【本レビュー】トルコの旋舞教団 (1979年) (平凡社カラー新書―聖域行〈4〉)

『トルコの旋舞教団』は古い本ですが写真は素晴らしいです。40年前のコンヤの様子もわかります。カラタイメドレセやメスネヴィーの本の写真ものせてあるので十分楽しめます。ところで、セマーは聖メヴラーナの時代からずっと続けられたわけではありませんでした。20世紀に入って28年間セマーは禁止されていたのです。
以下は本文からの引用です。
「1925年12月が最後のセマーとなった。新しい法律大677条によって、教団解体、旋舞祈祷所閉鎖が実力行使された。・・・閂を釘で打ち付けた。
1927年博物館として公開が認められ、・・・旋舞祈祷そのものは禁じられたままだった。
1943年、イスタンブールの太鼓親方だったサディディン・ヘペルとネイの奏者だったハリル・カンがコンヤ市長に接近、旋舞再会を望む。」
 多くの人々の努力が神に受け入れられ1925年に禁止されたセマーは28年後の1953年12月コンヤの映画館で見事復活を遂げました。観衆として見つめる人々の前でセマーが行われたのでした。

『トルコの旋舞教団』で特に印象に残ったところは
92ページの
だが、それを突き動かす根本はやはり愛であった。 
創造の始めより人善なり、悪は彼の装いに過ぎず
悪は全を証しだてる証文(ふみ)にすぎず 
そこで、宗派、国籍を問わない「来れ、来れ」という呼びかけとなる。彼は、人種、民族の肌色の差、言葉の違いを無視する。現世における宗教の統一などあり得ないと理性的に断じながらも、愛によって来世における一体は可能であるとする。
さらばユニティーの角笛を吹き鳴らせ、われら、ただ一つに集(つど)わむ
ただ一瞬(ひととき)なりとも、われらが差(ちがい)を忘れさしめよ
われらが他生(かのくに)に運びさらるる時、われら、ただ一色(ひといろ)の海の色と化(な)らむ
われらはただ一本(ひともと)の木よりいでたる多彩(いろど)れる枝にすぎず
おお旅行く者よ 
一色の海、一本の木と表現されるかたりかけこそ、全世界を通じて、今コンヤへとやってくる人たちの魂を揺るがす原動力なのである。
 著者は「愛によって来世における一体は可能である」と書いていますが、聖メヴラーナは現世でも愛によって一体は可能であると心から信じていたと思います。なぜなら前の文でわかるように、人は生まれながらに善人であり、悪は着ている一着の衣にすぎません。
聖メヴラーナは「悪の衣をいつでも人はほんとの愛の力によって脱ぎ捨てることができる。差別も悪の一種なら、差別という服を脱ぐ力を人は誰でも持っている」と考えていたのではないでしょうか。

さてコンテンツはこんな感じです。

約束の地アナトリア
時速制限0時間以上
神秘主義の序曲、コンヤの夕日

ルーミーが生きた時代
メヴラナの人格と伝統
イスラムの持つ二面性
トルコの世紀・神秘主義の世紀

ザクロス山脈の彼方から
ルーミー、啓発の展開
愛のユニティーの角笛

伝統と継承の発展
オスマン朝の光と影
旋舞教団の完成
生きている宗教
礼拝 断食 犠牲 割礼 結婚巡礼 葬送

閉鎖、再会、そしてその夜
自転、公転、惑星のように
来れ、来れ何人にまれ」

興味のある方は
トルコの旋舞教団 (1979年) (平凡社カラー新書―聖域行ぜひご覧ください。



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