ものがたり「ラナの守り人たち」1~健はピリンチ高へ~
はじまり
健は仕事に出かけるところだ。ワイシャツを着て、グリーンのネクタイをつけた時、入学式の時タイが上手に結べなくてアニキに手伝ってもらったなあ、アニキはそしてメテはどうしたかな、あの学校は今でもあるのだろうかなどと中学校時代のことがふと頭にうかんだ。そしてあのわけのわからない面白い事件のことも・・・
健は留学したのだ。
とにかく何でもいいから食べものをと探し回ったが、食堂にも調理室の食べられそうなものは何もなかった。そこで穀物倉庫の鍵をこじ開けようとがんばりはじめた。もちろんハヤトとシャムスもいっしょだ。
主な登場人物
人間
健:日本人の留学生
シンハヤト:孤児で奨学金でピリンチ高で学ぶ生徒
シャムス:ピリンチ高の生徒
明菜:日本人の旅行者
花:日本人の旅行者
宇宙人守り人5人
チョコ:太っちょの守り人、健の相棒
ピポット:シンハヤトの相棒
ヨー:シャムスの相棒
橙のピパ:明菜の相棒
ピピ:ピンク色のピピ花の相棒
アララット山の頂上 |
ところで健の祖先はアララット山に住む山の民で大雨に流され山のふもとで生活していた。
ジンギスハーンの時代、捕虜となり彼らに連れられモンゴルまでやってきた。そこで戦う術を教え込まれ、山の民は戦う民となって日本へ向かったが、暴風で船が難破し、今日の福岡県の海岸へ流れついたそうだ。
この話をおばあちゃんに聞いて以来、健はいつかアララット山の聳え立つ祖先の故郷へいってみたいという思いを抱いた。留学した理由はただおばあちゃんの話によるところが大きい。
中学校の周辺
健は入学式の四日前マレーシア航空の飛行機で約二十時間かけてイスタンブールに到着した。イスタンブールから長距離夜行バスに乗り、コンヤのバスターミナルに無事つくと、そこでは、頭のはげかかった怖そうなおじさんとシン・・・ハヤトが迎えに来ていた。タケルは、そのおじさんの家に立ち寄り一泊した。
そこでエトゥリ・エキメックというひき肉入りのピザとアイランと呼ばれるヨーグルトジュースをごちそうになり、次の日ハヤトと同じ、グリーンのジャケットにグリーンのタイをつけ学校へむかった。
ジンギスハーンの時代、捕虜となり彼らに連れられモンゴルまでやってきた。そこで戦う術を教え込まれ、山の民は戦う民となって日本へ向かったが、暴風で船が難破し、今日の福岡県の海岸へ流れついたそうだ。
この話をおばあちゃんに聞いて以来、健はいつかアララット山の聳え立つ祖先の故郷へいってみたいという思いを抱いた。留学した理由はただおばあちゃんの話によるところが大きい。
中学校の周辺
健は入学式の四日前マレーシア航空の飛行機で約二十時間かけてイスタンブールに到着した。イスタンブールから長距離夜行バスに乗り、コンヤのバスターミナルに無事つくと、そこでは、頭のはげかかった怖そうなおじさんとシン・・・ハヤトが迎えに来ていた。タケルは、そのおじさんの家に立ち寄り一泊した。
そこでエトゥリ・エキメックというひき肉入りのピザとアイランと呼ばれるヨーグルトジュースをごちそうになり、次の日ハヤトと同じ、グリーンのジャケットにグリーンのタイをつけ学校へむかった。
新メラム通りの北側の本線道路をしばらく進むと坂道になる。左カーブする坂を登りさらに道にそって走ると、右側斜め前方にピンク色をした長方形の建物が健たちを待ち構えていた。こうして健の寮生活が始まった。
学校の向かいに大学病院がある。昔はキャラバン隊の宿泊所だったそうだ。この病院で彼は一度も受診したことがなかったが大学病院の門へ向かう途中にバッカルと呼ばれる小さな店に行ったことがある。そこには日本の値段の倍はするポテトチップスや超激辛のドリトスなどのスナック菓子が売っていた。
大学病院の入り口から大通り沿いに50メートル進むと、自動販売機が置かれている。日本で自動販売機は風景の一部におさまっているものだがここでは珍しかった。夜遅く店が閉まった後シン・ハヤトに頼まれてよく買いにきた。健は中学校時代というと食べ物のことばかり思い出したが、学校の周りの風景もよく覚えていた。その景色は健を苦いコーヒーを飲んだ時の気分にさせた。
断食明けの休み
中学校で初めて迎えた長期休みは、断食明けの休みで11日間だった。長期休みに必ず寮に残るのは決まって3人だった。ドイツからきた故カロらの大好きなシャムスとハヤトそしてタケルだ。
生徒たちは足早に故郷へと帰っていった。いつもはにぎやかな学校内も一月二日には静まり返っていた。孤児のハヤトと親戚がそれぞれ外国にいるシャムスと健は学校に残ることになった。どの生徒も長い休みを望むものだが、3人はそうではなかった。
