~ムスタファ皇子・マニサのサルハーン・サンジャクって?~ 

【マニサのサルハーン・サンジャクに任命された王子たち】
 
在位の年
皇子の名
父の名
1390-1392
エルトゥールル皇子
父はベヤズィト
1世
?-?
アリベイ

1437-1443
アラウッディーン皇子
父ムラト2世
1443-1443
メフメット皇子(後のメフメット2世)
ムラト2世
1444-1453
メフメット皇子
ムラト2世
1453-?
ムスタファ皇子
父はメフメット2世
1491-1502
コルクト皇子
父ベヤズィト2世
1502-1507
マフムード皇子
父ベヤズィト2世
1512-1513
コルクト皇子
父はベヤズィト2世
1513-1520
スレイマン皇子(後のスレイマン1世)
セリム1世
1533-1541
ムスタファ皇子(1553年死亡)
スレイマン1世
1541-1543
メフメット皇子(1543年死亡)
スレイマン1世
1544-1558
セリム皇子(1574年死亡)
スレイマン1世
1566-1574
ムラト皇子(1595年死亡)
セリム2世
1583-1595
メフメット皇子
ムラト3世
 
おはよう 
あらら どうしたの、なにかかんがえごと?
ムスタファ王子が今知事をしているマニサのサルハーン・サンジャクのことなんだけど。
おいおいまたドラマの話かい? これまた唐突だな、ところでサンジャクって?
オスマン時代どんどん帝国が大きくなって統治する範囲が広がっちゃのね。拡大していく土地を治めるのに、治めやすいように区分していたのね。
そうよね。国をいくつかの地方に分けて、さらにその地方にはいくつかのサンジャクがあったみたいよ。今でいうと県ぐらい大きさの感じかな?ここのの面白いのは、次期皇帝となる皇子がその地を治めるという習慣ができてたってことだよ。それがドラマをおもしろくしてるんよ。
へえそうなんかい。
ムスタファ皇子がマニサの知事に任命されたってことは次期皇帝になるのがほぼ確実だからなのよね
そうなのね
オスマン帝国外伝シリーズ3 エピソード77でスレイマン大帝がいやな夢を見るんだけど、今の地位をイブラヒムとムスタファに奪取されるかもという恐怖心からなんだよ。それ素保マニササンジャクの地位は大きいってことだよね。
やれやれ皇帝も大変だね。権力者につきものの恐れだね。そもそも権力者が存在すること自体に異議を唱えるぞ、僕は!権力者はたいてい自分勝手でほんとに国のことや民のことを考えているとは思えないことがよくあるからな。
そうね、
トランプ氏も国のためというよりは中間選挙で票をいかに集めるかってために行動しているぽいからね。
自分の支持者に有利にするために関税かけまくって世界経済を駄々無駄にしても大丈夫って言うのは、どうみても国民のことは二の次にしか見えないよな。
ふうん
ドラマのことはからっきし興味ないが、次期皇帝が必ず赴任する場所がきまっているというのはおもしろいな。
ところが信任を失ったムスタファは左遷されたよ。マニサの現知事のマリデブランの子・ムスタファの次にヒュッレムの息子メフメットがその地位につくわけよ。
それってつまり?
そうなんよ、メフメットが王位をつく候補になったってことなんだよ。
へえ、じゃあムスタファ皇子はどうなったの?
アマスィヤのサンジャクに赴任したよ。ところでアマスィヤっていうとリンゴで有名なんよ。そうそうシリーズ3(エピソード64~75)でハレムを引っ掻き回したフィルーゼが出征の秘密がばれてハレムから追い出されて行こうとした場所でもあるよ。
えっ?フィルーゼはおいだされたの? 
そうなんよ。でも結局アマスィヤに行かず自分の国へ戻っていったけど。
フィルーゼっていえば、スレイマンへの愛がずっとほんとだかウソなんだか分からないかんじで、美しい詩や言葉を語っては彼だけでなくほかの人々も魅了していたわよね。
ペルシア語は調べが美しいからね。みんなが詩に魅了されても仕方がないと思うよ。
そうね、結局スレイマン大帝は彼女の弁明の言葉を信じて彼女の命を取らなかったわけだけど、私は最初からなんだか彼女は嘘っぽいかんじがしてたわ。
私もいつスレイマンに刃を向けるかとそればかり気になって、彼女の語る優雅な詩の調べも、心をとらえる美しい言葉もあんまり耳にはいらなかったよ。
まあまあ、そう興奮しなさんな、みんなを憤らせるフィルーゼって一体何者だい?。
あれ?話題がフィルーゼになっちゃったわね。
君が話したいのはマニサのサンジャクのことだよな
そうそう、話を戻すと、マニサは1313年までビザンチン帝国が支配してたんだけど、1410年にオスマン帝国の一部になったんだ。
そこからはじまるのよね、マニサのサンジャクは・・・
1595年にメフメット3世が皇帝になったとき、皇子たちが知事になる慣習をやめたけどそれまでづっと続いたよ、
トルコ共和国になった1926年に現在のマニサができあがったんだよな
うん。まず上の表見てちょうだい。
オスマン帝国外伝の主人公スレイマン1世は1566年に亡くなっているので、ドラマで活躍する時代はシーズン1でスレイマンが皇子時代にに勤めたオレンジの時代、
シーズン3でマヒデブランの子ムスタファとヒュッレムの子メフメットとセリムがマニササンジャクになったのは赤の時代なのね。
スレイマン1世は茶色の孫のムラトがマニサのサンジャクになるのも見ていたわけだね。
その通り。ドラマではよくマニサの宮殿の様子が映されるから、ドラマを観ながら年代をチェックしてみるのも面白いと思うわ。
なかなか分かりやすいい表を作りましたね、ハナーさん。そういえばむかしオスマン帝国のスルタンたちを表に書いて覚えたことがありますよ。
え~~~ほんとすごいわ!

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