ムスタファの子供たちは何人? オスマン帝国外伝シーズン3 39話ハイライト
マニサでは悲しいことばかりが起こる。
ファトマとムスタファの子が病気になってしまった。
ファトマがヘレナの命を奪おうとしていた時、目の前でそれを見ていたあの赤ん坊だ。
それだけでなく
この子がおなかにいるときはファトマはヘレナの頭をハマムの水入れの中に押し込んだりもした。
勿論胎教にも悪いし、小さな赤ちゃんの前で人を殺めようとするのも考えられないことだ。
(ヘレナは歴史上では期日が残っていないので事実は明らかではありません)
でもファトマは平然とそれをした。その罰が下ったのだろうか、何の罪もない赤ん坊のスレイマンは病気になった。
ムスタファは心から子供の回復を祈り、医者に
「なおしてくれ、そうすれば褒美は何でもやる」
「できるだけのことは致します。外へ出ていただけますか」
と答えた。
部屋の外ではファトマを部屋に連れていくように命じるマヒデブランの姿があった。
病気の時に彼らのできることは祈ることしかなった。
しかしその祈りは届かなかったようだ。
あの幼いスレイマンは逝ってしまった。
悲しみに沈むマニサ。
ムスタファも涙を流した。
マヒデブランはそんな彼に。
「なんとも悲しいわね。でもまだこれから多くの子が生まれるわ」
と腕に手をかけ、頭をなぜ懸命に励ます。
マヒデブランも相当悲しいと思うが、
息子のことを最初に気遣っていた。
こうしてみるとマヒデブランは息子ムスタファには本当に優しい人だったようだ。
この後アイシェが身ごもりマニサは明るい雰囲気になる。
ところでムスタファの子供は何人いるのでしょうか??
1、今回なくなったスレイマン
2、昨日お伝えした1、ネルギスシャーNergisşah Sultanはマニサで生まれました。彼女は1536年アイシェ・ハートゥンの最初の娘です。
夫となったのはダーマト ジェナビ アフメト パシャDamat Cenabi Ahmet Paşaと結婚します。
彼は詩人で歴史家でエンデルン育ちで20年間アナトリア ベイレルベイを務められました。
3、1547年 アマスィヤで生まれたメフメト皇子です。1553年ブルサで若くして亡くなりました。母親はリュメイサ ハートゥン(ドラマではルメイサ)と言われています。
この方はドラマではシーズン4で隠れ結婚したミフリュニーサの子供として描かれているようです。
ドラマのメフメトはムスタファの死後ブルサへ向かう途中、母や祖母と違う馬車にのせられ、そのまま消えていきました。
4、オルハン皇子 1552年に生まれ 1歳ぐらいで病気になりコンヤで亡くなりました。
4、オルハン皇子 1552年に生まれ 1歳ぐらいで病気になりコンヤで亡くなりました。
母ルメイサ・ハートゥン
5、シャー皇女 1547年にコンヤで生まれました。ダーマト アブドゥルカリムと結婚し、1577年11月2日に亡くなりました。(母はベギュン ヌルジハーン妃 )
他にも
7、若くして亡くなったアイシェ皇女、
そしてベギュン ヌルジハーン妃の娘、
8、ハティジェ皇女、
9、ハンダン皇女がいました。
答えはムスタファの子供たちは全部で9人か10人です。