【トルコ小説】「心の園にてメヴラーナ」その12 メヴレヴィーの館って何

博物館、墓、そしてメヴレヴイーについての知識3
ガイドは、
「はいもちろん、忠俊さん、「メヴレヴィーの館」がありました。これらは大変重要な役目を果たしました。コンヤだけではなく、いろいろな地域に存在していました。その幾つかは、今でもその役目を果たしています。メヴレヴィーのタリーカが発展していった県ではメヴレヴィーたちの数によって、とつ又は数箇所 にメヴレヴィーの館が作られました。トルコで、もっとも多く「メヴレヴィーの館」が見出せるのはイスタンブールでした。この中で特に有名なのは、ガラタ・ メヴレヴィーハーン、エーユプのバハリヤェ・メヴレヴィーハーン、ヤェニカプのヤェニカプ・メヴレヴィーハーンです。

「メヴレヴィーの館」は、メヴレヴィーたちのタリーカのきまりに従い集まる場所や、特別な部所、儀式の場所やメヴレヴィーの倫理に基づく特別な部屋などが存在 するところです。中に台所、修行場、客間、セマーの場であるセマーハーネ、広間、演奏家の館、小房のような特別な場所があります。「メヴレヴィーの館」 はすべての権能を有するシェイフたちによって管理されていました。

「メヴレヴィーの館」は、同時にメヴレヴィーたちのため、教育機関としても機能していました。メヴレヴィーたちのために、必要なあらゆる知識、タリーカの規則、メヴレヴィーに必要な一般基礎知識や儀式や音楽も、この「メヴレヴィーの館」で教えていました。シェイフたち、修行者たち、宿泊用の特別な部屋、睡眠 をとる場所などがありました。どの「メヴレヴィーの館」にも、図書館が設置されていました」

「メヴレヴィーについて、ほかに何かおっしゃりたいことがありますか?」

「聖メヴラーナは、親友たちが参加した特別な集会を準備し、神秘主義や宗教についての講義をしたり、詩を読んだり、ズィクルしながら、旋回したりしてしました」

「すみません、ズィクルとおっしゃいましたか、それは何ですか」

「単語としての意味は、」思い出すこと、という意味になります。聖メヴラーナにとってのズィクルとは、アッラーの御名を想うこと、唱えることです。アッラーの御名を想念しながら愛と情熱溢れる愛と共に旋回し熱き愛の状態にはいります。マーゼンたちの旋回はその精神的喜びを得ることにより起こりま す」

「その情熱溢れる愛は、ただメヴラーナにのみに固有のものでしょうか。望むならば、誰もがその喜悦を感じることはできますか」

「情熱溢れる愛は風邪に似ています、忠俊さん。あるものたちは軽くかかります。あるものたちは、まったく感じないでしょう。またある者達は重症になります。聖 メヴラーナは、もっとも重くかかった偉大でまれな方々のうちの一人です。情熱溢れる愛は、人それぞれ違います。世界中のすべては、お互いを情熱溢れる愛に よって関連しあっています。もしお互いがわかりあうなら、世界を同じ視点から見ることができるでしょう。そうなのです、情熱溢れる愛は、そのような観点か ら芽を出し、花を咲かせます。たとえば、メヴラーナとシェムス、同じ視点からお互いを見たように。この点について注意深くご覧になれば、もっとも良い答えをご自身で見つけることができるでしょう。さて、違ったテーマについても、あなたにお話したいと思います。

  メヴラーナ・ジェラーレッディーン・ルーミーの神の御名を唱えるという意味でのセマーは、時がたつにつれて一定の形式をとるようになりました。明らかな外観と基本に基づく集会の形になってきました。集会では、葦笛、クドゥム、それらに似た楽器が奏でられて、唱えられるズィクル、儀式が整った形で行われ始めました。短期間に広範囲に広がり、民衆、特にその時代を輝かせる人々の間で、多くの関心を呼び起こし、これらの集会に参加する者の数は増加していきまし た。イラン、アラビアそしてアナトリアのさまざまな土地からやってきて集会に加わる者たち、加わりたいと望む者たちは、聖メヴラーナに対して、愛と敬意を 感じていました。時がたつにつれて、この独特の集会は限られてくるようになり、明確なきまりや儀式に基づくようになっていきました。

