海外ドラマ『エカテリーナ』シーズン1最終回 あらすじ22話 

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1775年秋、花嫁候補のナタリアの不祥事がエカテリーナの耳にまで届く。
その昔エリザヴェータ前女帝から結婚の際自分も女性として屈辱を受けたために、彼女はナタリアのことを考え検査をさせなかった。
だがそれがあだとなり、エカテリーナはナタリアに騙されてしまった。早速彼女を国に帰そうとする。だが身ごもっていたナタリアも負けてはいない。エカテリーナは孫のために彼女を嫁に迎えざるをえなかった。
ナタリアの相手のアレクセイだが彼は逮捕される。と言うことはソフィアは結婚できなかったのだ。

エカテリーナはある朝目を覚ます。グレゴリー・ポチョムキムがいないことに気づき心配になり彼を探しまわる。グレゴリーはと都市をつくる仕事に熱中し忙しかった。だがエカテリーナの気持ちも理解し忙しくて行けないことを謝る。エカテリーナは今までにない気持ちをグレゴリーに抱いていた。たぶん成熟した女性が様々な恋を経験した後得られる真実の愛をエカテリーナはグレゴリーに見出していたのだろう。
彼と秘密結婚もし、女児一人もうける。グレゴリー・ポチョムキムはプガチョフの乱で有名になった軍人で、クリミア併合の時にも功績がある。1783年、クリミアを直接統治へと切り替えるためにも尽力を尽くした。彼はクリミアの県知事に任命される。艦隊も要塞も造り精力的に仕事をこなしていった。だがこれはオスマン帝国と戦争がはじまる原因にもなった。1791年ヤッシーの講和条約でクリミアを完全にロシアの領地とし、彼を総督とした。(このクリミアはオスマン帝国外伝ではスレイマン大帝の母の出身地。アイビゲもこの出身です!)
ポチョムキンは王して最後までそれなりの仕事をなした。一方、グレゴリー・オルロフは過去の恋人で、廃人になっていた。あの勇敢だったグレゴリーの姿は今はない。哀れだ。たぶん彼はエカテリーナを失ったと自暴自棄になったに違いない。彼は罪を犯し捕らえられた。そういえば英国に渡った彼の子・アレクセイはどうなったのだろう。彼は後に貴族になり、彼の子孫砂糖工場で名を挙げた。

いよいよエカテリーナの孫が生まれる。だが難産だった。ナタリアはパーヴェルの励ましの言葉に対し呪いのことばで応え息絶えた。
その後エカテリーナはまた嫁探しを始める。プロイセンのマリアの名が挙がる。パーヴェルは何ともすごい契約書を書き、それを持参してマリアに会いに行く。マリアは聡明で知識がありパーヴェルのこころをつかむ。
1776年9月結婚し10人の子供に恵まれる。だが1777年12月生まれたアレクサンドルをエカテリーナは自分で育てようとする。マリアは悲しみのあまり出て行った。マリアは修道院に行ってしまったのだ。連れ戻そうと思うが修道院は彼女を守り、彼女の意思に反して戻すことはないと公言する。そして大司教は息子夫婦を束縛しないようにと意見する。
そこでドラマではエカテリーナは昔の自分の悲しい経験を思い出し、長男のアレクサンドルをマリアに返したことになっているが実際は違うらしい。週に1度会えるだけだったと言う。長男だけでなく次男はエカテリーナに連れて行かれ時離れ離れに過ごすことを強いられた。
1778年5月エカテリーナは大司教の話に耳を傾けるようになりこころから悔悟する。
そして過去に犯した罪の償いをし始める。まずは無実の罪で幽閉したイヴァン6世の父と兄弟たちを解放した。ちちょやはもうこの世にはなかったが兄弟たちは40年間の幽閉を終えデンマークへ戻った。

啓蒙思想に傾倒したエカテリーナは既存の慣習にとらわれず数々の偉業を成し遂げていった。1782年8月ピョートㇽ大帝帝冠100年を祝う開幕式がはじまろうとしていた。
巨大な岩の上で馬にまたがるピョートル大帝を世界中に披露し、ロシアが今日ろくな国家であることをアピールした。
この像はフランス人ファリコネが制作し、プーシキンが「青銅の騎士像」と名づけた。像はスェーデンをにらんでいそうだ。
当時この巨大な岩をここまで運ぶのはどんなに困難だったことだろう。この像はエカテリーナの力の象徴するものの一つだろう。其の後も彼女はとどまることなく進み続けた。
1796年まで脳梗塞で倒れ、息を引き取った。

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