エミール・スルタン複合施設 (モスク、お墓、ハマム、)

エミール スルタン複合施設
エミール スルタン複合施設は修行場として作られたのが始まりだった。修行者の宿泊施設とモスクとイマーレトで構成されていたらしい。
後Emilスルタンの妻でバヤズィト1世の娘のフンディがモスクの形に整えた。公共浴場も追加した。 後に学校も作られた。

18世紀か19世紀ごろ図書館と水道が追加されたが、現在みられるのはモスクとはハマムと水道だけである。

エミールスルタンの墓
エミールスルタン複合施設の中庭の、モスクの向かい側にお墓がある。アーチ形の窓と照明が素晴らしい。
3代のスルタの時代を生き抜いたエミールスルタンは非常にみんなから尊敬されており、現在の墓は当時の者とはだいぶ違っているが、精神性を重視した人々が今でも数多く訪れる。
他に妻フンディ ハートゥンと息子のエミール・アリと二人の娘の棺がある。

Emilスルタンモスク

ブルサで最も大きなクッベのあるモスク。2つのミナーレがある。イズニク製のタイルで飾られたのタイルと大理石が美しい。

ハマム 4角形のハマムは冷水温水そして熱水の出る部分に分かれていた。

エミール・スルタンとは?
ほんとの名はシャムセッディーン・ムハンマド。バヤズィットの娘と結婚した後、エミールスルタンと呼ばれるようになった。1368年に生まれた。
17歳ごろ 父親が亡くなる。陶器づくりで生計を立てていた。
後に巡礼のためメッカに行くためブハラを離れた。
数年メディナに滞在したのち、バグダッドへ行く。そこで知り合ったアシュク・チェレヴィとアナトリアへ向かった。
カラマン、 ニーデ、ハミード、クタフヤ、イネギョル(長細い、ハンバーグで有名)そしてブルサへと旅する。

1391年に訪れたブルサでは最初洞窟に住んでいた。その場所は今彼のお墓のあると事だったと言われている。短期間に彼はブルサの人々に慕われ有名になる。民衆だけでなく高官も彼を訪れるようになった。 統治者も彼に一目置く。
彼はティームールの使者を殺さないようにと当時の統治者に忠告する。
アンカラの戦いのときティムール軍にブルサが占領されたとき彼はティムールの元へ連れて行かれる。その後ティムールは彼を解放したので、またブルサへ戻った。
バヤズィットの娘フンディ ファティマ スルタンと結婚した。

オスマン帝国君主10代まで
オスマン オルハン ムラト1世 バヤズィト1世 メフメト1世 ムラト2世 メフメト2世 バヤズィト2世 セリム1世 スレイマン1
関連記事
にほんブログ村 テレビブログ 海外ドラマへにほんブログ村 芸能ブログ 海外芸能人・タレントへ

このブログの人気の投稿

オスマン帝国外伝シーズン2最終話あらすじエピソード63 (77話、78話、79話) 

プロフィール

最新記事

もっと見る

プロフィール

プロフィール画像
それはオスマン帝国外伝から始まった
Twitter
YouTube
当ブログにお越し下さりありがとうございます。ドラマのあらすじや登場人物のお話のブログです。どうぞお楽しみくださいませ。 ご連絡はEmailでお願いいたします。 Email