ギュルフェム妃の死因は? オスマン帝国外伝 シーズン4 

ドラマでは1562年ギュルフェムはフェルハトに刺されて亡くなりました。

実際にこのようになくなったのかは定かではありませんが、歴史家チャガタイウルチャイによると、1561年または1562年に、スレイマンの命令で殺されたとのことです。

それは彼女の 墓石に聖殉教者を意味する書かれたşehide-i saide(kutlu şehit)という表現に由来します。殉教者と言う言葉は戦争で亡くなった場合だけでなく、さまざまな理由で亡くなった人々の墓石にも見られます。

また歴史家アフメド レフィクアルトゥナイによると
ウスキュダルには彼女自身の貯金で「ギュルフェム ハートゥン モスク」が1561年に作られました。ところが資金不足に陥りました。

なんせ4つの部屋、11の家、6つの店、1つの庭、そしてパン屋もある複合施設でしたから。ところがギュルフェム妃がお金を稼ぐためにした行為がスレイマンの逆鱗に触れ処刑されたとのことです。
この死の原因となったギュルフェム ハートゥン モスクは1930年の道路建設工事中に、墓と学校は破壊され、ギュルフェム・ハートゥンの墓はモスクの庭にあります。
(現在は無地の屋根で覆われ、ミナレットはありません)

こうみていくと、どちらも処刑されたという点で一致していますね。死の理由には、ほかにもいろいろな説があるようですので、確かなことはわからないままということになるのでしょうか・・・

ところで、オスマン帝国外伝では多くの方が亡くなりましたが、中でもギュルフェム妃の最期はとても悲しかったです。
宮殿で公平さと正義を貫くのは難しいですが、そんななかでもギュルフェムは常識を備えたキャラとして登場していました。
時にはヒュッレムと敵対するグループに成り行き上はいっていたこともありましたが、率先して人を陥れようとはしていませんでした。
スレイマン皇帝にもいつでも一定の距離を保ってやさしく見守るという立場を貫いてきましたし、彼女は皇帝に多くを望みませんでした。ただ五回だけバヤジトの命を助けて下愛のお願いしたことがあったのですがそれも、自分のためというよりは他人の命のためでした。

なのに最後の最期でこんな風になくなるのはあまりにも悲しすぎます。彼女こそ最後まで生きてスレイマンの死を見届けてほしかったのですが、思ったようにいかないの現実なのですね。
ギュルフェム妃を熱演してくださったセレン(Selen Öztürk)さん、ありがとうございました!
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