スレイマン大帝のお墓には黒石(アルハジャル=ル=アスワド))がある?トルコのお墓
シゲトバールから運ばれたスレイマン大帝の遺体はミーマルスィナンが7年かけて作ったスレイマニイェジャーミの後ろ側に埋められました。隣にはヒュッレムスルタンもいます。スレイマニェモスクは海沿いのトプカプ宮殿から30分ぐらい西北西へ歩いたところにあります。距離は2キロメートルぐらいです。タキスィムから行くならバスが便利かもしれません。48Tに乗ってスレイマニェジャーミ停留所で織ります。( 48T Hamidiye Mahallesi – Taksim Hattı)
スレイマニイェジャーミの敷地内にある墓は1566年ミーマルスィナンによって建てられたと言われています。
スレイマニイェジャーミの敷地内にある墓は1566年ミーマルスィナンによって建てられたと言われています。
- スレイマン大帝のほかに
- スレイマン2世(Sultan II. Süleyman)
- アフメト2世(Sultan II. Ahmet,)
- ミフリマフスルタン(Mihrimah Sultan,)
- サーリハ母后(Saliha Dilaşûp Valide Sultan)
- アスィイェスルタン(Asiye Sultan )
- ラービアスルタン(Rabia Sultan)が眠っています。
☆黒石ٱلْحَجَرُ ٱلْأَسْوَد(アルハジャルルアスワド)の破片はトルコに全部で6つあります。アラビア語でアルハジャルはその石でアルアスワドはくろいという意味です。
5つがイスタンブルにあり残りの一つはエディルネのエスキジャーミに保管されています。イスタンブルにある5個の1つがこのスレイマン大帝の墓の入り口のドアに埋め込まれています。
そして残りの4つはなんとソコルル・メフメト・パシャジャーミにあるんです。
☆スレイマン大帝は亡くなった場所に内臓だけ埋められました。遺体を腐らせずどのように運んだかはとても気になるところですが、現在でも日本で亡くなられた方をその方の母国送り届けるというのは並大抵のことではありません。
昔は傷があるご遺体は衛生上の問題で送ることができず矢もなく日本に埋葬されたケースもありましたが最近では化学が発達したおかげで衛生保全処置(防腐処置・エンバーミング)ができるようになり空輸でご遺体を輸送することが簡単になりました。
ですがトルコまでですと(業者さんにたのむと)90万ぐらいはかかるかもしれません。
必要書類は- 故人のpassport
- 死亡診断書の英訳
- Affidavit of Embalming for International Transportation
航空便の手配に必要な内容は故人の氏名と送られた国の空港での引き取り人の住所と氏名と電話と死亡原因でこれらを航空会社に知らせます。
このようにしてようやく故人は祖国の地を踏むことができます。ちなみにトルコの墓地はただです。ただ埋葬場所は家族同士が隣同士と言うわけにはいかず、埋葬された順に場所が決められます。
オスマン帝国君主10代まで
オスマン オルハン ムラト1世 バヤズィト1世 メフメト1世 ムラト2世 メフメト2世 バヤズィト2世 セリム1世 スレイマン1世