の主人公日本人の忠俊は聖メヴラーナのお墓を詣でます。その時の忠俊の感覚が妃表現されています。忠俊はそれから博物館内部の展示品を見回りながら、「来たれ来たれ・・・というガイドの言葉を思い浮かべます。 その5 彼は聖メヴラーナの墓石に向かって、深くお辞儀をした。それは、このうえなく敬意のこもった、謙虚な礼であった。日本では、敬意を表し一礼する態度の他に も、丁寧な行動や慣習がある。それは西洋で目と目を合わせながら握手をするのと同じである。人に対し一礼するというのは、「私はあなたを受け入れ、あなた とお近づきになります」と言う意味が込められており、礼を受けたものは、儀礼として、お返しにお辞儀を返す。  ガイドと一行は、偉大な指導者(ピール)の御前から横側に移動し始めた。忠俊はといえば、そこを離れたくないと感じていた。魔法か何かの力でそこに釘付け にされてしまったかのようであった。手にいれたこの平安な状態を、もっともっと長く味わっていたかった。だが、居心地のよいこの精神的安らぎの場から何と か自分を離させたが、少し憂鬱な気分でグループのほうへ向かった。ガイドが説明する貴重な知識も聴き逃したくはなかったから。   博物館には、聖メヴラーナと彼が生きた時代についての衣服や品々、手書きの『メスネヴィー』や『聖クルアーン』、葦笛やクドゥム(楽器の一種)や絨毯等々 が置かれていた。それらの前に、いつの時代のものかなどさまざまな知識を伝える説明書きが置かれてあった。ガイドはひとつひとつ丁寧に英語に訳しながら伝 えていた。このような音響効果が見事な環境で、しかも神秘的な空気とうずくような葦笛の音色に包まれた彼の解説は、忠俊の揺れ動き始めた心の琴線に、ひと つひとつ槍のようにささった。心の深くまで刻み込まれ、震えさせた。 おそらく、忠俊は世界中を飛びまわったであろう。しかし、どの国も、そしてどのような場所でも、メヴラーナの御前ほどに感化を受けたことはなく、不思議な異なる感覚で満たされたこともなかった。 ガイドが、旅の間何度か繰り返し暗誦したその有名な呼びかけの言葉が再び耳に響いてきた。 「来れ、来れ、何人であれ、再び来れ、 信仰を持たぬ者であろうと、拝火教徒であろうと、多信仰者であろうと、来れ、 わが学び舎は絶望の場にあらず、 たとえそなたが百度その誓いを

【トルコ小説】「メヴラーナ」その4 メヴラーナとの初めての出会い

イメージ
いよいよ主人公日本人の忠俊は聖メヴラーナの博物館に一歩足を踏み入れます。そこは別世界!一見数多くの観光客が訪れる博物館の1つにみえますが、誰もが日常とは違った何かを感じ取ることができる素晴らしい空間です。 その4   ガイドは旅行中に、聖メヴラーナとコンヤについて予備知識を与えてくれた。この知識の光に導かれ、彼らは、メヴラーナ博物館の外門から中庭へと入っていった。  秋雨の力強い勢いに逆らい、逃れかすかに生き残ったバラたちは、春も夏も知ることもことなく、花を咲かすこともなく、枯れていった。けれども、季節のいたずら、時に戸惑うバラのつぼみたちは、存在する場所の尊さを知っているかのように、美しく咲き誇っていた。噴水から直接みずたまりに落ちる水のリズミカルな音や美徳を備えた説教壇で語り合いながら飛び回る鳥たちのさえずりも加わり、その中庭は、来世の雰囲気を醸し出していた。庭に開かれた博物館や図書館や修 行者(スーフィー)たちの小房の壁は、何世紀もの間に壊されたにもかかわらず、基本の形はそのまま残されている。しかし、色あせた石は何百年もの間に古び ていった。セルジューク朝の偉大な人物たち、アレムッディーン・カユセル、スルターン・ヴェレド(スルターン・ワラド)、ゲヴヘル・ハートゥンの働きに よって、聖メヴラーナの死後、建造された歴史的な記念碑は、時を越えても頑丈に留まっていた。霊廟の扉は、気高く心を焦がす者達に開かれ、いと高く情熱を 持ち続ける者達を巡りあわせる。その扉は、深い痛みに対する薬ともなる、外界の束縛を取り除く扉、心を携え旅する者達に開かれた扉であった。   忠俊がメヴラーナ博物館の扉から中へ一歩踏み入れると、神秘的な雰囲気が漂い、その香りが忠俊の顔をやさしく撫ぜ、細やかに彼の魂を包み始めた。彼の心に 安心さと安らかさが生まれるのを、彼は感じた。彼が墓石のほうへ一歩一歩進むごとに、その安らかさは増し、次第に高まっていった。博物館の中に広がる悲哀 のこもった旋律は、日本の音楽とはまったく似ていなかった。今まで聴いたこともない嘆き、悲しみの伴う泣き声にも似た葦笛は、彼の心を震撼させ始めた。傷 心、哀愁そして別れの叫びを奏でているかのような葦笛の音色は、うずきとうめきと共に、弔辞を述べているようであり、物寂しかった。同時に、その想いに燃 え焦がれ、浄化され

