ムラディイェ複合施設の中にある3人の女性の墓2~4

今日はムラディイェ複合施設の中にある3人の女性の墓を紹介します。みんなファーティフメフメト2世に関係している人々です。

ギュルバハル(エベ) ハートゥンの墓Ebe (Gülbahar) Hatun Türbesi
メフメット2世の幼少のころ世話をしてくれた方の墓と考えられています。そのほかのことは名がギュルバハル ハートゥンということぐらいしかの詳しいことはわかっていません。1420年代ごろに作られたようです。とてもつつましやかな感じの良い墓です。

ハートニイェの墓Hatuniye türbesi
 メフメト2世の母親ヒューマ・ハートゥンの墓です1499年に作られました。そばにもうひとつある墓は誰のか不明です。

彼女についても詳しい情報はありませんが49歳で亡くなりました。ファーティフ・メフメト2世が書かせた記述の中に亡くなった年が1449年と記されてありました。あとはある裁判の記録に彼女の名前がヒューマと書かれでていました。
父親の名前は明らかではありません。ですが、ある記録にアブドッラーの娘である女性(Hatun binti Abdullah)と書かれてあるので、父親は改宗ムスリムであることがわかります。(昔の書き方でアブドッラーの娘と書かれた場合、唯一の神のしもべの娘という意味になり、改宗した名前のわからない人をさします。)
ある諸説では彼女はフランス人またはフランス系のユダヤ人で、エステス・ステラという言われています。

ギュルシャー・ハートゥンの墓Gülşah Hatun türbesi
メフメト2世の4番目の配偶者で、1480年に作られました。
カラマンオウルラルの君侯イブラヒムベイの娘と言われています。または女奴隷だったという説もあります。
カラマン・サンジャクベイのムスタファの母親にあたります。1466年から1474年の間、息子と共に赴任先へに赴き、コンヤとカラマンの地域で生活しました。
1466年息子さんがなくなるとブルサへ行きました。ブルサでは1487年まで約13年住みました。

オスマン帝国君主10代まで
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