オスマン建築やシステムはムフテシェン(Muhteşen)壮厳だった
2008年にトルコで始まったユズユゼというトークショー番組の司会だったケナン・エルチェティンギョズさん。
招かれたのはオスマン帝国外伝でオスマン帝国外伝のセットです。
スンビュル役をつとめたセリムバイラクタルさんがガイドしてくれます。オスマン帝国外伝おドラマのセットに初めてカメラが入った時のことです。それまでセットは秘密にされていました。
このセットは本物のトプカプ宮殿にそっくりに作られており、中に入ったとき、「厳かさを感じる」とケナンさんは語っています。
いま二人は内廷のハレムの入り口のドアのところに立っています。このドアはヒュッレム妃が亡くなりスンビュルが、彼女の思い出をそこにとどめておくかのように閉めたあのドアです。
そのドアの先に、タシュルクという女奴隷たちがそこで生活するがありました。スレイマンが初めてヒュッレムに気を留めたのもここでした。このタシュルクの通りをスレイマンが通った時スレイマンと呼び捨てにしたのです。
ケナンさんは
「4年間もあなたをスンビュルとしてみてきましたから」と言いながらセリムさんに「スンビュルアー」と呼びかけます。(2014年に取られた映像のようですね。)
「あなたが出ていない話では必ずあなたの姿を探しましたよ。あなたはハレムのことをよくご存じです。ですので、あなたにハレムを紹介してもらうのが一番良いと思いまして。セットで誰もが入れないセットのハレムの部屋に私は入ることができました。ハレムについて少しお話しくださいますか」と気さくにセリムさんに話しかけています。
と気さくにンセリムさんに話しかけた。スンビュルは確かにとても重要な役を果たしていた。(ハレムを知る者がオスマン帝国を知るといっても過言ではないかもしれない)
ハレムは何かというといに
「ハレムはムハッレムٱلْمُحَرَّمに由来しています。皇帝の最も愛する大切な人々が住む聖域で、誰も入ることのできない場所です。アラビア語のハラムからきています
(ムハッレムは禁じられた場所という意味。ハレムは子や夫、親族の一部以外は入れない場所のことでしたが、のちに皇帝の後宮をさすようにもなりました。日本語でハレムというと後宮を思い出しますね。)
「ハレムは大変興味深いシステムで動いていました。時がたつにつれて地方に散らばった高官はこのハレムで教育された女奴隷たちと結婚しました。理由は情報が漏れないようにということからでした。」(こうしてみるとかなりの秘密主義だったのですね。情報合戦で勝ったものが皇帝の地位につけるわけですからね。情報がいかに大事で、それに気を使っていたかよくわかりますね)
「ハレムは学校でもあったのですよね。どんな規則があったのですか?」
とケナンさんがきくと、
「ハレムでは読み書き、ダンス、楽器の演奏、礼儀作法などを教えました。後にそこから后妃が生まれましたからね」とスンビュルは答えた
次のシーンでは、シーズン3の終わりに行方不明だったヒュッレムが突然戻ってきてスレイマンと再会した廊下に二人は立っています。そこから皇帝の私室へと向かいます。
部屋に入るとセリムさんが
「美しい絨毯が敷かれているのが見えるでしょう。タイルも素敵ですね。」というと、
「入るとすぐ右側に机がありますが、これは何ですか?なぜここに机があるのですか」というケナンさんの問いかけます。
「これは書記が集会の一部始終を書き綴る机です」と答えます。
次に「あそこに水道がありますね。皇帝の部屋になぜ水道があるのですか?」
と聞くと
「秘密を守るためです。水を流して中の話声が聞こえないようにしているのです」と答えます。
ここでも秘密厳守が大事なんですね。そういえば、后妃の部屋に穴が開いていて風の動きで それを発見したシーンやヒュッレムが秘密のドアを作り、御前会議の内容を盗み聞きするシーンもありました。これも情報戦の一環です。人々は当時宮殿で生き残るためにあの手この手で秘密を入手しようと躍起になっていました。
時にはその手に入れた秘密で天下をひっくり返すこともできたのですから、秘密を守ることに気を遣うのは当然のことかもしれません。
情報管理を大切にしたオスマン帝国時代のシステムや建築!
そういう意味でも当時のオスマン建築やシステムはムフテシェン(Muhteşen)壮厳だったようですね!
【オスマン帝国外伝の原題は「Muhteşem Yüzyıl」で「荘厳な世紀」です)