【トルコ小説】「メヴラーナ」その3 東京からコンヤに至る道3

作者のメラハットさんはチーズケーキが特に上手で、彼女の作ったレンズ豆のスープもまろやかで特においしかったです。普通?(私が習った家庭では)は赤いレンズ豆のスープはバターとサルチャ(トマトピューレの水分のなくなったもので日本版みそみたいな感じ)という香辛料で作るのですが、彼女は玉ねぎをみじん切りにして最初に炒めてからサルチャを入れて作っていました。緑のレンズマメと同じやりかたなのかな?とにかく玉ねぎの痛めた時にでる甘みが、彼女のスープをまろやかな感じにしたのではと思います。 さてコンヤでメドレセを訪れた後、忠俊はコンヤの街を一望できるメラムの丘に向かいます。そしてコンヤの歴史についてガイドから話を聞き、いよいよメヴラーナ博物館へ・・・ その3  東京からコンヤに至る道(3) 観光バスは、メラムの丘へ向かって上り、駐車した。一行はバスから降りて緑豊かなコンヤを一望した。そよそよと吹く秋風は、黄、緑、紅色の葉でパステルカ ラーのジュンブシュ(弦楽器の一種)のように変化した木々を撫ぜながら弾き、穏やかな音楽を奏でていた。ガイドは、歴史の街を一冊の本のようにたとえ、メドレセや博物館やモスクや遺跡などが歴史の本の一頁、一頁を綴っていると伝えた。 旧石器時代から始まるコンヤの起源は、磨製石器時代の文化に遡る。チャタル・ホユクとジャン・ハサン・ホユクの遺跡は、紀元前7千年から6 千年にさかのぼると推測される。そしてこの特徴のあるチャタル・ホユクには、狩の獲物が浮き彫り式に描かれた絵が壁にみられ、遺跡からは、さまざまな作品 が発見された。それらは当時のものであることが確認もされていると語ったので、日本の人々は、これらをぜひ一目みたいと願った。しかし、観光バスの運転手 は、規定の時刻にイスタンブールに到着しなければならないと躊躇した。彼らはこの望みをあきらめた。ただ忠俊は、もしトルコを再び訪れることがあるなら、 会社関連ではなく個人的に一人で旅し見学にこようと心の中で計画を立てていた。  ガイドは、説明し続けた。ヒッタイトの統治を崩壊させたのはフィルギア人達たちである。その世紀、コンヤはフィルギア人の重要な町となり、フィルギア人 たちの文化遺産は数多く残っている。その後、フィルギア人の統治を崩壊させたリディア、次に、ペルシア、アレクサンダー大王時代、そしてローマ帝国の統治

