オスマン帝国の本物の皇帝の姿がみられる貴重な映像を発見!

映像で観られる実際のオスマン帝国の皇帝の姿はオスマン帝国外伝の軍服姿の雰囲気がちょっと違いますね。

なぜなんでしょうか?

話はちょっとそれますが、昔よくヨーロッパでやんちゃな子供たちがなかなか寝ないとき、母親たちは「オスマン軍がやってくるよ」と脅かして寝かしつけたというお話がトルコで伝えられています。オスマン帝国外伝の主人スレイマン大帝の時代まではオスマン帝国はそんな逸話が伝えられるほど、ヨーロッパに非常に恐れられていました。

オスマン軍が強かったためでしょうか、現在のヨーロッパの軍服には、当時のオスマン帝国の軍服は大きな影響をあたえています。中でもサッシュはいくつかの国々での軍服にみられます。

ただこの映像は私たちがイメージする服装と違って私たちがかなり見慣れた様相になっていますね。

それは実はトルコでは1800年代に入ってタンジマートという改革が行われたからです。

そのころ強大になっていたヨーロッパに対抗するためには、これは致し方のない変革でした。日本でも1800年代に明治時代になり、近代国家を目指し、ちょんまげを棄て西洋式の服を着て、廃藩置県を行い、中央集権的な国家を目指していましたが、トルコも同じでした。そのタンジマートでは軍政の改革も行われたんです。

それまでデヴシルメという制度で、海外の子供たちを集め、幼いときから皇帝直属に仕えるような教育をしてきたのが、年代が下る連れ、そういった兵士たちが世襲化していきました。ということはある程度、財も地位もある状態の人々が兵士になっていきました。そうすると皇帝の命令をびしっと聞かせることは不可能になり、兵士たちを中心とした反乱が何度も起こるようになったのです。これはドラマ「続オスマン帝国外伝」を観ていただけるとわかると思いますが、キョセムの生きた時代はイエニチェリノ反乱に次ぐ反乱の時代でもあったのです。

スレイマン大帝の時代はカプクルと言って奴隷出身の官僚が多かったです。(ドラマでもイブラヒム宰相やリュステム宰相を初め下級兵士までいっぱいいましたね)

ところが続オスマン帝国外伝の時代はアフメト1世の時にも、何度か反乱がおこり、皇帝病気説が噂されたときは、宮殿まで乱入するという事件がおこりました。(それを沈めたのが妻のキョセムでした。それ以後キョセムは神話化されます)アフメト1世の子供オスマン2世とイブラヒムは皇帝の座についたにもかかわらず兵士たちの反乱で、命を落としました。

そんなわけで1800年代に入っては もうイェニチェリ(歩兵軍団)を廃止せずにはいかない状況になっていたのです。1826年新しい西洋式の軍隊を設立しますが、その後も新軍の訓練が開始されると間もなくイェニチェリたちは最後の反乱を起こします。

こうして軍隊が西洋式になってから約80年後に動画にみられるオスマン帝国最後の皇帝の就任式が始まったのです。

ということで当時のトルコのみんなにはなじみ服装になっていたんですね。

(でも映像で気が付かれたと思いますが、皇帝の座る玉座は同じに見えますね。スレイマン大帝が座った長椅子、その後の皇帝たちが座った長椅子とおんなじ形をしていました。)

オスマン帝国はこの映像の数年後に滅び、現在のトルコ共和国が生まれますが、最期の就任式という点でも、またそれが映像化され残っていて今の私たちが実際の様子を見ることができるという点でも、この映像は大変貴重なものだと考えられます。

この映像を観て、皆様も、オスマン帝国がもっと身近に感じられるようになられたのではないでしょうか?時間も短い映像なので、是非ご覧ください。

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