新・オスマン帝国外伝~影の女帝 キョセム~(Muhteşem Yüzyıl: Kösem)シーズン1の53話後半、54話前半 20の2
彼はヒューマシャーの後すぐにイスタンブルに向かったので離婚するという内容の手紙が彼には届いていなかった。
ハサン・パシャは離婚をOKしなかった。
53話後半
そして彼女の行動を記したノートで彼女の悪行を暴くと脅かす。
わあヒュマーシャーの上を行く者があらわれたようだ。
だが彼の到来を喜ぶ者もいた。
誘拐されたキョセムは無事助かりハレムに戻った。
キョセムは息子たちに会いたいと思ったが、息子たちは彼女の部屋にはいなかった。事情を聴いたキョセムはヒュマーシャーの元へ急ぐ。
「ようこそキョセム」 (ホシュゲルディン キョセム)
「助かってうれしいですわ」となにくわぬ顔であいさつするヒューマシャー。
キョセムは
「皇子たちをあなたの部屋に移しましたね」と半分怒った顔で話し出す。
「戻るか戻らないか明らかではなかったからよ 」と涼やかに答え立ち上がる。
「あなたに起こったことに少しあなた自身にも責任がありますわよ。命令に従ってサライからお出にならなかったなら、何もおこらなかったのですわ。そして母のために祈って、彼女のおかげで見つかったのです」
と続けた。
キョセムがイスケンデルがけがをしたことを話すとヒュマーシャーの顔色が一変する。イスケンデルは彼女の実の弟なのだ。
わあ、彼女の仕掛けた罠がブーメランのように自分に戻ってきた。
もしイスケンデルに何かあったらどうするつもりだったんだろう?
54話前半
キョセムとハリメは話している。
キョセムとハリメは話している。
今回のことはヒュマーシャーの仕業だと言うハリメ。 彼女たちにとってハサンパシャが来たのは好都合だった。
でもヒュマーシャーはエジプトに帰るだろうか?
ヒュマーシャーはイスケンデルの見舞いに訪れる。
ヒュマーシャーはイスケンデルの見舞いに訪れる。
いとおしそうにイスケンデルを見ているところへ小姓頭がやってきた。彼は誤解したようだ。
ヒューマシャーがイスケンデルをすいているのだと感じたのだった。
キョセムと皇帝が座って話をしている。
「なぜすぐ来たのだ、自分の身の危険に犯してまで・・・」
と言うとキョセムは
「あなたをを失うかもしれないとこわかったからよ」と答える。
皇帝は
「みんないなくなってしまって、残っているのはあなただけだ」と言い、二人の恋砂はこのことでより深まった。皇帝は母親の死の痛みから立ち直ったようだ。
乙女の塔を眺めながら小姓頭に皇帝はサフィイェのことを話す。サフィイェの望み通り乙女の塔からエスキサライへ移すというのだ。
キョセムと皇帝が座って話をしている。
「なぜすぐ来たのだ、自分の身の危険に犯してまで・・・」
と言うとキョセムは
「あなたをを失うかもしれないとこわかったからよ」と答える。
皇帝は
「みんないなくなってしまって、残っているのはあなただけだ」と言い、二人の恋砂はこのことでより深まった。皇帝は母親の死の痛みから立ち直ったようだ。
乙女の塔を眺めながら小姓頭に皇帝はサフィイェのことを話す。サフィイェの望み通り乙女の塔からエスキサライへ移すというのだ。
キョセムは、今回のことはサフィイェの仕業だとジェンネトとハジアーに話す。 そして今回の実行犯ナスフ・パシャをキョセムは呼び出す。
小姓頭は乙女の塔を訪れサフィイェをエスキサライへ移した。
イスケンデルも少しよくなり立ち上がる。そこへビュルビュルとヒューマシャーがやってくる。 彼女は彼にやさしく話しかける。
「キョセムを助けるために一人で立ち向かったそうね 」
「スルタン様、私はただ任務を果たそうとしただけす。皇帝とキョセム様のためなら何でもします。命をも投げ出す覚悟です」
「そうですね、けれども、あなたのような忠誠心の強い兵士は簡単には育ちませんのよ。そのためにご自身をも守らなければなりませんよ」と言って微笑む。(いいなあこの笑み・・・ )
ヒュマーシャーは
「母も助かったわ。弟もかなり良くなってきているわ。ただハサンパシャが私の悩みの種ね。行く先に石を置くつもりよ(妨害する)」
と困った顔をするとビュルビュルが
「心配しないでください。インシャアッラーあなたは邪魔な石をひとつづつ取り除くことでしょう」という。
とうとうサフィイェは乙女の塔を出る時が来た、服を着替え指輪をはめる。
これはヒュッレムスルタンの指輪だった。
スレイマンが初めてかのイジョに贈ったグリーンの指輪だ。
エスキサライに戻ったサフィイェは満足だった。
以前はこのエスキサライをみんなが嫌がったものだが、乙女の塔とは雲泥の差がある。
そこより断然快適!
それでサフィイェは「神に感謝します」言ってエスキサライの門をくぐった。
そうなのだ、人の幸せの感じ方は相対的なもので、少し前の状態よりも今がよい状態ならば幸せと感じる。
そうなのだ、人の幸せの感じ方は相対的なもので、少し前の状態よりも今がよい状態ならば幸せと感じる。
それをずっと以前には不幸せな状態だと思ったことがあってもだ。
絶対的な幸せと言うものはなく、私たちはいつも何かと比べて幸せを感じたり、感じなかったりするのだから、本当に人って不思議だ。