フィルーゼの好きな詩人【フズーリー】とは(オスマン帝国外伝シーズン3 【7話から】
フズーリー (1483年誕生、1556年死亡)
彼は遊牧生活をやめ現在のイラク地域に定住したオグズ族のバヤト族の出身です。
フズーリーは正確ではありませんが、1483年白羊朝の時代にイラクのカルバラまたはナジャフかキルクーク州のケール地区に生まれたようです。
ヒラー市のムフティであった父親から、教育を受け、後にラメトッラーという教師に学びました。
その後の教育について正確な情報はありませんが、彼の作品から、彼はイスラム科学と天文学のと語学の分野で非常にすぐれていたことがわかります。
トルコ語のほかにも、アゼルバイジャン語、アラビア語、そしてフィルーゼが語ったペルシャ語でも詩を書きました。オスマン語やチャガタイ語も知っていたそうです。
トルコ語の作品の中ででは
"İlimsiz şiir temelsiz duvar gibidir, temelsiz duvar da değersizdir 「知のない詩は基礎のない壁のようなもので、基礎のない壁は価値がありません」
と綴っています。彼がここでいう知(イリム)とはイスラムの知です。
彼はこのように世俗的な愛というよりは神への愛、預言者と預言者のご家族への切望と別離などが彼の詩の主題でした。
彼は非常に誠実で叙情的な方法で自分の感情や考えを表現することに成功しました。
彼に匹敵するトルコ詩人と言えば、ユヌース・エムレ以外にはいないでしょう。
彼の作品「レイラとメジュヌーン」を題材にした詩は最高傑作です。
ハーフズ(イランの詩人)やのネスィミーとネヴァイ(トルコの詩人)に強い影響をあたえました。
1556年にカルバラで流行した感染病(ペストまたはコレラ)で死亡したと思われます。
彼は自我を驕りから遠ざけるため、彼は「空の、不必要な、意味のない」を意味する「フズーリー(fuzuli)というの偽名を使用していました。本当の名前は
ムハンマド・ビン・スレイマン(محمد بن سليمان Muhammad bin Suleyman)です。