【トルコ小説】「心の園にてメヴラーナ」その10 博物館、墓、そしてメヴレヴイーについての知識

「忠俊さん、もしよろしかったら、はじめに博物館と墓についてお話しましょう。詳しいことは、そのあとでお伝えします」と語った。

忠俊は待ち遠しく、「よろこんで」と答えた。

ガイドは説明し始めた。

「ご覧になったように、コンヤにメヴラーナ・ジェラーレッディーン・ルーミー(マウラーナー・ジャラールッディーン・ルーミー)の墓と修行場を含む、1927 年に開館した博物館には、聖メヴラーナの墓石、『メスネヴィー』詩作集、そして、そのほかにもご覧になった当時の品々が展示されています。墓の中の壁に は、文字で装飾された大変興味深いカリグラフィーが記されていますが、メヴラーナの芸術に関係するものです。ご注意なさるなら、墓の扉や修行場の中庭に開 かれた扉と、墓に至る回廊には碑文があります」

「はい、すべてみました。その碑文が、何を伝えているのか知りたいです」

「よろしかったら、碑文に書かれた詳細を、根本から学んでみてはいかがですか。さもなければ、今度またお墓を訪れることがあったなら、その時もっと詳しくお話いたしましょうか」

「また、参ります」

「ええと、どこまでお話しましたっけ」

「メヴラーナの墓についてお話ししていらっしゃいました」


「ええ、そうでした、メヴラーナの墓は、メヴラーナ・ジェラーレッディーン・ルーミーの死後、アラメッディーン・カイセルとアラーエッディーン・ケイフスレヴ 2世の娘とムイニッディーン・ペルヴァーネの婦人グルジュ・ハートゥンによって1274年に建てられました。つまり、死後すぐに建てられたのですね」

「1927年とおっしゃいましたか」

「忠俊さん、1927年は博物館の開館の日です。1274年に墓が造られました。亡くなって、すぐのことです」

「聞き間違えてしまったようですね。失礼いたしました。どうかお続け下さい」

「建築家はベドレッディーン・テブリーズィーです。周囲の礼拝所、セマーハーネ、聖なる広間、台所、修道者の小房、噴水地、シェブィ・アルースの噴水とチェレ ビー(メヴラーナの子孫につけられた称号)たちの部屋などからなる墓を中心とした教育機関の形に整えられています。この教育機関を構成する建築の基礎であ る墓の建物は、セルジューク時代に、墓の刻み目のある胴体部分、とんがり帽子の形をした屋根の部分、入り口の回廊、チェレビーたちの墓が造られ、ポスト・クッベ部分はカラマンオウル時代に、礼拝場はオスマン時代に造られたものです。



  今日の墓の形は、4角形の地下の土台の上に、3方がアーチ状になり、1方が閉じた形をして作られています。この上に16に区切られたとがったとんがり帽の 形の屋根が覆っています。とんがり帽の屋根のてっぺんの三日月の中に、メヴレヴィーのスッケという崇高な世界が存在します。とんがり帽の上に、トルコ石の タイルが飾られてあります。とんがり帽の屋根は「緑の塔(ヤェシル・クッベ)」とも別名呼ばれています。緑色の屋根の下に、メヴラーナとその子供のスル ターン・ヴェレドの墓があり、青緑色の大理石で作られ、その上をプシデと呼ばれるおおいで覆った墓石があります。

聖メヴラーナの墓の上に、2.65メートルの高さのセルジューク朝時代の名彫刻作品である墓石がありました。今日は、メヴラーナの父スルタヌルウレマー(学 者達の王)の墓の上に見られますが、その見事な胡桃の墓石は、アブドゥル・ワーヒドという建築家が作ったものです。立法者スルターン・スレイマーンの命に よって、後に、この墓石がスルタヌルウレマーの上に移されました。そして聖メヴラーナとスルターン・ヴェレドの上にそれぞれ墓石を作らせました。この上を 金の刺繍がほどこされた覆いで覆っています」

「なぜ、かえたのでしょうか?」
「なぜなら、天国の住人の地位を得た立法者スルターン・スレイマーンは、その父ヤヴズ・セリムと同様、聖メヴラーナに心を奪われた統治者の一人でしたから。ご自身も詩人であられ、聖メヴラーナの詩に強く感銘を受けました。(オスマン帝国外伝エピソード52でも引用されています)こよなく愛した偉大な神の友(アウリヤー)に奉仕したいという気持ちで、胡桃の墓石を取り去り、その代わりに、当代きっての有名な熟練工に造らせた大理石の墓石を設置させ、その上に、聖メヴラーナの詩を記させました。メヴラーナは見せかけのよさや、尊大さを好まない神の友であったので、聖メヴラーナの上におかれた見事な墓石を、彼の父スルタヌルウレマーの上におくことがよりふさわしいと考えたのです。知らず知らずに、世界のスルターン・カーヌーニー(立法者)は、メヴラーナの魂からの望みを実現させていました。今日、お墓に来ると、礼儀として 立ち上がりますが、高みにみられるこの見事な墓石を見た人々は、彼ら同様、父親のスルタヌルウレマーが、その子に対して敬意を示すために、立ち上がったか のように思うのです。実際に、そこに埋められたすべての人が、聖メヴラーナのところへやって来たとき、立ち上がったそうです。このような精神的起立をみた ことがありますか?よく考えてみると、今日、全世界の人々、アメリカ人やイギリス人や日本人やフランス人などすべての人が、聖メヴラーナのために起立し、 彼に尊敬の念を現しています」 

「教えてくださったことは、とてもすばらしいです」

「ありがとうございます、忠俊さん」

「正面の銀の入り口の下に見られる扉は、17世紀に造られたと知られています。レンガで覆われたこの部分に、聖メヴラーナのご遺体があります。 聖メヴラーナの特になさったズィクルと儀式を目の当たりに見た者、そして、彼の死後、スルターン・ヴェレドの創設したタリーカ(道)に入ったものをメヴレヴィーといいます」

忠俊は大きな期待を持って、「望む者達は、みんなメヴレヴィーになれますか。わたしもなれるでしょうか」と聞いた。
ガイドは愛情のこもった目で忠俊の顔を見て、そして「
今はどのようにすればメヴレヴィーになれるか知りません。今も続いているかどうか、確かな情報はありません。よろしかったら、あなたのためにお調べしましょう。しかし、確実にわかっていることは、彼との絆です」

「どのような絆でしょうか」

「それは、心の絆です。心から敬愛し、結びつき、聖メヴラーナの生き方を大切にし、特に彼が注意していた考えや生活をあなたの中に取り入れるならば、メヴレヴィーになれないはずはありません」

「あなたのおっしゃったことは、できるような気がいたします」

「私も大変うれしいです、忠俊さん」

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