学校の向かいに大学病院がある。昔はキャラバン隊の宿泊所だったそうだ。この病院で彼は一度も受診したことがなかったが大学病院の門へ向かう途中にバッカルと呼ばれる小さな店に行ったことがある。そこには日本の値段の倍はするポテトチップスや超激辛のドリトスなどのスナック菓子が売っていた。
大学病院の入り口から大通り沿いに50メートル進むと、自動販売機が置かれている。日本で自動販売機は風景の一部におさまっているものだがここでは珍しかった。夜遅く店が閉まった後シン・ハヤトに頼まれてよく買いにきた。健は中学校時代というと食べ物のことばかり思い出したが、学校の周りの風景もよく覚えていた。その景色は健を苦いコーヒーを飲んだ時の気分にさせた。
断食明けの休み
中学校で初めて迎えた長期休みは、断食明けの休みで11日間だった。長期休みに必ず寮に残るのは決まって3人だった。ドイツからきた故カロらの大好きなシャムスとハヤトそしてタケルだ。
生徒たちは足早に故郷へと帰っていった。いつもはにぎやかな学校内も一月二日には静まり返っていた。孤児のハヤトと親戚がそれぞれ外国にいるシャムスと健は学校に残ることになった。どの生徒も長い休みを望むものだが、3人はそうではなかった。
その年の断食祭は八日から始まった。学校側は一週間休みを取ることに決めた。
そういうわけで二十世紀最後の瞬間を健は中学校の寮で迎えた。日本では2000年問題がもちあがりメディアを騒がせていた。コンピューターの日付が2000年なると下二桁は00となり1900年代と同一月日になってしまうのでトラブルが起こるのではと人々はパニック状態だった。タケルたちにもちょっとした問題が起こっていた。
空腹で死にそうになったのだった。
その冬ピリンチ校には、10年に一度の寒波が押し寄せ町も山も凍てつく寒さに襲われた。3人は氷の壁に囲まれていた。ここで雪はそれほど問題ではなく雪の降った次の日の寒さが問題だ。コンヤの雪は日本に比べさらさらしていて凍るとそこら中がスケートリンクのようになる。道という道はスケート靴なしではあるけそうにないほどつるんつるんだった。雪は100センチほどつもっていただけだったが上側が凍りついていた。スケート靴がない タケルたちはバスの走る大通りに出ることはできなかった。
そういうわけで二十世紀最後の瞬間を健は中学校の寮で迎えた。日本では2000年問題がもちあがりメディアを騒がせていた。コンピューターの日付が2000年なると下二桁は00となり1900年代と同一月日になってしまうのでトラブルが起こるのではと人々はパニック状態だった。タケルたちにもちょっとした問題が起こっていた。
空腹で死にそうになったのだった。
その冬ピリンチ校には、10年に一度の寒波が押し寄せ町も山も凍てつく寒さに襲われた。3人は氷の壁に囲まれていた。ここで雪はそれほど問題ではなく雪の降った次の日の寒さが問題だ。コンヤの雪は日本に比べさらさらしていて凍るとそこら中がスケートリンクのようになる。道という道はスケート靴なしではあるけそうにないほどつるんつるんだった。雪は100センチほどつもっていただけだったが上側が凍りついていた。スケート靴がない タケルたちはバスの走る大通りに出ることはできなかった。
中学校の電話は事務所の職員がいないため使えない。スマホは今のように普及していなかったので誰も持っていなかった。そして運の悪いことに学校の料理番が穀物倉庫に鍵をかけ無造作にかぎをジャケットのポケットに突っ込んで帰ってしまった。
まれに見る大雪とポケットの中の鍵がタケルの初めての断食明けの祭りを台無しにしてしまった。 祭りにはさいころ状に切られた羊の肉を鉄板の上で火を通しほかほかでやわらかくなったところを、フランスパンと一緒にパクリと一口頬張りながら、ヨーグルト入りのスープをすすり、日本のお菓子の三倍ぐらいも甘いバクラバというデザートをたらふく食べられるらしい。
「はらへったあ、祭りなのになにもたべられないじゃないか」
とため息をつく健。
とにかく何でもいいから食べものをと探し回ったが、食堂にも調理室の食べられそうなものは何もなかった。そこで穀物倉庫の鍵をこじ開けようとがんばりはじめた。もちろんハヤトとシャムスもいっしょだ。
主な登場人物
人間
健:日本人の留学生
シンハヤト:孤児で奨学金でピリンチ高で学ぶ生徒
シャムス:ピリンチ高の生徒
明菜:日本人の旅行者
花:日本人の旅行者
宇宙人守り人5人
チョコ:太っちょの守り人、健の相棒
ピポット:シンハヤトの相棒
ヨー:シャムスの相棒
橙のピパ:明菜の相棒
ピピ:ピンク色のピピ花の相棒