  聖メヴラーナの死後、息子のスルターン・ヴェレドは同じ道を進みましたが、父親が整えた集会やそこで行われるセマーやズィクルやそれに類似した儀式など を統一しタリーカの形としました。儀式への参加の仕方やと集会の仕方と、セマーとズィクルを始め方など、当時、メヴレヴィーたちの間でひろく広まってい たやり方を統一し、一定の規則を設けました。公的資質も備えるようになりました。聖メヴラーナが座られた場所を広げさせました。これらの集会は、主に初めのころはコンヤで行われていましたが、聖メヴラーナの見方、考え方を身につけたいと思う人々が増すと、中心となるコンヤの修行場の許可を得て、ほかの 地域にも修行場やメヴレヴィーの館が作られるようになりました。許可が必要となってきたわけです。アナトリアで起こったことが、次第に周囲のイスラーム諸 国の各地域でも起こり、メヴレヴィーの館が開館されました。聖メヴラーナとその子供たちが健在の時に友となった幾人かの近しい方々が、埋葬されているコンヤのメヴレヴィーの館、緑のクッベは、そのタリーカの中心的な聖なる地位を獲得し、愛情と尊敬を受け続けて来ました」

「メヴレヴィーの真髄と意味を、もう少し教えてくださいませんか」

「メヴレヴィーリクすなわちメヴレヴィー性は、アッラーとそれ以外の存在するすべてのもの( )が合一するという考え方に支えられています。アッラーが創造された万有の中でのご自身の顕現を意味します。万有に存在するとは、アッラーが顕現することです。真に存在するものは、アッラーのみです。すべてのものは、かのお方から齎されます、そして再びかのお方に戻されます。アッラーは、万有を一塊とし て包み込みます。メヴレヴィー性をみにつけることやメヴラーナの作品の中で語られたこの捉え方は、決して新しい考え方ではありません。存在の単一性(ワァ フデティ・ウジュド)という考え方に基づきます。人間にも、ルーフと呼ばれる神に関わる魂が存在します。万有を創造された後、人間の存在が明らかになり、 人間の本質である魂は、それぞれの肉体へ入りました。魂は彼らの故郷から離れ、つまり神の国から離れました。さて、故郷へ戻りたい、懐かしくさびしいとい う気持ちを抱き、心を焦がします。魂は、人間存在の最も基盤となる本質です。人間に人間としての価値を得させる輝く宝石です。人間を真実へ導き、神とのか かわりの中で、人間の本質へ到達させるのは、知性ではなく熱く燃える心です。熱く燃える心は、人間の本質に関わるものです。アッラーに関して抱く最も深く 強い恋焦がれる気持ちです。熱く燃える心の本質について、よく話されることは直観です。熱く燃える心と直観は、お互いに補いあう2つの精神的力です。それ らはお互いに離れることはなく、お互いが必要とする関係にあります。直観と熱く燃える心とは、人間の魂が理解し考える力です。学び知りたいという意欲の元 です。人間は、ただ熱く燃える心、すなわち情熱溢れる愛によってのみ成熟します。真実と神の秘密を理解できる成熟さ(ケマール)に到達します。すべての被 造物は、天の階層を、この熱く燃える心によって旋回(セマー)しています。自分たちのそれぞれの言葉で、アッラーを想い、アッラーの御名を唱えます。それ は、アッラーの創造する常なる営み、すべてが存在する万有を全体的に取り囲む純粋な営み、純粋な愛、光です。説明し理解できる事柄すべてを超えたもので す。その存在は、人間の知性の領域、理解力の限界を超えるものです。人間の心を、アッラーヘの愛と情熱溢れる愛で満たすことができれば、アッラーを心で感じ、心の言葉で話すことができるようになります」

「それは、少し前に尋ねあなたがお話して下さった心の絆のようなものですか」

「すばらしい、その通りです。忠俊さん、まったくその通りです。よくお分かりになりましたね」

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