【史実 タシュルジャル ヤフヤー TAŞLICALI YAHYÂ】「シェフザーデ ムスタファの詩」を書いた方

アルバニア系のドゥカイケン家出身。正確な生年月日は不明。1488年か89年ごろといわれている。

彼が住んでいた場所は石が多くタシュル(石のある)ジャルと呼ばれていた手目彼はタシュルジャルとも言われる。この北アルバニアからデウシルメによって徴収された彼はイスタンブルに連れてこられた。



彼は最初アジェミ オウランラル オジャウで教育を受けた。のちにスィパーヒーになった。 
彼は学問への熱意が強く、イエニチェリ オジャウの時才能が花開き、実力も素晴らしかったため、シェハーベッティンベイの注意を引いた。

その後頭角を現しケマル・パシャザーデやフェナーリーザーデやムフイッディーン・チェレビのような学者や詩人たちの集会にもしばしば参加した。この時、政府の高官たちとも知り合うチャンスを得た。

セリム1世の時代にチャルドゥランの戦いとエジプト遠征に参加した。

時がたつにつれ彼の詩の名声は高まったが、ハヤーリ・ベイに批判を受け彼は実力に合った地位につけなかった。

スレイマン大帝がハヤーリ・ベイを重用したため、彼はルステムパシャの保護下にはいった。そしてエイユプワクフの管理者になった。(オスマン帝国外伝のドラマでルステムとは最初から敵だったように観ていると感じるのは私だけ?)だがこの仕事は長く続かなかつた。

ルメリ(ヨーロッパ側の地域)イズヴォルニック サンジャクに派遣され、ハフラル軽騎兵軍に加わり、イスタンブルに戻ることはなかった。

スレイマンの最後の遠征・スィゲトヴァール包囲戦に彼は参加したが、当時80歳を過ぎていたといわれる。彼はスレイマンが亡くなるとき子供たちを頼むといわれた。

晩年にはギュルシェーニー シェイフ ウルヤーニー メフメド デデ(Gülşenî şeyhi Uryânî Mehmed Dede)に師事すしスィフィーとしてその生涯を閉じた。

亡くなった日年月日は諸説があり、1582年に90歳を過ぎていたと学者の見解が一致している。お墓はセルビアのイズヴォルニクのそばのロズニチェにある。

スレイマン大帝がバグダッドに遠征したときの同行しフズーリーと出会った。それからヤフヤーは「ペンと剣の所有者」と称されるようになる。勇敢な兵士であり、かつユニークな詩人でもある人物として知られている。

ドラマで読まれた「シェフザーデ ムスタファの詩(Şehzade Mustafa Mersiyesi)」のような詩を綴るには当時非常に勇気のいることだったが、彼は真実を重要視した。兵士としてだけでなく、そういう意味でも彼は非常に勇敢だった。

ガザルとメスネヴィー(4行詩)に通暁しており彼の詩はユニークで誰もまねができなかった。 彼は生存中も死後も彼の性格と詩はみんなから称賛された。 ヤフヤーの2行詩の特徴は高揚した感情の流れを鮮やかに描いているところだ。 
彼が青年時代に書いたガザル(詩)は愛についてであり、メフメド デデに師事して後書かれた作品はスーフィズム的要素の濃い文となっている。彼の風刺文も優れていた。

彼のトルコ文学への貢献は計り知れないものがある。ペルシアの例にとらわれずにトルコ語で地域色豊かなシンプルなトルコ語でメスネヴィーを書いた。 彼の出身地はアルバニアであり、長い間遠征に参加しオスマン帝国の辺境地をの軍隊に所属していた。このために彼はアルバニアの人にもわかる、辺境地に住む人にもわかるそして軍人たちにもわかるシンプルなトルコ語の単語を選んで使った。 すべての人に理解できるようにと・・・ 
詩で、きらびやかな形容は本質的な意味をそこね、また秘密めいた言い回しも役立たずだと考えていたようである。

ヤフヤー役はSerkan Altunorak セルカン アルトノラクが演じている。

シェフザーデ ムスタファの詩(Şehzade Mustafa Mersiyesi)英語の訳は以下のサイトにあります。

https://www.youtube.com/watch?v=tzTIPPX4iyU
    Help, help, a part of the world is on the brink of collapse.
    The executions of death captured Mustafa Han
    The sun went down on the beauty of his face, everything is lost.
    The Ottoman Empire is left under conspiracy and guilt.
    They were backbiting him when that bravest man was mentioned.
    Fate turned the Sultan of the world to their side.
    The slanders of the liar and their hidden grudge,
    made us shed tears and it lit the fire of separation.
    He didn’t kill anyone like a blood-thirsty man,
    he was drowned in the flood of calamity, his men disbanded.
    I wish my eyes had not seen it happening.
    Woe. This judgement was not fit for him.

    He was decorated with whites like a minaret made of light.
    He was openhearted like the morning.
    He appeared to the people like a tree in a flower garden.
    He walked among his people like a tulip garden.
    But the Sultan of the world was standing with anger like fire.
    His tents were like snowy mountain tops,
    they were decorated with bodies like Akhisar.
    He walked towards the unstable sun to kiss his hands.
    He didn’t come back because he turned into an eclipsed moon.
    People who had seen this cried like spring clouds.

    This tent of the world is like a two headed dragon.
    One who falls into its mouth disappears.

    That dragon beat the Zal of time again.
    The harm came to his body from the cruelty of Rüstem.
    Stars of tears were shed, lamentations increased.
    The moment of his death has become a sign in the judgement day.
    Everywhere has been filled with cries, sighs, and tears.
    Old and young cry, everyone cries without stopping.
    The tears flooded and flew to the land of body.
    I wonder if the Sultan of the world is on a bed of happiness.
    He, the soul of men, became earth.
    Is it fair that the evil doer, Satan, is alive?

    Don’t put our sighs on the ground like the morning wind,
    They insulted the line of our Sultan.

- Taşlıcalı Yahya Bey ( 1489 - 1582 )

関連記事
にほんブログ村 テレビブログ 海外ドラマへにほんブログ村 芸能ブログ 海外芸能人・タレントへ

このブログの人気の投稿

オスマン帝国外伝シーズン2最終話あらすじエピソード63 (77話、78話、79話) 

プロフィール

最新記事

もっと見る

プロフィール

プロフィール画像
それはオスマン帝国外伝から始まった
Twitter
YouTube
当ブログにお越し下さりありがとうございます。ドラマのあらすじや登場人物のお話のブログです。どうぞお楽しみくださいませ。 ご連絡はEmailでお願いいたします。 Email