本 詩の淵の愛と光 加賀乙彦編 ~人であるアウグスチヌス(日本人)~

 洗礼名アウグスチヌス、彼を知ったのは6月の末だったと思う。友人から心に残った本について熱く語られた。その中に彼の姿もあった。

アウグスチヌスは日本人で、自らの存在理由を問い続けながら人であるために全身全霊で戦ってきた。彼は友人のよんだ本の中のだけでなく、自らも作品を残した。

最初に私が読んだ彼の文は、見開きに自筆で書かれた母への手紙だった。7月の初旬のことだ。

..........

さあ、お母さん

7時です。あと1時間で出

立する由なので、そろそろペンをお

かねばなりません。

    ぼくの大好きなお母さん、

  優しいお母さん、 いいお母さん、

愛にみちた、ほんとにほんとにすばら

しいお母さん、世界一のお母さん


    さようなら

   でもまたすぐに会いましょう。

 ね。 だから あまり泣かないように・

   さようなら

  百万遍も さようなら

( 髪の毛と爪を同封します。 コレだけでよかった? ) 

今こそ、ぼくはお母さんのすぐそば、いや、ふところのなかですよ、おかあさん!!

第一印象で思ったことは
こんな文を書けるなんてなんて素直な方だろう
だった。


さてさて
これは亡くなる寸前にお母さまあてにあてた手紙の一部分だが、この全文を読みながら、とどめもなく涙がこみあげてきて、最後は嗚咽してしまったほどの衝撃があったことを今でも覚えている。

おかあさんへのいたわる気持ちが言葉のはしはしにあらわれいて、おかあさんとしてはうれしい言葉だと思うが、書いた方の気持ちを思うとなぜか痛々しく、すこし悲しい気持ちになる。

でも手紙とは本来、相手を思い、相手のために、書かれるものなのだと改めて知った。

この手紙の衝撃が強く、この方の作品をさらに読んだ。
7月はまさにアウグスチヌスまつりって感じで、彼に関する本や人についてしらべて見たりもした。

私は完全に彼にはまった。

8月に入ってしばらく彼の本から離れ、彼の信じるキリストについての本を何冊か読み始めた。イエスの生涯やキリストの誕生なども読んだ。

そんななかでも彼のお母さまのことは時々思い出していた。

ところが先日、友人からアウグスチヌスご本人が書かれた本の感想を聞いたのだ。再びアウグスチヌス熱にかかってしまったようだ。
その後彼女に返事を書いた。
以下がその内容。

☆☾☆
アウグスチヌスさんに関する本に没頭してたのはもう1か月以上も前なので、当時感じたことをかなり忘れちゃっているけれど、今でも覚えていることを自分勝手に書いてみました。

『黙想ノート』の 「序」を書かれた正木亮弁護士はほんとに素晴らしい人で、彼の正義を通すために大審院検事を野に下った。昭さんの弁護士で彼を無期にしようと尽力したが、結果はご存じの通り。
吉益さんの鑑定結果に敗れた感じだったのではないかと私は思う。
 
正木弁護士は、年に2度ほど差し入れをして下さる方で、昭さんもその時正木弁護士と会うことができていた。

1892年3月25日(明治25年)生まれで 、1971年8月22日、アウグスチヌスさんが亡くなって2年もたたないうちに彼も旅立たれた。

でも彼は弁護はしたものの、残念ながらアウグスチヌスさんの本心まではわからなかったようだ。それも仕方がないことだと思う。アウグスチヌスさん自身がおかあさんへの愛に気が付いていなかったんだから・・・

解説にかえてを書かれた吉益脩夫さんは1899年(明治32年)7月11日 生まれで1974年7月14日)に病死。 明治生まれらしい頑固さがあり、仕事熱心で、無駄話をせずすぐ本題に入る方だった。だが彼はアウグスチヌスさんを全く誤解している。

アウグスチヌスさんはお二人にはただ感謝の念を表している。
お母さまと吉益さんのことを語る場面があるけど、当たり障りない感じに書かれていた。それは公的になる文だと思っていたからだと思う。

でもアウグスチヌスさんが公表されるとは思ってもいなかった美絵(美繪)さんへの私的な文には、私たちが感じると同じような解説にかえてを感じていたことがわかる。自分をモルモットとして批評する言葉を愛する人たちには読んでもらいたくなかったという人としての普通の気持ちが・・・

加賀さんは職業柄、研究のために洗礼前のアウグスチヌスを存在させないわけにはいかないのはよくわかる。
でもアウグスチヌスさんはそのように公表されることを本心では望まなかったはずだ。
誰だっていやじゃないかと思うが、彼の場合は特にそうだったと思う。

なぜならアウグスチヌスさんにとって人であることは重大な意味を持っていた。
生きる意味そのものといってもいいのかもしれない。

彼は人であろうとして一瞬一瞬を真剣に生きぬいた。たとえエルゼの誘いがあっても、彼は人であろうとし続けた。
それが彼の生きざまだと思う。

なので、加賀さんだけには以前の彼を形容する言葉を使ってほしくなかった。
だってアウグスチヌスさんが最後に残した言葉が「小木先生によろしくお伝えください」という小木先生への挨拶だったのだもの・・・

