フィリズ・アフメトさんが北マケドニアの湖で禅をする?
ニギャール役で活躍中のフィリズさん、最近は白爪草の敷き詰めた北マケドニアのマントヴォ湖のほとりの公園で、水の音を聞きながら、禅に取り組んでいるようです。
ですが写真を見たところインドのヨーガみたいな感じもします。腕を開いて指を丸めているようにみえませんか?(座禅では手の組み方は法界定印(ほっかいじょういん)といい、手を組み合わせて両手の親指は少しくっつきます)(参照https://www.zen-essay.com/entry/zazen)
禅もヨーガもスコピエでは同じにとらえられているのでしょうか?
と思い、ちょこっと違いを調べてみると、実は90%は同じなんだそうで、座禅はヨーガから来たそうです。びっくり!ヨーガの一つの座法(結跏趺坐(けっかふざ)の形)が座禅だそうです。
見た目ほぼ一緒ってことなんでしょうか?(手の位置は関係ないのですね、きっと・・・)
では座禅とヨーガの違いは何なの?っいうと少し難しい話になります。
お釈迦様の歴史を振り返らなければならないようです。
お釈迦様はもともとインドの王子さまでした。
ところが出家してしまいます。
その途中でヨーガの修行をなさったようです。
ですが彼はやはり何か違うと思ったようでした。
修行によって自分を忘れることができるようになったのですが、置いて病気になりやがて死ぬという恐怖を取り除くことができませんでした。
そこでインドで昔から伝わる苦行の修行を6年間試みました。
その試みも彼の問題提起を解決してはくれませんでした。
彼はほとほと疲れ果てて(この時は体は苦行のせいでボロボロになっていました)
ある木の下に座りました。この木の名は菩提樹。
この時お釈迦様はヨーガの座法で座りました。でもヨーガや苦行のように心を安らかにすることを求めるためではありません。
反対にどうしたらよいか何もわからない状態で、何も求めることすらできずに、座ったのでした。8日間の後、目の前の者すべてが真実だったと彼は悟ります。
ここがヨーガとの違いだそうです。ムムム、なんとなくわかるけどなんとなくわからないって感じですね。
わかったことはヨーガは忘我により平安を求めるために座り、座禅はありのままを見るために座るということです。
例えば死、
お釈迦様にとって、死そのものは怖いものではなかlったのですが、死から逃れたいと思う時、不安になり怖くなりました。
逃れたいという気持ちを座ることで無くす点にスポットをあてたのが、お釈迦さまの悟りと言うことになるのでしょうか。
と言うことで
やはりフィリズさんは禅をしていたのではないかと思います。
禅のお話は置いといて、どうかみなさん、素敵な湖をご覧になってくださいませ。水の音はほんとにいいですね^^