ムスタファの死の前夜 シーズン4 オスマン帝国外伝を語る会
昨日はムスタファ命日だったよね。
そうなの?
はい。ムスタファ皇子は1553年10月6日に亡くなりました。
謀反を起こしたということだよな?
はい
ムスタファ皇子は6日の少し、ベネチアとも連絡を取っていたようだし、 エルズルムのアヤスアーたちにも手紙を書いていたよな。
それならやはり謀反を考えていたのかしら
スレイマンが逝去した暁には自分を支持してくれるか打診していたのです。あくまでも皇帝が亡くなった後の皇位継承についてだったのですよ。ですからこの時点では謀反ではないですね。
スレイマンは皇位継承問題がなかったかしら?
スレイマンには皇位継承の対象となる兄弟がいなかったため、この問題に力を裂かれず領土獲得に専念できたという見方もあるよな。
へえ、そうか!スレイマンは長子でもあり、唯一の息子だったんだね
一人弟さんがいますが、あまり知られていないようですね。
彼には力はなかったってことなのか・・
それならなぜスレイマンはこんなに警戒するのかしら?
スレイマンは自分の父をよく知っていただよ。
ドラマで毒入りのカフタンが父セリム1世から送られてきたこともあったわね。
でも父のセリム1世が唯一の継承者であるスレイマンを手にかけるなどということがある?それにスレイマンの力はその時イェニチェリを掌握できるような強い力を持っていたのかな?
そうね、もしそうなら、スレイマンにこの経験は忘れられないものとなったでしょうね。この時から父に殺されるかもしれないと思うようになったのね。
オスマン朝は中央アジアの流れを汲んでいるんだよ。皇位継承が必ず長子でなければいけないということではないのさ。だからこそセリム1世が皇位につくことができたのさ。
そうか!セリム1世が皇位についたときのやり方をスレイマンは見てきたんだね。
スレイマンの父セリムは帝都よりかなり遠いトラブゾンにおり、中央の官僚たちと無縁だったのです。
だがイェニチェリや周辺のアーやベイたち(君侯)に指示されてよな。
フムフム、これはかなり今のムスタファの状況と酷似しいるね。
ムスタファのあらゆる方面での人気は絶大でしたよ。
特にイェニチェリのムスタファへの信頼と期待はすごいわよね
たぶんドラマで表現されているよりも多大だったとおもいますよ。知識人たちや詩人たち、そしてオスマン帝国内の君侯たちにも支持されていましたし・・・
今回のイラン遠征はタフマースブを本当に排除するためのものだったのだろうか?
ムスタファの死の前夜
ムスタファはドラマに描かれているように、スレイマン陣営から2マイル離れたところにテントを構えた。10月5日アーたちは彼の元をおとずれたようだ。ジハンギルが会いに来たかは定かではない。
そして10月6日ムスタファはスレイマンを訪れた。テントの入り口にはだラマでみられるように多くのイェニチェリたちが彼を歓迎し、彼がテントの中に一人では言って行くのを見届けた。
中にはそこへムスタファは勇敢にも入っていき、スレイマン皇帝の手に口づけしようとしたその瞬間隠れていた3人の処刑人がムスタファの首にロープをかけた。とっさに逃げようとしたムスタファ。テントから抜け出すことはできなかった。享年38歳。ムスタファは短くも、濃い人生を送った。 (46話~50話)