「パルガルイブラヒムパシャは別の国家を作るといったような考えがあったでしょうか?
「パルガルイブラヒムパシャは別の国家を作るといったような考えがあったでしょうか?
自分自身をスルタンと言いましたか?」
と言う質問に
答えています。答えは結論から言うと
「その長になりたいのか」と言うスレイマン皇帝の質問にも
「可能です」と答えたようです。
タルハさんが言うには、
何種類かの人がいますが、イブラヒムパシャは
困難な状況の中に飛び込みそれを解決し美しいシステムを作りあげる
種類の人間だったと高く評価しています。
彼はエンルデル出身の大宰相で、後にも先にも、順を踏まずに大宰相になったものは彼以外いないとのことでした。
さらに彼はエジプトでの反乱を鎮めただけでなくそこにシステマチィクな法体系を整備しました。そのシステムはオスマン帝国が消滅するまで変わることがなかったのです。
エジプトで素晴らしいシステムを構築したタルハさんは言っています。
このようにしてみるとイブラヒムパシャの業績は本当に大きいですね。スレイマン皇帝のことを立法者と言う称号で呼ぶことがありますが、
この法を整えたという称号の半分はイブラヒムパシャの力によるものだったのではと私は思いました。
サファヴィー朝遠征の時もイブラヒムパシャが遠征に出かける前に2度の軍が出かけ先に戦いました。でも敗走したのです。
それで3度目に私が行きますと言って出かけたイブラヒムパシャはカレンデルチェレビの反乱も力と言うよりは、その地域のグループの問題をひとつづつ解決し、味方につけたと言っています。
残ったのはカレンデルのグループ少数の者だけだったというのです。
ドラマでは乱暴に その地の人の代表を簡単に手にかけていましたが、あんなことはなかったようですね。反対に彼らに耳を傾け問題解決に取り組んでいたようです。
最後になぜ別の国を作ったほうが良いかと勧めたかと言うと、ドラマにもあったように
サファヴィー朝のタフマースブは弾いたり押したりする作戦をとっていました。
オスマン帝国軍が責めれば中央アジアやイラクへ撤退するわけです。
オスマン帝国軍はそこにそのままいるわけではなく、戦いに勝つとイスタンブルへ引き上げます。
するとまたすぐにタフマースブは戻ってきてその地を占領するというわけです。
ドラマでも観たシーズン3のサファヴィー朝との戦いでは、
タブリーズをイブラヒムパシャが勝ち取りましたが、その後バグダッドに軍が進んだので、
タブリーズはすぐにタフマースブに奪還されましたね。
ですから何度戦って同じことの繰り返しになりますね。
これでは埒が明かないと思ったイブラヒムパシャが進言したことはあながち間違いではないかもしれませんが、
スレイマン皇帝には国ではなくオスマン帝国の州と言えばよかったのかもしれません。
オスマン帝国 は 州 エヤレト(ベイレルベイリク)の集合体です。
州の下に県(サンジャク)があります。
よくメフメト皇子が行きたがっていたサンジャクのことです。
話を元に戻しますと、イランの地に統治体系ができればよかったのですから、新たな国を作らなくても統治はできたわけです。
イブラヒムパシャの意図が国王になることだったのか、オスマン帝国の繁栄を願ってのことだったのかは、今となっては真実はわかりません。
ですがイブラヒムパシャの功績は大きかったことだけは歴史が証明しているでしょう。
イブラヒムパシャの生きてきた道を振り返ると、私にはとてもスレイマン皇帝に反旗を翻そうなどと彼が思っていたようには思えません。
たとえ国王になったとしても、スレイマン皇帝に忠誠を誓って、オスマン帝国のために戦ったことでしょう。
皆さんはいかがお考えですか?
是非教えてください.