本 『深夜特急』沢木幸太郎著 第三便 飛光よ、飛光よ 新潮社 極上の旅はすぐそこにあるかも
旅の達人である 沢木氏が1970年代香港からロンドンまで旅した記録。全部で3冊あるがこの本はトルコから南ヨーロッパ パリ ロンドンまでの様子が記されている。
ルポライターだったらしく、彼の感じ方や情景の表現には無条件にひきこまれる。
旅好きには必読の書で、日本人の日本人のための旅行記。
彼自身は旅人 日本人 貧乏旅で、アジアを東から西へ乗り合いバスで進んだことを、今までの旅行記とは違っていると本の中で記しているが、私はそんなことはないと思う。
東から西へでなくても、乗り合いバスでなくても電車でも車でも歩きでも、一緒だと思う。
彼の言うように自分自身を知ることができるのなら、それはどんな状況でもいいはずだ。
それに彼らが旅した場所で異邦人ある限り状況の違いはさほど大きな違いにはならない。
異邦人と現地の人とのつながりは皮相的になりがちで、ほんとうの意味での現地の人々を捉えられないと思う。
現地の彼らからしてみれば日本の旅人を旅行中の異邦人で特別な存在に感じるているはずだから。
(彼らが旅行中でない異邦人でない別の現地の人に対して沢木氏に取った態度と同じ態度を取ることはないだろう)
私も昔
アンカラでバス空港にむかうバスの中から、通勤中の人々が足ばやにあるき行き交っている通りがみえた。
彼らは忙しそうでたいへんそうだと思う反面、自分がその日常にはいないことに何処か幸せを感じた。その時自分はおそらく旅人気分になっていたのだと思うが、今は反対に感じる。幸せなのは通勤中の日常にしっかり足をつけて歩いている人々なのではと思うのだ。
外国 日本人 旅中という特別な状況の中で、感じたり見たり考えたりすることは、初めに旅を体験するのにはもってこいかもしれない。
でもホントの旅は私達が毎日通る道や行く場所や、会う人々や今空を見上げた空や今遠くにあるいは近くに見える風景の中(とくべつでない状況の中)で、する旅だと思うのだ。
一見何気なく見える日常の生活で、外国で旅している以上に新しい何かを感じられたら、それこそがほんとの旅、極上の旅なのではないだろうか。
そしてこの極上の旅は、時間やお金がなくても、だれもがみな見方を変えればできる旅でもある。