【トルコ小説】「メヴラーナ」その2 カラタイメドレセとインジェミナーレメドレセ

メヴラーナを小説でわかりやすく説明。主人公は典型的な日本人!仕事でトルコを訪れたタダトシがメヴラーナについて知る様子を描きます。 物語はタダトシの紹介で始まり、コンヤに観光のため出かけます。コンヤ巡りを始めた一行はメドレセを見学し始めます。 2 ガイドはカラタイ・メドレセについて説明をしていた。 「1251年に作られました。クッベ(半球型の天井)は、特徴的なセルジューク朝の色彩を醸し出す青緑 色と黒色からなり、見事に調和しています。そして、そこには葉や花の入り組んで描かれた見事な装飾芸術がみられます。クッベのちょうど真ん中の窓の下に作 られたプール(貯水池)から、当時天文学的観測が行われていたことが伺われます。 左側の鍵の形をした奇妙な配置は、水面を絶えず水平に保させる効果があり、諸星、天空を鏡のように映し出すために、水の流れを定めました」と説明し、何百年も前の科学者たちが、このメドレセの中央に存在するプールの水を望遠鏡として使用していたこと、水の流れから諸星の運行を観察し研究し、天文学に光を燈したこと、さらにはオックスフォード大学が、カラタイ・メドレセの観測機としての配置を模倣して作られたことなどガイドが伝えると、日本の人々は驚きで目を輝かせた。 ガイドはメヴラーナが熟考するためにこのメドレセをいつも訪れていたことや、一部の星からしばしば示唆を受けたこと、おそらく天空の観察にも参加し、さらにそこで、『メスネヴィー』の一節をも読んだことを伝えた。 「川の水に映る月のごとく、人間に見られるすべてのものは、かのお方(神)の映しである。そのアストロラーベの上の雲は、幽玄の天空と魂の灯火を明らかに知らせ、教えを授ける」メヴラーナの言葉をさらに続けた。「人間は神のアストロラーベである。しかし、アストロラーベをよく知る天文学者が必要である」と。 カラタイ・メドレセの後、文字装飾された冠の扉と大サロンによって特長づけられるインジェ・ミナーレ・メドレセの外観は、セルジューク朝の作品の中で重要な位置を占めるのだが、それほど感嘆するものではない。ただ、今まで経験した戦争の全貌を物語る掘り込みのある石が一塊となって、その一つ一つがしっかりとはめこまれた状態を保っていた。青色石によって装飾されたミナーレだけでなく、見事に細工された幾何学文様は、何世紀もの時が経たにも

【トルコ小説】「メヴラーナ」その1 日本人忠俊がトルコへ行く

トルコの作家 メラハット・ウルクメズさんは日本人を主人公とした作品を書いています。 経済大国と自負していたころの日本人のようですね。 あらすじは主人公忠俊がコンヤを訪れそこでメヴラーナについて興味を持ち始め、自分の存在を問い直すという内容です。 こんな感じではじまっています。 東京からコンヤにいたる道1 高橋忠俊 (たかはしただとし)氏は、世界でも屈指の某電機会社に勤める重役の一人である。彼は支社のチェーン店の連帯を図るため、そしてその輪を広げるためにプロジェクトチームを組み、イスタンブールを訪れた。   どれほど多くの西洋人たちが、日本人独特の和を尊ぶ精神を冷笑し、また日本の会社のために身をささげようとする尊い目的をばかげたことだとみなしたとして も、はたまた、この高貴な目的を抱く人々を集めるために、綿密に工作し、巧みに操作していると考えようとも、忠俊は、全く別の考えを持っていた。「人間性 と品性が大切である」と彼は考えた。奉仕するという信条は、利益を追求する傍ら献身的に働くことであると捉えていた。また生産性を追及する一方で、ある目 的のために奉仕するという信念を持ち生きる事を、他の人々にも持ってもらいたいと願っていた。もともと彼の気質の中には、人間への愛と人間の価値を最重要 視する傾向が見られた。彼は周囲の人々と共存する中で、包容力のある人間性を育んできた。そして、このような結びつきを失うと、西洋のように重い精神的苦 痛を感じながら生きていくようになることを彼は知っていた。他の日本人と同様に・・・   西洋では教会を中心として、人間の精神的絆を築き、それを独占という形で確立してきた。それとは逆に、日本では各個人が、個々に信条を持つという形があ り、ひとつを選択しなければならないと言う強制力が働くことはない。人々は無数の宗教を同時に信じている状況がある。たとえば仏教や儒教や神道など、どの 時代でも、それぞれすべてを同時に信仰していた。  忠俊は、日本人らしさを譲歩することなく、西洋の影響力がかなり強い会社についても、「おそらく、西洋の民族主義と東洋の精神主義がバランスよく保たれたので、長期間にわたる成功を会社は手に入れた」と考えていた。  イスタンブールでは会社の連携を図ること、その輪を広めること、製品の宣伝活動等に励んでいた。トルコの取締
にほんブログ村 テレビブログ 海外ドラマへにほんブログ村 芸能ブログ 海外芸能人・タレントへ

プロフィール

プロフィール

プロフィール画像
それはオスマン帝国外伝から始まった
Twitter
YouTube
当ブログにお越し下さりありがとうございます。ドラマのあらすじや登場人物のお話のブログです。どうぞお楽しみくださいませ。 ご連絡はEmailでお願いいたします。 Email