「ラン」(森絵都作)を読んで 

悲しい過去を抱えた女の子が、ひょんなことからマラソンのサークルに入り、42kmマラソンに挑戦するまで変わったお話。彼女の走る目的はあの世に家族に会いに行くためにだったのだけれど、仲間と過ごしていくうちに最後は、一緒にフルマラソンを目指し出場してしまう。


ところで、森さんの作品には輪廻の考え方が色濃く反映されていると思う。


今回は自転車であの世の第一ステージに生きたまま行けるシーンが書かれてあったし、以前読んだ本にも闘牛士から、はかない少女に生まれ変わる話もあった。


一神教のオスマン人から見るとこの輪廻という考え方は、まったく理解されないだろう。オスマン帝国外伝の舞台になった時代は1500年代から1600年代のオスマン帝国の時代だ。

オスマン帝国はモンゴルの力に押されたセルジューク王朝の末期に創始者オスマンが築いたトルコ国だった。

オスマンは、当時有力で、民衆に慕われていたイスラム長老と共に、国の基礎を作った。

彼らの考えでは人の魂は永遠に1人は1つなのだ。その魂は4つのステージを生きる。この世に生まれてくる前、そしてこの世、死後のお墓の中、そして死後の世界だ。

どのステージでも魂は同じ魂で、変わることはない。

輪廻ではそういうわけにはいかない。人は生まれ変わるし、それも人だけでなく牛や虫にもかわることがあるという。くるくるまわって忙しい。でもロマンも生まれやすい。

前世で縁があったと思うことで、その縁のあった人と現世でより強い結束が生まれたり、「ラン」のようにあの世の人たちと付き合うことで、今生きている主人公の人生が、現世で前向きになるといったストーリーが生まれたりする。森さんの作品の面白さはそこらへんにあるような気がする。


今回の「ラン」では、主人公の女の子は交通事故で若くして家族を一度に亡くし孤独な人生を過ごしてきたと感じていた。

そしてある時死んだ家族に会うことができた。

その後彼女は何度も会いたくなる。

会う方法は自転車だったが、その方法は期限限定だった。

ほかに40㎞をかなりの速度で走るという方法もあるらしい。そこで彼女は走ることに挑戦し始めた。


でも死んだ家族と、会えなくなる時が来る。どうやら彼らは次のステージへ進んだらしい。


彼女は大丈夫か?

今度の別れは大丈夫だった。彼女には自然で優しい別れとなった。


なぜなら、彼女はマラソン(の仲間)と共に、現世にしっかり足をつけて、大地を踏みしめ走る女性となっていたから。


前世の縁を大切にし、過去に悩みながらも、現世を思いっきり生きようとする主人公の姿はさわやかで美しいと思った。

でもランの主人公はあの世で死んだ人に会い直接話を聞けたからよかったけれど、私たちはそうはいかない。

あの時ああしておけば、その時ああいえていればなど、後悔しない過去を持たない人はめったにいないと思う。


後悔の念が現在を陰らして暗くしてしまうほど強いのなら、その念はきっぱり捨てた方がいい。

後悔の念が生み出す罪悪感は後悔している人自身の痛みをいやしているだけのものになりやすい。そして最悪なのは、悔いの間違った仕方は現在と未来をむしばむことがしばしばおこるということだ。悔いる気持ち、わびる気持ちをかげあるものでなく、光ある現在につなげていくような行動をとっていった方がいい。

でないと、将来から現在の私に文句が来るだろう。

「後悔で暗くしているまさにそのあなたの現在が、あなたの未来の現在をつくっているんだよ。未来で、またあなたは後悔することになるよ。」って、、、


by anne

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