ムラディイェ複合施設Muradiye Külliyesiってなんだろう?

ムラディイェ複合施設Muradiye Külliyesiってなんだろう?
その前に複合施設っていうことばをきいたことがありますか?
オスマン帝国外伝のドラマでも時々出てきますね。私たちの観たオスマン帝国外伝のドラマに出てくるスルタンたちや皇族たちやパシャたちは私費で公共設備を作らせることが多いです。
たとえば水道とこモスクとか学校(マドラサ)とかハマムとかイマーレト(オスマン帝国時代に困窮者への食べ物、着物、健康を援助する目的で作られた援助機構)などですが、当時のお金持ちの人々は全部またはその一部を作るための寄付を好んでしました。

ヒュッレムもモスクやマドラサをイスタンブルに作りたいと言ってみんなをおどかせましたね。ヒュッレムはただの寄付ではなく、イスタンブルでそれを行いたいといったのでした。それでみんなが驚いたわけです。(それまで女性がイスタンブルで公共施設を作る前例がなかったからだとオスマン帝国外伝のシーズン2でドラマではいってました。)

スレイマン大帝も晩年スレイマニイェ複合施設を建設しています。彼やヒュッレムのお墓もその施設の一角にあります。母后ハフサ・スルタンやマヒデブランもモスクを作りました。マヒデブランは裕福ではなかったけれども、息子ムスタファのためにちいさいながらも雰囲気の良い施設を建設しました。イブラヒムも多くの施設や寄付をいたるところでしたとカーディー(のちのイスラム長老)に話すシーンがとシーズン3にあります。

そうそうシーズン3から出てくるヒュッレムに忠誠を尽くす悪役的?なルステムもヒュッレムとの神の前での誓います。(ヒュッレムは自分の死がちかづくとルステムに息子バヤズィットを守るように聖典にかけて誓わせます。ですが、ルステムはバヤズィットの状況が不利になるとそのヒュッレムとの約束をやぶりました)
そこでドラマによるとルステムは苦しみ、ホジャに尋ねます。そのホジャは悔悟し、ハユル(慈善)をすればバヤズィットを助けるという役を苦を破った償いができると言われ、公共施設を作らせたり、多額の寄付をしました。イブラヒムも多くの寄付をして民衆のための公共施設を作りました。

ということで前置きが長くなりましたが、これらの慈善事業(ハユル イシ)の一環として作られたいろいろな公共施設が一つの場所にまとまったものをKülliyeキュッリイェとトルコではよんです。英語ではコンプレクスComplex というみたいです。
なので時々ガイドブックには「~~~コンプレクス」なんて書かれている場合もあります。

さてようやくムラディイエ複合施設についてのお話に入ることができました。

これは ムラト2世がつくったんです。ムラト2世ってだれだれでしょう?
彼はメフメット2世の父です。ムラト2世の孫の孫がスレイマン大帝ですから、スレイマン大帝から見て4代前になるんですね。スレイマン大帝が即位したのはムラト2世がなくなって約70年後のことでした。

1425年から1426年にかけて建設は行われました。スレイマン大帝が即位したのが1520年ですので、スレイマン大帝の時代から100年前の出来事なんですね。中にはどんな施設があったんでしょうか?

1ムラディイェ モスク
2ハマム
3マドラサ
4イマーレト
5後に付け加えられた12の廟
さらに時代が下るにつれて宮殿関係の人々が数多く埋葬されたため、宮殿の墓地の役目も果たすようになり、イスタンブルに次いで数の多い第二の墓地と知られるようにもなりました。
つづく

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