
こんばんは

おお、よくきたのう、

あんねあんねが英語にはまっているってきいて、ようすをみにきただけど、どう?

そうじゃな今日は
英語脳についての動画をみたんじゃが、そのときふと昔のことをおもいだしたんじゃよ。

あんねあんねはあんまり昔話しないのにめずらしいな、

どんなことなの?

かれこれ35年も前の話じゃよ。トルコでのことなんじゃが、お客さんがくるということで食事の準備をしていたんじゃ。お客と言っても近所に住む親せきのひとたちじゃ。かなり近しい人々じゃった。皆が食卓についたんじゃよ。

そうか、あんねあんねのとこはよくお客さんがきてたんだっけね

まあそうじゃな、近所の人(コムシュ)や親せき(アクラバ)がしょっちゅうでいりしていたんじゃ。わしは「どうぞ」と何度か勧めたのじゃが、食べないんじゃ。

なんで?

そうじゃろう?もしかしたらメニューがくちにあわないのじゃないかとおもったわけじゃ。きらいなたべものがあるんじゃないかとおもったんじゃよ。たべれないのなら大変じゃとおもって、相手の気を楽にしようと思ったんじゃ。そして
Beğenmeseniz
yemeseniz de olur.「お嫌いなら、召し上がらなくてもよいですよ」
と肯定的な意味でいったんじゃよ。
そしたら
一瞬沈黙が・・・

え?へんなこといっちゃったの?

みんなきょとんとしたかおしとったわい。わしも彼らのはんのうにきょとんとしてしまったわい。

それでどうなったの?みんなご飯食べたの?

おお、それからみんなたいらげていったわい。

トルコのある地域では何度も勧めてからでないとたべはじめないからな。勧めるのがぎれいになってるのさ。

ぎれい?

儀礼は言い過ぎか、そういう習慣なんだよ。だからそんな時食べなくてもいいなんて言われたらぎょっとするわけさ、彼らが期待していないことばだったからね。

それからというもの、食事のたびに来たお客さんたちにからかわれたもんじゃよ。
彼らがこのセンテンスを真似して使うんじゃ。そして笑ってったのう。

でもなぜそのことをおもいだしたのかな?

そうじゃのう、動画で
「完全なバイリンガルでない限り、住んでいる場所の言語の脳を使ったほうが良いのでは・・・日本にすんでいるなら、あえて
英語脳で話す必要がない」といってたんじゃよ。それでおもいだしたんじゃよ。あの時わしは日本語をそのままトルコ語にして発話してしまったんじゃなあ。じゃから変なことになったわけじゃよ。 トルコ脳ではなさなければならなかったんじゃのう。

アンネアンネは今なら、何度も彼らが食べだすまで、「どうぞ、どうぞ」「Buyurun buyurun」っていいつづけるんだろな。だがこの「どうぞ」で困ったこともよくあったぜ。

なになに?

おなかがいっぱいになってもうこれ以上食べれないっていうのに、まだすすめてくるんだよ。断っても断ってもすすめられるから、ついたすぎちゃうのさ。
だからはら
はちぶんめどころじゃなく、はら
にじゅうぶんめたべなくちゃならないしまつさ

へえ、
ところ変われば品かわるってやつね 。
と言うことであんねあんねは今英語にはまっているようですが、言葉は単体で存在しないのですね。人がいて、その人々が形作るいろいろな習慣や文化の中で生きているのですね。だから言葉だけを覚えてもお互いの文化を分かり合わない限り、行き違いはおきてしまうのでしょう。でも卵と鶏のお話と同じで、もし言葉がなければ文化や習慣をわかるのにも難しさが倍増してしまうかもしれませんね。良い眠りを…
では皆さんにとって明日もよい一日でありますように・・・
おやすみなさい。