ムラディイェ複合施設の中にあるお墓9~10

アフメト皇子の墓(Şehzade Ahmet türbesi)
スレイマン大帝の父・セリム2世によって1513年に建てられました。セリム2世が即位した翌年です。
バヤズィット2世はシェヘンシャー皇子 (Şehzade Şehenşah)を後継ぎにと考えていましたが、お父さんより先に亡くなりました。シェヘンシャー皇子とその母ビュルビュル・ハートゥンとシェヘンシャーの息子アフメトが埋められています。
さらにセリム2世が皇位についたときシェヘンシャーと同じ母を持つ弟のアフメト皇子も埋められました。コルクト皇子の棺もそのとなりにあります。この廟にはスレイマン大帝のおじさんたちにあたる方々にゆかりのあるお墓が多くあります。

10 ミュクリメ・ハートゥン(Mükrime Hatun)の墓
シェヘンシャー皇子の配偶者 でメフメト・チェレビのお母さんのお墓です。1517年に亡くなりましたが皇子とは別々に埋葬されました。不思議に思って調べてみましたがわかりませんでしたミュクリメハートゥンと言うとメフメト2世の妻(正式に皇帝と結婚した数少ない女性)のスィッティシャー・ハートゥン検索にヒットしてしまいます。勘違いしてしまいそうですが、その方ではありません。彼女のお墓はエディルネにあります。)

オスマン帝国君主10代まで
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