Hümaşah Sultanの謎!その1 メフメット皇子の娘の名はヒューマシャー (Hümaşah )

家の前の通りに出た明菜はハナーにばったり会いました。
ハナーちゃん、暗い顔しちゃってどうしたの?
実はヒューマシャーのことで頭がこんがらがっちゃってさあ
ヒューマシャー?ああ、ヒュッレム妃の玄孫(やしゃご)の方ね
ヤシャゴって
孫の子を言うのよ、孫の子は来孫(らいそん)っていうらしいいわ
じゃあアフメト1世はヒュッレム妃の来孫になるわけかあ、なんだかおもしろいね
あらなんとなくげんきになってきたようね

少しく明るくなったハナーは
そうだヒューマシャーのことでグチャグチャだったんだっけ。そのヒシャゴだかヤシャゴだか知らないけどさあ、
ヒュッレム妃の孫ムラトの長女はアイシェと言う名前なんだよ。それで、 ヒューマシャーって何だいと思って、Hümaşahで検索するとその名が数人も出てきてさ、
それだけでなく、それらの情報が混ざってる部分もあるみたいで、ムラトとサフィイェの娘のアイシェのことをヒューマシャーって呼ぶかどうかははっきりしないんだ。
そうなの?ヒューマシャーと言うと、いちばん有名な方ってどなたなの?
はじめにヒットするのは、ヒュッレムの長男メフメット皇子の娘さんだね。1540年ごろ生まれたんだけど、メフメット皇子は早くにびょくきで亡くなったんだ。彼のお子さんが一人だけだったんだ、その子がヒューマシャーって名らしい。
えっメフメット皇子はびょうきで亡くなったの?マヒデブランの策略で亡くなったと思っていたわ・・・
うんドラマではそうだけど、本当のところはわからないよ、マヒデブランのいんぼうかどうかはともかく天然痘で亡くなったことは確かだね
彼の娘さんはどうなったの
1543年父親が亡くなってから、おばあちゃんのヒュッレム妃に預けられて育ったんだ。1566年ちょうどスレイマン大帝がなくなる頃、第3宰相のフェルハドパシャと結婚してエスキサライの境内に住んだんだよ。
25か26歳で結婚したのね。
うん9年ぐらい結婚生活は順調だったんだけど、1575年2月6日にフェルハドがなくなると、その6か月後ララカラムスタファパシャと結婚。
そのあとメフメドパシャと結婚したんだ。
3回結婚したのね。
いつ頃亡くなったかわかんないんだけど、メフメット皇子ジャーミーの一角に父親と叔父のジハンギル皇子と一緒に埋められたいるんだよ。
へえ、あの可愛いジハンギルと一緒に眠っているのね。ほかにはどんなヒューマシャーがいらっしゃるの?
彼女のいとこのミフリマーフの長女もヒューマシャーなんだよ
ニギャールが誘拐して崖から一緒に飛び降りようとしたあの赤ちゃんね!!
でもミフリマーフの子って、名前はアイシェではなかった?
うん、あっ、いけない、カレー粉買いに行くの忘れちゃった!頼まれて買い物に行くところだったんだっけ、買ってくるね。
ええ、いってらっしゃ~~~い
と言うことで買いもにいっちゃったので、
ミフリマーフの娘ヒューマシャーについては次回に、お楽しみに
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