スレイマン大帝の治世2 フランスとハンガリーとオスマン帝国

スレイマン大帝の治世
1541年ブダ州が置かれるまでハンガリーのハプスブルク家とオスマン軍の攻防が行われた。
1519年、そのハスブルク家からスペインの王が出現する。(カルロス1世)その後この方はローマ皇帝として君臨する。ローマ皇帝への道もかなり大変で、フランス王(フランソワ一世)と争った結果手に入れた座だった。1525年名実ともにヨーロッパの最高権力者になった。でどうする?フランス!なんと長年の敵国であるオスマン帝国のスレイマンがフランスを助けた。理由は西進したいオスマン帝国には利用価値が十分あったからだ。勿論フランスはドイツのルター勢力やローマ教皇クレメンス7世との連携して何とか自国を守ろる努力もしている。
というわけで
1526年8月29日のモハーチの戦いから3年後の1529年スレイマン大帝はウィーンを包囲する。
つづく

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