史実イブラヒム パシャ③ 芸術家を保護し、寛容だった?
イブラヒムパシャと同時代に生きた詩人でありで、ある職業に従事した者たちの生活の様子を伝えた作品(Tezkir)を書いたラティーフィー(Latîfî)はイブラヒムパシャについて2つの物語を記している。
それに寄ると
彼は急激に出世し大宰相の職に就いた。その間の彼のふるまい、威厳、偉大な能力が、彼の傲慢さを増させ、名誉や地位に執着するようになったことを記されている。
もう一つの書にはイブラヒムパシャが寛容で、詩人たちを保護していたことを称賛している。
イブラヒムパシャの後の人々は芸術家を重要視しなかったため詩人や芸術家たちの信念や渇望が消えていったと記している。
そして民衆はイブラヒムパシャの価値を彼が亡くなった後に気づいたとも書かれている。
そし皇帝が彼の館や庭にも訪れたことがかかれている。
この皇帝との親密さを、「みんなの目にささるとげ“herkesin gözüne batan diken”」のようだと記している。
こうしてみると事実皇帝との関係が親密であったことがわかる。
さらに人々は彼へ嫉妬しているようにもみられる。
だが彼は本当に重要な人物だった。そのことが彼がいなくなったことによってみんなが知ることになる。
昔の本からの絵
ラマザンの夕食に招待されたイブラヒムパシャがサライで殺され裏門から外に出された様子。(Ramazanda iftara davet edilen ibrahim pasa sarayda öldürülüp arka kapidan cikartilan tabut)
棺がを担いでいる者たちを裏の扉から見ている二人。
彼についての伝承はいろいろだが、
彼が優れた軍人であり、役人であり、詩を愛し、詩人たちを保護する文化人でもあったことは間違いないようだ。
勿論重用される者にはつきものの嫉妬やうがった捉え方も多かったと推察できる。
出典
Latîfî, Enîsü’l-füsehâ ve Evsâf-ı İbrâhim Paşa