このことを思うと、私としては加賀さんにだけには人であるキリスト者としてのアウグスチヌスだけを見てほしかった。

これは私のはかない願望で、加賀さんにとってはそれを抜きにしては彼という人物を捉えられなかったというのも当たり前のことだと思うが、、、

ところで、
私は彼に関わった人の中で敬愛していたK兄と美絵さんとお母さまとK君とカンドー司祭と望月司祭だけは、少なくともアウグスチヌスさんを最初から「人として」感じ、受け入れていたと確信する。

というか、アウグスチヌスさんは人以外の何物でもないのだから、、、
これらの人々はあたりまえのことが最初からわかっていたということだけなのだが・・

彼の美絵さんあての手紙の中に
「1967年12月12日
きみの手紙がとても大切な意味を持っていることは前にも云った通りですが、もう少し具体的に言うと僕は少し前まで『エルゼとともに』生きており、エルゼから離れるためにきみの手紙が最大の意味を持ったのです。
・・・ぼくが再び愛と信頼をまっすぐみつめ、春にきみが云ったように、ぼくも人間をすきになるために、君はこの一年かけがえのない触媒となってくださったのでした。
ありがとう!」とある。

エルゼから離れられたのは美絵さんを神がアウグスチヌスさんに贈ってくださったからだとわかった。
ほんとによかった・・・

また別の個所で
「4月14日
・・・その時の喜びのふかさを大事に抱きしめる時、今日生きていることのすばらしさがしみじみ思われるのです。「たましいのふかさ」というコトバは、とても怖いコトバでかるがるしく云ってはいけないのですが、いま、きみにそっとソレを云ってみたい気がする・・・」
とある。

美絵さんには、自分の心の感じたままを素直にはなしていたようだ。飾らぬ自分を語れるなんてなんてしあわせなことだろう。

美絵さんはもちろん「たましいのふかさ」を感じ知っている方なので、二人はいろんなことで共感できることが多かったと思う。

別の個所では
「1969年1月29日
・・・これまでの各訳者の日本語がヘンで、うんと厳密な文学的検証をすると、意味を取り違えていたり、まちがっていたり、文学的にはドウカと思われるところが多いです。・・・」とある。

彼は、望月司祭のすすめで文語で聖書を訳すという重大な作業もされていたため、晩年忙しく過ごされていた。
ルカ全部とマタイ(マテオ)の福音書の一部まで訳したが昇天したため、残りを望月師が引き継ぎ、彼の死後4つの福音書が完成した。

この福音書を一度読んでみたいと思う。(とはいっても文語だからちょっとむずかしいかな?・・)

そしてなくなる2か月前
「10月5日
・・・本当に一番複雑で興味深いのは「人間の心」だと、この頃ますます強く思っています。人間はみじめで、ちっぽけな地衣類の如きものですが、宇宙ほどにも神秘ですばらしい、と云ってもいいような気がするのです。」とある。

彼を闇に導くもの。または闇を共有する人であるエルゼと共につらい時を過ごしてきた人の言葉とは思えないが、亡くなる2か月前に彼はこんな風に人間をとらえ感じていたとは・・・

ついにここまで来たかという感じ・・彼の変化は著しい。

人間とはなんてすばらしい存在なのだろうか!

と彼の変化を素直に分かる人々は感嘆し、沈黙する。

彼はようやく闇の世界から光ある世界へ移住したのだ。

アウグスチヌスさんご本人も記述なさっているように、この変化に美絵さんの役割は多大だった。


他の本で
x月x日 木曜日
・・・「”環境が人をつくる”というのはうそだ、と。この世の最悪な状況のもとでも、人は美を愛する心を育てることができるのである。われわれは人間に関する言い古された定義を、もっと疑ってみる必要がある。例えば、人が<人間になるため>に罪が必要な場合もある、という逆説も可能なのである。
 だがふつう、かかる逆説を好まず、信仰についていえば、受洗すれば生死にまつわるもろもろの苦悩をらくらくと乗り越えて行ける、すなわち信仰を持つとはいっさいの試練に不干渉になることだと、一般に思われているらしい。しかし、人を神に差し向ける唯一のものは被造物としての無の自覚であって、弱くみじめな自己をありのままに認めるという、いわば否定の深淵を含む信仰のみが、人をして真に祈らしめるのである。・・・」とある。

真の祈りとはこのようにしてなされるのだと思う。

「x月x日 土曜日
祈ることと書くことが時として同一に思える日々を過ごすうちに、はや週末となった。・・・」とある。

確かに彼の文は何か差し迫った来るようなド迫力がある。

祈りだったのか!だからなのだ。

彼の文がこうまで人の心の奥底に入り込んでくるのは・・・

美絵さんのことを「愛の相互存在」ととらえていた。
アウグスチヌスさんにとって美絵さんのような存在に、すべての人に出会えることを心から祈る。

by anne
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