新・オスマン帝国外伝~影の女帝キョセム~ シーズン2 E43 1,2 ムラト皇帝の強硬な政策は何故行われたの?
ムラト皇帝にはいろいろなことが突然起こった。
大火事の惨事と民衆の信頼の喪失、信頼していた小姓頭と妹たちの恋愛問題・・・
ムラト皇帝はなぜか恐怖を覚えた。昔オスマン兄が亡くなった時のこと、今現在生きている伯父のムスタファ前皇帝のことなどが、悪夢のように現れては消える。
彼は明らかに死への恐れを感じていた。民衆の信頼を失った支配者の末路を、そして民衆の残酷さも・・・民衆は真実よりも噂にまどわされて物事を判断することが多い。だから誰かが仕掛けた罠でも、仕掛けられた者を悪く言うのだ。
今回もそうだった。実際はシナンパシャが行動したのに、それをムラト皇帝の部下がしたと民衆に思わせたのだった。
ムラトはそんな光景を見て追い詰められていった。
そして次の日、彼は人事を刷新し、民衆への規制強化を図った。
たばこ酒は全面禁止、その罪は死に値するという命令を下したのだった。
さらに小姓頭の刀持ちのムスタファから花押を取り上げおこもりの場所へ閉じ込めた。
強固な政策をキョセムは心配して忠告するが、もはや母の言うことなども書かない様子だった。
孤立するムラト皇帝・・・一人傍によりそうのはファルヤ王女だったが・・・
それにしても小姓頭の運命が気になる。アティケは自分が愛した人を窮地に追い込んだ。アティケは本当に小姓頭を愛していたのだろうか?いや、違う愛してなどいなかったに違いない。
彼女は小姓頭に恋する自分を愛していたのだ。だからこと自分のプライドが傷ついたとき、小姓頭の幸せよりも、自分の怒りと絶望の気持ちが彼女の心の中で大きくなっていった。
人を愛するとはどういうことなのだろう?
人を愛しているか否かは、窮地に追い込まれたときでなければ本当はわからない。
勿論いちばんいいのは愛する二人がともに幸せを分かち合い生けていけることだが、
もし相手の幸せと自分の望みをはかりにかけたとき、その二つが一致しなかった時、相手の幸せを優先することができるのが、本当の愛の形だと思う。
アティケは怒りに任せ、皇帝に自分の希望的観測を交えた意見を本当のことのようにつたえた。この時点で、真実がどうであっても皇帝が小姓頭への信頼を失うことはわかっていたはずだ。
それでも言ったのはアティケは小姓頭を本当に愛していなかったからだ。
本当の愛はそう簡単には得られない。アティケのように自分の気持ちや感情に打ち勝たなければならないときがあるからだ。
とはいえ世の中のすべての人が相思相愛で幸せになってくれたらいいなあと心から思う。