史実では【ハティジェスルタンとイブラヒムパシャは結婚していなかった】
イスマイル ハック ウズンチャルシュルル Prof. İsmail Hakkı Uzunçarşılı
トルコの歴史家。
トルコの歴史家。
1888年イスタンブルで生まれる。数多くの歴史書を残している。
大學卒業後歴史の教師をしていたが、バクルエスィルのから国会議員として当選した。
大學卒業後歴史の教師をしていたが、バクルエスィルのから国会議員として当選した。
そ1926年1月14日から1950年までの職を務める傍ら,
1932年から1938年までイスタンブル大学で歴史を教えた。
1932年から1938年までイスタンブル大学で歴史を教えた。
89歳で亡くなった。
この方が描いた本『オスマン家の歴史』(TTKのOsmanlı Tarihi)によるとハティジェスルタンはイブラヒムパシャは結婚していなかったという。イブラヒムパシャはオスマン家のダーマト(婿)ではなくムフスィネと言う名の女性と結婚していたことをある資料にもとづき明らかにしている。そしてハティジェスルタンはイスケンデルパシャと結婚していたことを明らかにしている。
その資料はイブラヒムパシャの書記官(テズキレジ)そして後に大宰相の書記官長(reisülküttap)を務めたジェラルザーデ ムスタファチェレビが記したTabakatü'l-Memâlikという書に基づいている。
そこにはダーマトにならなかったこと、イブラヒムパシャがオスマン家はかかわりのない人と結婚していたことも描かれている。
ウズンチャルシュルは『オスマン家の歴史』2巻の初版でイブラヒムパシャがハティジェと結婚したことを書いたが、後にそれが間違いであったと自らが訂正している。
他にもウズンチャルシュルはイブラヒムパシャが妻に送った手紙にもその証拠が見られるという。
イブラヒムパシャは1524年の手紙で、『義理の母様によろしくお伝えください。そして祈りをありがとう』"Kaynanama selam ve dualar ederiz"と文の最後にあいさつ文を書いている。
この言葉から彼の義理の母が母后ではないことが明らかであるとしている。
また彼の妻がイブラヒムパシャにあてた手紙で
「母后がお亡くなりになったのですがけれに許可なくお悔やみに出かけたことをおゆるしください」"valide sultanın vefat ettiğini fakat kendisine (İbrahim Paşa'ya) danışmadan taziyeye gittiği için paşasından özür dilediğini"と書いてあったことからも、母后は妻の母ではないことが明らかであるという。
もし彼の妻がセリム1世の娘であったなら、母后つまり自分の母に哀悼を示すために黙って出かけたことを謝ることはありえないというものである。
https://www.magazinmax.com/haber-muhtesem-yuzyilda-muhtesem-hata-2
少し詳しくて頭がこんがらがってしまうかもしれませんが、トルコでも信頼のおける歴史家が初めはハティジェスルタンとイブラヒムパシャが結婚していると思っていたのですから、私たちがこんがらがってもあたりませでしょう。
彼は当時の資料や手紙を調べていくうちに、それはありえないことが明らかになっていきました。それで、前言を撤回しました。
でも英語版やトルコ語版のウィキペディアやトルコの新聞記事などでもハティジェスルタンはイブラヒムパシャと結婚していたと記述されています。(その根拠が明らかでないとなっています)
と言うことで今日はハティジェスルタンとイブラヒムパシャが本当は結婚していたかと言うことについてお話してみました。
とはいうもののドラマでは彼女たちがずっと盛り上げてくれたので、真実は重要ではありませんね。次回は史実のハティジェスルタンについてお伝えしたいと思います。お楽しみに!
この方が描いた本『オスマン家の歴史』(TTKのOsmanlı Tarihi)によるとハティジェスルタンはイブラヒムパシャは結婚していなかったという。イブラヒムパシャはオスマン家のダーマト(婿)ではなくムフスィネと言う名の女性と結婚していたことをある資料にもとづき明らかにしている。そしてハティジェスルタンはイスケンデルパシャと結婚していたことを明らかにしている。
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ウズンチャルシュルは『オスマン家の歴史』2巻の初版でイブラヒムパシャがハティジェと結婚したことを書いたが、後にそれが間違いであったと自らが訂正している。
他にもウズンチャルシュルはイブラヒムパシャが妻に送った手紙にもその証拠が見られるという。
イブラヒムパシャは1524年の手紙で、『義理の母様によろしくお伝えください。そして祈りをありがとう』"Kaynanama selam ve dualar ederiz"と文の最後にあいさつ文を書いている。
この言葉から彼の義理の母が母后ではないことが明らかであるとしている。
また彼の妻がイブラヒムパシャにあてた手紙で
「母后がお亡くなりになったのですがけれに許可なくお悔やみに出かけたことをおゆるしください」"valide sultanın vefat ettiğini fakat kendisine (İbrahim Paşa'ya) danışmadan taziyeye gittiği için paşasından özür dilediğini"と書いてあったことからも、母后は妻の母ではないことが明らかであるという。
もし彼の妻がセリム1世の娘であったなら、母后つまり自分の母に哀悼を示すために黙って出かけたことを謝ることはありえないというものである。
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彼は当時の資料や手紙を調べていくうちに、それはありえないことが明らかになっていきました。それで、前言を撤回しました。
でも英語版やトルコ語版のウィキペディアやトルコの新聞記事などでもハティジェスルタンはイブラヒムパシャと結婚していたと記述されています。(その根拠が明らかでないとなっています)
と言うことで今日はハティジェスルタンとイブラヒムパシャが本当は結婚していたかと言うことについてお話してみました。
とはいうもののドラマでは彼女たちがずっと盛り上げてくれたので、真実は重要ではありませんね。次回は史実のハティジェスルタンについてお伝えしたいと思います。お楽しみに!