
先日マルコチュオウルって書かれたお墓の話がでてたわね。

うん。そのお墓はマルコチュ・ベイのお墓だって権威のある学者さんたちが言ってたわ。

マルコチュオウル(マルコチョール)はどこから来たのかな?

そうじゃな、マルコチュオウルラルはトルコ系の
軽騎兵の家系属する者に与えられた名前なんじゃよ。

軽騎兵って?

トルコ語で akıncı という。 時々アキンジって日本語表記では書かれているが、点のないiはイの口でウと言う音を出すようにするんだよ。

主に偵察や先発部隊として活躍していましたね。アクンジュともきこえますね。

でも彼らはかわいそうなことに
非正規軍だったんだ。だから給料はオスマン帝国から払われなかったんだよ。

わあ昔も非正規で働くことがあったのですね。非正規での労働は今も昔も労働環境が正規に比べてかなり厳しいようですね。

そうだな、危ない仕事をさせられた割には
褒賞は国から出ない!なんとも理不尽な話だな。

2人ともなんの話してるの?

マルコチュオウルの話をしてたわね 確か・・・

そうそう、はなしを戻すと、マルコチュオウルの祖先は
マルコチュ・ベイと言う方よ。あのお墓の主よ。

彼は
ムラト1世の時代、バルカンの国々で行われた戦争に
アキンジ(アクンジュ)軽騎兵として参戦した方ですね。

彼の子孫たちがマルコチュオウルって呼ばれるようになったんじゃよ。
マルコチュは始祖の名前さ。
オウルは息子っていういみがあるわよね。わっ、わかった!つまり
マルコチュの息子 マルコチュ家ってことなのね。

そうかもな。マルコチュオウルにラルが付くと複数になるんだよ。たぶん氏族が集まって部族になるとラルがつくんだね。

マルコチュオウルラルか・・・

14世紀から16世紀にかなり功績をあげて、知れ渡るようになりましたね。

そうそう大活躍をしたマルコチュオウル達が何人か史実でも知られているんじゃよ。

彼らはどこから来たのかしら?

マルコチュオウル(マルコチョール)の軽騎兵達はブルガリアの北東にあるシリストラ(ドナウ川沿岸)のあたりに住んでいたんじゃよ。

ブルガリア?

主に史実で出てくるマルコチュオウルベイは15名ぐらいになるね。

へえ、そんなにいるの。もしかしたら発見されたお墓はその中の一人のものかもしれないわね。

一応、学者さんたちがお墓をリサーチしましたが、その報告書は手に入りませんので手元には確実な情報はないのです。

そうなんだ。ともかくマルコチュオウル一族の誰かってことよね。

はい。

ところでマルコチュオウルは日本語ではマルコチョールとつなげて発音されて書かれているが、マルコチュオウルMalkoçoğlu は マルコチュMalkoç と オウルoğlu という別の語彙をくっつけた言葉なので、トルコの人はマルコチュオウルって感じに発音しているみたいだな。さらにいうとオウルのウはユムシャクゲーと言う文字なのでウじゃない。喉の奥のほうでのばしぼう の ―を出すようにするより近い感じだが。

えっ?まるこ
ちょーるじゃないの?

さらに付け加えるとチュ葉実は子音のチェーの音なので、小さいユも必要ないかもしれませんね。マルコチュオウルも正しい音ではないですよね。マルコチョールっていうとスペイン系の感じもしますね。

今度よおく、きいてごらん。ドラマの登場人物たちはMalkoçoğlu っていってるようじゃよ。çチェーとğユムシャクゲーに気を付けてきいてみるとおもしといじゃろ。

わあほんと?こんどきいてみようっと。

日本表記は難しいってことのなのね。ところでほかのマルコチュオウルはどんな人たちなの?

それはかなりおもしろいことになってるのですよ。

何々?なにがおもしろいの?
スレイマンの父方の叔母つまり
セリム1世の姉妹の1人に
ヒューマ・スルタンと言う人がいるんだが、

うんうん、

その方が実は史実ではドラマに出ているマルコチュオウル バーリ ベイのお父さんと結婚しているんだよ

ええええ!ってことは2人はいとこ‽

まあ制度上はそうなんだけれど血はつながっっていないんだな、これが・・・

???

バーリベイのお父さんは再婚だったんです。前の奥さんの子がバーリ・ベイなんです。

そうなの!

わかった!

ほんと面白いわね。

今度マルコチュオウル部族の家系の資料を持ってきますね。

わあたのしみだわあ。

忘れないでね
と言うわけで
マルコチュオウル バーリ ベイは法律上は、スレイマンの
いとこにあたるのでした。次回、陽さんがマルコチュオウル一族を紹介してくれるそうです。その日を首を長くして待っている明菜とハナーでした。
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