【トルコ小説】「メヴラーナ」その3 東京からコンヤに至る道3

作者のメラハットさんはチーズケーキが特に上手で、彼女の作ったレンズ豆のスープもまろやかで特においしかったです。普通?(私が習った家庭では)は赤いレンズ豆のスープはバターとサルチャ(トマトピューレの水分のなくなったもので日本版みそみたいな感じ)という香辛料で作るのですが、彼女は玉ねぎをみじん切りにして最初に炒めてからサルチャを入れて作っていました。緑のレンズマメと同じやりかたなのかな?とにかく玉ねぎの痛めた時にでる甘みが、彼女のスープをまろやかな感じにしたのではと思います。
さてコンヤでメドレセを訪れた後、忠俊はコンヤの街を一望できるメラムの丘に向かいます。そしてコンヤの歴史についてガイドから話を聞き、いよいよメヴラーナ博物館へ・・・

その3 東京からコンヤに至る道(3)
観光バスは、メラムの丘へ向かって上り、駐車した。一行はバスから降りて緑豊かなコンヤを一望した。そよそよと吹く秋風は、黄、緑、紅色の葉でパステルカ ラーのジュンブシュ(弦楽器の一種)のように変化した木々を撫ぜながら弾き、穏やかな音楽を奏でていた。ガイドは、歴史の街を一冊の本のようにたとえ、メドレセや博物館やモスクや遺跡などが歴史の本の一頁、一頁を綴っていると伝えた。
旧石器時代から始まるコンヤの起源は、磨製石器時代の文化に遡る。チャタル・ホユクとジャン・ハサン・ホユクの遺跡は、紀元前7千年から6 千年にさかのぼると推測される。そしてこの特徴のあるチャタル・ホユクには、狩の獲物が浮き彫り式に描かれた絵が壁にみられ、遺跡からは、さまざまな作品 が発見された。それらは当時のものであることが確認もされていると語ったので、日本の人々は、これらをぜひ一目みたいと願った。しかし、観光バスの運転手 は、規定の時刻にイスタンブールに到着しなければならないと躊躇した。彼らはこの望みをあきらめた。ただ忠俊は、もしトルコを再び訪れることがあるなら、 会社関連ではなく個人的に一人で旅し見学にこようと心の中で計画を立てていた。
 ガイドは、説明し続けた。ヒッタイトの統治を崩壊させたのはフィルギア人達たちである。その世紀、コンヤはフィルギア人の重要な町となり、フィルギア人 たちの文化遺産は数多く残っている。その後、フィルギア人の統治を崩壊させたリディア、次に、ペルシア、アレクサンダー大王時代、そしてローマ帝国の統治 のさらに後、1071年、マラズギルトの戦いの勝利によって、トルコ人たちの支配下に入り、その後アナトリア・セルジューク朝の首都となったことを語っ た。
それから、一行は、考古学博物館、コユンオウル博物館、アラーエッディーン・モスクを見学した。日本の方々は、コンヤの意味の由来を知りたがった。ガ イドは聖画という意味のイコンに由来するイコニオンからであると説明した。フィルギアの言語のカワニィアという言葉がなまり、派生したともいわれる。コンヤという名は、古代アナトリアから続く名を守り続けた、まれな町のひとつであるとも説明した。
観光バスはメヴラーナ博物館の三人の墓場(ウチュレル・メザルルウ)側の大通りに駐車した。セリム一世がミーマル・スィナンにつくらせたスルターン・セ リム・ジャーミィの横側を通り抜ける時、忠俊はその建物が、イスタンブールで見たモスクと同じような建築方式で建造されていることに気がついた。

ミーマル・シナンは有名な建築家で、トルコの小学校の歴史の教科書にも出ているかなりなじみのある優れた作品を数多く残しました。下の画像は彼の作品の1つのスレイマニイェモスクの外観と内部のドームですがオスマン帝国外伝の主人公のスレイマン大帝が彼に命じて造らせたモスクです。ドームは素敵ですね。

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