ムスタファの死の前夜  シーズン4 オスマン帝国外伝を語る会

ムスタファの死
ムスタファは1553年10月6日コンヤの平原で亡くなった。ところで2019年7月現在ムスタファの眠っているお墓の建物の入り口の反対には木が一本立っている。その木になぜかとても惹かれる。その木を見ながらムスタファは何故死んだのか?ムスタファの死ぬ前はどんなだったのだろうか?そして彼の死後は何が変わったんだろうか?と何となく考えた。

昨日はムスタファ命日だったよね。

そうなの?

はい。ムスタファ皇子は1553年10月6日に亡くなりました。

謀反を起こしたということだよな?

はい

ムスタファ皇子は6日の少し、ベネチアとも連絡を取っていたようだし、 エルズルムのアヤスアーたちにも手紙を書いていたよな。

それならやはり謀反を考えていたのかしら

スレイマンが逝去した暁には自分を支持してくれるか打診していたのです。あくまでも皇帝が亡くなった後の皇位継承についてだったのですよ。ですからこの時点では謀反ではないですね。

スレイマンは皇位継承問題がなかったかしら?

スレイマンには皇位継承の対象となる兄弟がいなかったため、この問題に力を裂かれず領土獲得に専念できたという見方もあるよな。

へえ、そうか!スレイマンは長子でもあり、唯一の息子だったんだね

一人弟さんがいますが、あまり知られていないようですね。

彼には力はなかったってことなのか・・

それならなぜスレイマンはこんなに警戒するのかしら?

スレイマンは自分の父をよく知っていただよ。

ドラマで毒入りのカフタンが父セリム1世から送られてきたこともあったわね。

でも父のセリム1世が唯一の継承者であるスレイマンを手にかけるなどということがある?それにスレイマンの力はその時イェニチェリを掌握できるような強い力を持っていたのかな?

そうね、もしそうなら、スレイマンにこの経験は忘れられないものとなったでしょうね。この時から父に殺されるかもしれないと思うようになったのね。

オスマン朝は中央アジアの流れを汲んでいるんだよ。皇位継承が必ず長子でなければいけないということではないのさ。だからこそセリム1世が皇位につくことができたのさ。

そうか!セリム1世が皇位についたときのやり方をスレイマンは見てきたんだね。

スレイマンの父セリムは帝都よりかなり遠いトラブゾンにおり、中央の官僚たちと無縁だったのです。

だがイェニチェリや周辺のアーやベイたち(君侯)に指示されてよな。

フムフム、これはかなり今のムスタファの状況と酷似しいるね。

ムスタファのあらゆる方面での人気は絶大でしたよ。

特にイェニチェリのムスタファへの信頼と期待はすごいわよね

たぶんドラマで表現されているよりも多大だったとおもいますよ。知識人たちや詩人たち、そしてオスマン帝国内の君侯たちにも支持されていましたし・・・


そうかもな。ムスタファの死を支持する文書は当時のイスラム長老のエブッスードのファトワーのみだからな。

さらにそのころスレイマンは病気に悩まされていましたよ。スレイマンは1540年まではアクティヴな外交姿勢で、領土拡大にまい進していた感じでしたが、その後の10年は病気と老いのために帝都にいることが多くなりました。遠征にも以前のように自ら出かけることはなく、エディルネと帝都を行ったり来たり、狩りをして過ごすことが多くなりました。

遠征に行かなくなったのは、病気のためだけかい?そうでないように思えるな。ムスタファをけん制していたんじゃないかい。

そうだね、帝都を開けた瞬間ムスタファを支持する者たちがそこを占領するのではないかという恐れを抱いていたのかもね。

今回のイラン遠征はタフマースブを本当に排除するためのものだったのだろうか?

ドラマではムスタファを死に追いやるための遠征だったといってるけれどほんとうなのかしら?

はい、その説を支持する人もいます。

当時タフマースブはオスマン帝国に和平を望んでいからな。

でもさ、もし次期皇帝になるかもしれないムスタファから手紙が届いたら返事をしないわけにはいかないよね。こんな好機をタフマースブが逃すはずない!

私リュステムは大嫌いよ!偽の手紙を書くなんて・・・

そうだよね!ほんとにそうだ!

リュステムが手紙を送ったのは本当らしく、イスタンブルのある博物館にこのリュステムが書いたという偽の手紙について実際に資料が残っているらしいです。

へえ、ドラマの話じゃなかったんだ。憎きリュステム!

ムスタファの死の前夜

ムスタファはドラマに描かれているように、スレイマン陣営から2マイル離れたところにテントを構えた。10月5日アーたちは彼の元をおとずれたようだ。ジハンギルが会いに来たかは定かではない。

そして10月6日ムスタファはスレイマンを訪れた。テントの入り口にはだラマでみられるように多くのイェニチェリたちが彼を歓迎し、彼がテントの中に一人では言って行くのを見届けた。

中にはそこへムスタファは勇敢にも入っていき、スレイマン皇帝の手に口づけしようとしたその瞬間隠れていた3人の処刑人がムスタファの首にロープをかけた。とっさに逃げようとしたムスタファ。テントから抜け出すことはできなかった。享年38歳。ムスタファは短くも、濃い人生を送った。 (46話~50話)

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