この世には三種類の人間がいる、女たち、男たちそして母たちだ」 トルコドラマMother予告編2
「この世界には三種類の人間がいる。女たちと男たちそして母たちだ。最後の者たち(母たち)を理解することは不可能だ」とその女性はナレートします。
この初老の女性はゼイネプの産みの親をギョニュルです。このナレートはとても興味深いです。まずこの世にいる人間を2種類ではなくて、3種類に分けたことです。ふつう人間の種類に母を入れるのであれば、父もいれなくちゃおかしいじゃないですか。でも母だけを人間の種類にいれました。なぜでしょうか?
このドラマでは虐待を受けたメレクを自分の娘として育てようとしたゼイネプにみられる母像の他にも、いろいろな形の母像が出てきます。
例えばゼイネプの母です。一人は産みの母で、もう一人は育ての母です。ゼイネプのおばあさんとゼイネプのお父さんも母と子の関係になりますね。
そしてここでたぶん誰にも気に入られない、好きになられないんじゃないかと思われるキャラクターのシューレですが、シューレとメレクの関係も母子です。それも母親の一つの像となりますね。他にも育ての親のヴァヒデがいます。彼女と実の娘たちの関係も母子です。
といった具合で、たくさんの母と娘の関係が出てきますよ。
それらは一つ一つ全く違ったあり方です。でも共通して言えることは
「本質的には母親はやはり子供のことを思っている、形は違っても子供を思っていることは変わりません。
現れる行動としては子供にとってつらいことをしてしまうかもしれませんが、シューレを見てもわかるように、彼女は彼女なりのやり方で娘のことを思って、最後にはゼイネプに娘を託します。
1人の人が生きていく間に、様々な役割が生まれてきますね。
子供、親、小学生、働く人、消費者、国民等々たくさん見つかります。それらの役割の中で、女性の中に含まれる役割の一つ母を、女性と同等の立場にもってきている点が面白いです。このドラマは、多くの役割を持つ一人の人間が、母と言う役割の中に他の役割すべてを昇華していくプロセスを見事に描き出しました。時にその昇華するプロセスを理解することは、大変難しいです。
というわけで「この世には三種類の人間がいる、女たちと、男たちと、そして母たちだ。最後の者たちを理解することは不可能だ」というギョニュルの言葉にスポットをあててトルコドラマMotherをご紹介しました。
ところでみなさんのお母さま方はどのような方だったのでしょうか?