クイズ オスマン帝国外でシーズン2の54話
クイズ
クイズのためのヒントが書いてある文(54話)
イブラヒムはスレマンの気持ちがわかっていたがハティジェに言われたことが心の大きな重しとなり素直にオスマン家に仕えることができなくなってしまった。「すべての人がオスマン家に仕えているのよ、そして私がそのオスマン家なの、あなたは私に仕えるということよ」
みたいなことを言われた時、イブラヒムのハティジェへの愛はおわってしまった。
クイズのためのヒントが書いてある文(54話)
イブラヒムはスレマンの気持ちがわかっていたがハティジェに言われたことが心の大きな重しとなり素直にオスマン家に仕えることができなくなってしまった。「すべての人がオスマン家に仕えているのよ、そして私がそのオスマン家なの、あなたは私に仕えるということよ」
みたいなことを言われた時、イブラヒムのハティジェへの愛はおわってしまった。
明日婚約式を迎える今イブラヒムがその式に参加しないことは、スレイマンへの謀反とみなされる。スレイマンはハティジェに「来なければ命はない」というと、ハティジェはイブラヒムのホントの気持ちもわからずムスタファにイブラヒムを連れてきて頂戴と頼む
ムスタファは断れずイブラヒムのいる狩猟用のロッジへ迎えに行くが、とうとう説得できず戻ってきた。宮殿にはダーマート(婿)に会いたがって首を長くして待っていたサーヒブ・ギレイハンがいた。
ヒュッレムが指揮の準備をしている。するとヒュッレムの冠が壊れてしまったのに気づく。そこでミンアを問い詰めるがミフリマーフは付き人のせいにする。付き人は触ってもいませんとむじつを訴えたが、ヒュッレムはミフリマーフを信じ、付き人ニ出て行けと怖い顔して怒鳴る。
マルコチョールとアイビゲはどうなったのだろう?
ヒュッレムがギュルアを酒場に送りマルコチョールの本当の気持ちをエレニカから聞き出す。そしてヒュッレムはそのことをアイビゲに話すと、アイビゲは後悔したが、ことすでにおそし!何故なら明日は婚約式なのだから・・・
それでもヒュッレムに励まされて1%セントの希望を持ち始める。
そしてマルコチョールを訪れ、
「なぜ本当のことを言ってくれないの?私を好きでしょう?」ときくとマルコチョールは自分は兵士でありアクンジュであるので、スレイマンに忠誠を尽くすことが自分のつとめだというとアイビゲは絶望して去って行く。
だがまたヒュッレムに励まされる。バナイナン バナギュヴェン イェテル
「わたしを信じて、それでじゅぶんよ」と自信満々にアイビゲに言うので、アイビゲは少し元気になったようだ。
でもヒュッレムはほんとにアイビゲには優しい。できることをやり尽くしている。いやできないこともやろうとしている。もしマルコチョールとアイビゲがハッピーエンドになってもヒュッレムは何の得もしないのだから、これはただただヒュッレムのアイビゲに対する純粋の思いから出ている行動なのだ。
ヒュッレムは敵にまわすと恐ろしいけれど、味方に付いたら百人力だ。
ほんとにほんとに強い!アイビゲが幸せになれるような気が私たちに感じられてくるのだから・・・
こうしてそれぞれの思いを胸に婚約式が始まろうとしている。だがそこにはイブラヒムの姿はなかった。
諦めて式を始めようとしたスレイマン。そこへなんとイブラヒムは現れたのだ!
ほっとする人々・・・ようやく婚約式は必要メンバー全員が参加して無事終わった。
しかし!
イブラヒム式が終わると帰ろうとする。それを知ったスレイマンは・・・
クイズ
問1ヒュッレムはアイビゲのために何かしたいと思い行動を起こしましたが何をしましたか?
ギュルアーを酒場のエレニカに会いに行かせマルコチョールの気持ちを確かめさせた。
ムスタファに怪我をさせ婚約式を引き延ばした。
問2イブラヒムのくびをはねるとおどかされたハティジェは誰にイブラヒムを連れてくるようにたのみましたか?
マルコチョール
ムスタファ
マトラークチュ
問3 誰がヒュッレムの冠を壊しましたか
ミフリマーフ
メフメット
エスマー
問4 マルコチョールはアイビゲとスレイマンのどちらを重視しましたか?
スレイマンへの忠誠
アイビゲへの愛
問5 アイビゲの父で 母后の弟のギレイハンはどこのハンですか?
クリミア
ボスニア
ハンガリー
答え
1、ギュルアーに真意を確かめに行かせました。
2、甥のムスタファです。イブラヒムは老いのムスタファを強く守ろうとしていたのでムスタファなら説得できるかもしれないと最後の望みを彼に託しました。
3、ミフリマーフです。女の子だから一度はつけてみたいと思う気持ちは分かりますが、壊した後付き人のせいにしたのはよろしくありませんね
4、スレイマンへの忠誠です。マルコチョールは武人気質で、敵と戦い国を守ることを何よりも重んじまたそうすることを誇りにも思っていました。
5、クリミアです。クリミアはどの時代でもその周辺諸国にとって大変重要な場所でした。オスマン帝国の属国の形でギレイハンは1532年から1551年まで統治しました。