mother(トルコドラマ) 日本版26話、シューレが家で襲われ、メレクは行方不明
26話
メレクを助けるためにゼイネプの妹たちは家を売ろうとする。お金の工面ができたゼイネプはジェンギズと約束した公園にで待っているがジェンギズは来ない。ゼイネプはジェンギズをさがすため、ギョニュルをたずねる。
そこにある老女がギョニュルに会いに来る。ギョニュルの過去が現在のギョニュルを襲う。そして「おまえは私の息子を殺したんだ。息子といっしょに私も葬ったんだよ、おまえは。母親というものは息子が逝くと、母親も逝くもんなのだ」
ギョニュルは老女の訴えを静かに聞いている。この老婆は誰なのだろうか?ギョニュルに何がおこったのだろうか?なぜギョニュルは悲しい決断を24年前にしなければならなかったのだろうか?
その日の朝のことシューレが住んでいる家で殺人事件が起こる。
そこいら中に血痕が・・・
警察が調べ証拠を探している。警官のシナンがメレクのかばんを目にとめる。
「この家に子供がいるのか?」
と尋ねる。
シューレはおなかを撃たれ怪我をして病院で手当てを受けている。
目が覚めるとメレクはどこと聞く。シューレは警官に「娘は男が来た時、家にいました」という。だが家の周りにメレクはいなかった。
シューレはジェンギズもその友達も亡くなったと思い、恐怖で狼狽している。
でも死んだのはジェンギズではなかった。それを知り涙を流すシューレ。シューレはほんとにしょうもないと見える男・ジェンギズのことが好きらしい。
トルコ語
"Zeynep Güneş'le görüşebilir miyim?" ゼイネプ ギュネシュレ ギョルシェビリル ミイム?
ビリルは 知るという意味ですが
動詞+ビリルは ~できるという助動詞的よく使われます。
ここではギョルシュメッキ 会うと動詞についているので会うことができるという意味になります。
最後のミイムは私は~か?という意味です。
私は会うことできますかとなります。