「オスマン帝国の帝とイスタンブルとトプカプ宮殿 」で分かった新事実!
と題して鈴木薫氏の公演会がありました。国立新美術館の3階の講堂の入り口に1時20分ごろつきました。
2時から始まるとので、30分前に行けば前列に座れると思っていくとなんと行動の入り口に行列が!
えっまさかこんなに人がもういるの?と驚きながらも行列に並びました。
思えばこんな長い行列に並ぶのは東北の震災以来です。
1時半になるとすこしずつ行列が動きはじめ皆さんが中に入り始めました。しばらくするとすると係員のきれいな方から、「ここからはもう立ち見になるかもしれませんのでご了承ください」とご通達がありました。
え!!!やっぱり座れないほどの人なんだと思い、わあ!オスマンて帝国ってこんなに人気があるの?それとも鈴木先生が人気があるの?と考えながら、いそいそと前に進んでいきます。受付のところでは半券を見せ、そして今日にお話のレジュメと他の場所での公演会のパンフレットをもらいました。 中に入ると、ほんとに満員!それでもなんとか最終列に滑り込みで座ることができました。
こうして始まった講演会!おもしろかったです!ほんとにあっという間に終わってしまって10分ぐらいしか講演しなかったのではと思うほど短く感じられました。
でも内容はもりだくさん!ボリュームたっぷりでした。
いろいろ面白お話がありましたがドラマに関連することでは、
スンビュルはスーダン人だった!
(ギュルアーとキラーズアーはどう見てもスーダン出身に見えない!)ハレム(後宮)で務める黒人の宦官はスーダンからエジプト総督の手によってイスタンブルにおくられた。 つまりスンビュルの出身地はスーダンてことになります。スンビュル役を演じているセリムさんはイラクに幼少のころ住んでいらっ写ったのでアラビア語で来ます(イラクの方言とスーダン方言は似ていないところもあります)
- ハレムの中の女性の様子を絵はない!
後宮ハレムの様子を知ることのできる資料(図や絵)はほとんどなく、今知られている光景はほとんどが想像図であること。ハレムに皇帝と成人した皇子、黒人宦官以外は入れなかった。
例外の図を紹介!してくれました。セリム3世皇帝の妹さんで建築に興味をもっていた皇女さまがえがかせたという図が存在していました。これは限りなく実態に近いです。
3階に分けられていて、一階では食事をしている様子、2階ではお祈りしている様子、3階では布団を敷くか、たたむかしている様子、日本と同じ床に布団を敷いて寝ていた。ベッドなし!
- 後宮を仕切っていたのは2人
黒人の宦官長と母后
- Osman皇帝は結婚しなかった。例外は2つ
スレイマン大帝の妻ヒュッレムと オスマン2世彼はイスラムのホジャの娘をめとった。(でも創始者オスマンベイはちゃんとけつこんしてたよね?)
- 皇帝の護衛たち
ソラクという皇帝を守る二人の護衛がなぜ背中をお互いに向けているか?
右に立つものは右利きで、左に立つものは左利き!背を皇帝に対して後ろに向けていないと、間違って皇帝に向かって矢を射る場合があるからとのこと。確かに左利きの護衛が必要だ!
- ある絵で皇帝が座っている。皇帝から見て右斜めに椅子に腰を掛けている拝謁客がいた。
普通拝謁者は椅子に腰を掛けないがこの方は特別で、属国のクリミア国の王だそうだ。彼はジンギスハンの直系の子孫。そのためジンギスハンに敬意を表して座ることができたという面白い話。ということマルコチョールの愛したのアイビゲはジンギスハンの子孫だったの? 母后も実はジンギスハンのしそん?
- なぜいつもヨーロッパの大使が両手を抱えられて引きずるように連れてこられたかなぞでしたが、今回理由判明!
ムラト1世がセルビアでつかまってミロシュ・オビリチに殺されたとき、ナイフで刺されたらしい。そのためナイフを使えないように両手を拘束されて、使者たちは皇帝の前に現れる!
- マトラークチュの細密画を紹介!非常に細かくよく描かれている!
- 皇帝の食事の様子
ムラト1世までは客を招待したときみんなに食べていた。その後皇帝はその場にいても一緒にたべることはなかった。
意外と粗食。主に羊の肉と砂糖とバターと香料で作られたものを食べていたらしい。はじめは台所で作られていたものを、のちには内定の近所で小姓が作った料理を食べていた。台所からだと運ぶのに時間がかかり、冷めるからだそうだ。(シェケルアーのつくった料理はたべなかったのかな? または彼は小姓だった?いやシェケルアーは小姓じゃない。料理する人だ。とするとスレイマンは料理長の食事を食べなかったことになる。またはスレイマンの時はまだ小姓がつくっていなかったのかな?謎が謎を呼ぶ、事実はだれがスレイマン大帝の食事をつくったのか?)
- おまけのお話
で紹介したハジュベキルのお店のことをたぶん話していました。
宮廷文化を今に伝えている例だとおっしゃってました。このお店の品を地方にお土産に持っていくと喜ばれるそうです。確かに以前中部アナトリアにいたとき、ある方がこのお店のロクムをもってきてくれました。周りのトルコの方々はほんとにうれしそうに食べていました。
良い日曜日を!