オスマン帝国外伝 ミーマル シナン [Ters Lale]【逆さのチューリップ】の謎

ミーマルシナンは スレイマン皇帝に仕えた名匠・建築家です。
彼は多くのモスクや複合施設を建造しました。

その中でも最高傑作とされているのがエディルネにあるセレミイェモスクです。
これドームが一つだけの屋根と言うのが建築上難しいらしく、評価が高い作品です。

今日はそのセレミイェモスクの柱の片隅に描かれた逆さのチューリップ(Ters Lale)について紹介したいと思います。

歴史家があるとき古本屋にいきましたらそこで半分破けた古い本に出合ったそうです。
その本の著者はオスマン時代末期のエディルネ在住の歴史家?だったみたいです。

エディルネについて詳しく書かれた内容でしたが、
タルハさんは
「逆さのチューリップ」(Ters Lale)についての真実を発見しました。

この「逆さのチューリップ」については、それまでにもトルコで有名な言い伝えがいくつかありました。
でもそのどれも違っていたのです。

真実はミーマルシナンの悲しいお話でした。

ミーマル シナンが この地にモスクを作ろうとしたときは、かなり年を取っていました。セリム2世の命令で長い時間をかけて作ったモスクでした。

かれには子供も孫もいました。ですが単身エディルネに来ていたので、彼らと離れ離れになっていたのです。
そこでシナンは
みんなの中でも特にシナンがかわいがっていた孫娘ファトマちゃんを、
ある時エディルネに呼びました。

呼び寄せたファトマちゃんをどこへでも連れて歩きました。
いつも一緒でした。
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ですがエディルネの冬はとても寒く幼い小さな女の子には耐えられるものではなかったようです。

ファトマちゃんは病気になってしまいます
8歳から10才だったそうです。
そのファトマちゃんは看病のかいもなくついになくなってしまいました。

それからと言うものミーマルな何は悲しくて悲しくて、一時は仕事が全く手につかないほどでした。

そして自らファトマちゃんのお墓と墓石をエディルネに造りました。
墓の上に「逆さのチューリップ」を描きました。

その後も悲しい気持ちが消えずにいたシナンは、とうとうセレミイェモスクの柱の一隅にもこのかなしいせつない思いを残したのでした。
それが逆さのチューリップでした。

誰にも気が付かれないように描かれた逆さのチューリップの中に悲しみが押し詰まっています。

逆さのチューリップはうつむき、打ちひしがれたミーマルシナンそのものだったのです。

と言うお話でした。

わあとても悲しいお話でしたが、チューリップの中に何百年もの間シナンのお孫さんファトマちゃんへの思いが生き続けているなんて感動です!

今まで私もこのチューリップのお話を知りませんでしたので、皆さんとシェアしたいと思いました。いかがでしたか?

写真で見たい方はこっちにも出てます。


ミーマルシナンはヒュッレム妃が眠っているモスク、ミフリマーフ・スルタンモスクやメフメト皇子のために造ったモスク等ほとんど現在まで残っている著名な建造物は彼の作品です。


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