【スレイマン大帝】の治世 その3 イラク・ペルシャ湾、東地中海を手にする

シーズン2の初めに1526年モハーチの戦いで大勝を収めたオスマン軍はイスタンブールに戻る。
日本では室町幕府が『御成敗式目(ごせいばいしきもく)(享禄版)』を完成させたころのことだが、3年後の1529年5月にスレイマン大帝軍は出発する。ベオグラードに7月に、9月の末ウィーンに到着したオスマン軍総勢12万対ウィーン防衛軍5万の戦いが始まった。防衛は思ったより硬く、ナポレオンがロシア遠征で失敗した理由と同様冬という季節、自然の驚異がオスマン軍を容赦なく襲い、オスマン軍は撤退を余儀なくされた。

1534年最愛の母ハフサ皇太后が亡くなる前後、東ではサファヴィー朝がアナトリアで次々と反乱をおこす。クズル・タッジ紅帽という赤い帽子が目印の「紅帽の徒」を鎮圧するためにオスマン軍は東へ出兵する。
1533年10月21日イブラヒム・パシャはイラン方面へ向かう。これらの戦いで奮闘している。トルコドラマ・オスマン帝国外伝ではニギャール問題で窮地に陥ったころのことで、イブラヒム・パシャは史実ではハフサ皇太后なくなる前の年に遠征にでかけている。

1534年7月1日、オスマン軍はメヴラーナがこよなく愛した方シャムスッディーン・タブリーズィーの生まれ故郷でもあるイランのタブリーズへ入る。
1534年6月11日にスレイマン大帝も遠征に出かける。9月29日イブラヒム・パシャの軍と合流する。
11月29日ダマスカスが陥落する。次にバスラをそしてペルシャ湾についに至る。

海といえばドラマオスマン帝国外伝シーズン3の1話から登場するバルバロス・フズールが大活躍する。フズールは1533年12月27日にイスタンブルに到着する。スレイマン大帝に会い、海軍の最高司令官に命ぜられる。彼の奮闘努力で地中海の覇権を手に入れる。
1534年大提督フズールはチュニスを占領するが、チュニスの援軍として駆け付けたカール5世率いるハプスブルグ軍に敗れ、1538年プレヴェザの戦いが起こる。フズールはアンドレア・ドリア率いるヨーロッパ連合艦隊を打ち破る。

負けじとその3年後の1541年にカール5世はアルジェリア(フズールの本拠地)を占領しようとしたがフズールの守りは固かった。

1543年ニースを占領し、1546年フズールがなくなるまでに地中海の東半分の実権をスレイマン大帝は握った。海に関して言えば父セリム1世が紅海を、スレイマン大帝がペルシャ湾東地中海を手に入れたことになる。残りはインド洋だ。
1535年ポルトガルの圧力から逃れるために、援助を求めたインドのグジャラートのバハドゥールシャーに1538年に援軍を送るが、ポルトガル軍を撃退することはできなかった。


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