新・オスマン帝国外伝~影の女帝キョセム~ シーズン1 83話後半・84話前半 オスマン2世の悲惨な最期は本当に起こったことなの? 

83話後半

オスマンはみんなの前で許しをこうが、オスマンに兵士の一人が

「赦しはないあなたが私たちにした結果がこれなのだ」といった。「反逆者たちは教訓とせよ。この世界はあなたたちにも残らない」と言った。

一方まるこげになった小屋にたどり着いたキョセムは泣き崩れた。

だがハジアーは「わかります。あなたの悲しみは…でももう一人皇子がいます。オスマンさまのために立ち上がらなければなりません。そうしなければ反逆者たちは彼もころすでしょう」とキョセムは奮い立たせようとした。

キョセムは泣くばかりだが、ハジアーは続けた。「まずはオスマン皇帝を救わなければ、それから反逆者たちとハリメスルタン、ディルルバー、そしてダウドに復讐するのです」

というが彼女はまだ立ち上がれなかった。そこでハジアーが引っ張るようにキョセムを立ち上がらせ、二人はオスマンの元へ急いだ。

そのころオスマンの元にはダウドたちがやってきて、そして縄を首にかけた。

一度は兵士たちが助けにはいったが、ハリメが入ってきて、「この男は非情だわ。自分の弟を殺したのよ。あなた方に情けをかけるはずがないわ」と言って殺すように命じた。だがキョセム側の兵士たちがオスマンを守った。

妻のアキレの元へヒューマシャーが来た。赤ん坊を助けなければという。ヒューマシャーはオスマンの子供を助けようと必死だった彼女たちは船で逃げようとした。

 キョセムはどうなっただろう。
彼女はオスマンのところに向かう途中だった。その時馬の悲鳴が聞こえ馬車が止まった。警戒するハジアーとキョセムだったが、入ってきたのはビュルビュルだった。

 彼は「おきさき様」と言った。ビュルビュルは確か皇子たちを助けようとし小屋に火をつけようとした男に殴りかかったが、反対にたたかれ気絶していた。

その間に火がつけられ小屋は燃えたのだった。

でもビュルビュルは皇子たちが生きていることを伝えた。

「皇子たちが生きているの?」と驚いて尋ねると、「生きています、ご安心ください」と言ってビュルビュルは何が起こったか話し始めた。

ビュルビュルは気絶していたのだが目を覚ました。そして命がけで火の中へ飛び込み、火の中から皇子たちを助けだしたのだった。

ビュルビュル最高!
この人はサフィイェに忠誠を誓って今まできたのだが、誰の子でも皇子たちは彼にとってはとても大切な人たちだった。
それにもともとビュルビュルは何かとキョセムを助けてきた。昔一度キョセムが捕まって、サフィイェに殺すように命じられたときも、最後の最期でキョセムを逃がしたりした。

今回もキョセムを助けたのだ。

皇子たちを助けたのはビュルビュル なのだから!

キョセムは思わずビュルビュルに抱きつき感謝の言葉を言った。ハジアーもビュルビュルに抱きついた。

いつも敵対していた二人が皇子救出達成のときには抱き合うのだ。

久しぶりにキョセムの笑顔が見られた。

そして3人は皇子たちが隠れているみせへ向かった。その時ジェンネトの死を知りまたみんなは悲しい顔になった。

ビュルビュルはこの後キョセムが殺されるまで彼女に忠誠を尽くすのだが、彼女が殺されたとき一緒に殺される運命を背負っていた。

ムスタファは手を縛られイェニチェリの舎から宮殿に向かった。何故なら変な行動をするからだ。こうして彼らはムスタファを皇帝として宣言しようとしたのだった。宮殿についたムスタファ皇帝は「嫌だ」と駄々をこね、服をきないといった。

最終話84話

ムスタファの代わりにダウドが代わりに政治をこなしていた。まずは皇帝が

「オスマン皇子を七塔に幽閉すると命じた」といった。 だが一部の兵士たちは

「そこでオスマン皇子が殺されない保証はない」

と抵抗したが、大宰相の地位を利用してダウドはオスマンを無理やり馬車にのせ、連れ去った。街の店に隠れていたムラト皇子は、オスマンが連れていかれる様子を窓から見た。その様子はムラトの心に焼き付いた。このムラト皇子は本当に辛い目に遭っている。ドラマでは実の兄が殺されるところを見てしまったし、今義兄が惨めな姿で牢に連れていかれるのを見たのだ。

ようやくキョセムは子供たちのところへ到着し、ムラトは見たことを話した。

オスマンの窮地を知ったキョセムはハジアーと急いで助けに出かけた。

キョセムは間に合わうのだろうか。

ヒューマシャーたちは無事船に乗った。一安心したところで、男たちが入ってきてオスマンの息子を連れ去った。

キョセムはオスマンの元へ急ぐ。オスマンは7塔の牢に入れられた。彼は抵抗したが、そこでダウドたちに縄で首を絞められて殺された。ダウドはオスマン2世の遺体から何かを切り取った。キョセムが付いたときは彼の息はなかった。

オスマン2世はなんとも悲惨な最期だった。

それにしてもとても残酷だ。今までになく残酷だ。自分に有利な皇帝をたてるために現在の皇帝を皇位から降ろすことは仕方がないことかもしれないが、オスマン2世に対する不遜で品のない対応は許されるべきではない。

あんな風にして民衆の間を引き回す必要もなければ、耳を切り取るなんてことは絶対にいけない。

 ところで実際はどうだったのだろうか?本当にドラマのようだったのだろうか?

Gabaniza, Kabaniçe, Kapaniçe

当時の目撃者の歴史家は、「彼はターバンがなく、悲惨な状態で馬にのせられスルタン・ムスタファがいる中央モスクに連れて行かれ、その時カラ・ダヴド・パシャが彼を殺そうとしたが、阻止された。同日の午後、彼は様々な侮辱的な扱いをされながらイェディクレに送られ、そこで絞殺された」と述べている。

一部の歴史家は「彼の死の証拠として、彼の耳と鼻が切り落とされ、スルタン・ムスタファの義母に見せられた」と書いているところを見ると、ドラマはかなり史実に近い状況だったのかもしれない。ただそのような蛮行を誰が指示したのかは明らかではない。ダウドかもしれないしそうではないかもしれない。でもダウドがオスマン皇帝を絞殺したことは間違いない。

その後、彼の遺体は密かにトプカピ宮殿に運ばれ、朝の葬式の祈りの後、アフメト1世複合施設の隣に建てられたアフメト1世の墓に埋葬された。

若くして皇帝となり、改革を推し進めた結果イェニチェリの反発を買い、民衆の心をつかめなかめず、17歳で悲惨な最期をとげたオスマン2世のお話はトルコでも有名で、彼に関しては多くの作品が書かれている。

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