ドラマと史実のファーリエ皇女 (キャスト ギュルジャン・アルスラン Gülcan Arslan)新オスマン帝国外伝 キョセム
史実でのファーリエ
ファフリエ・スルタンは、オスマン帝国の皇帝ムラト3世(在位1574年-1595年)の娘であり、オスマン・トルコ語では「ファフリエ・スルタン(Fahriye Sultan)」として知られていました。
彼女の母は、おそらくサフィエ・スルタンであり、サフィエが旧宮殿から追放された後に生まれた可能性がある。
父が1595年に亡くなり、兄のメフメト3世が王位につく。彼女が兄の統治中に結婚したという情報はないため、彼女は未婚であったと思われる。
1603年に兄が亡くなり、13歳の甥が皇位につく
アフメトはファーリエをアフメト・パシャと1604年に結婚させたが、この結婚は子供をもうけることなく、パシャは1618年に亡くなった。
オスマン2世がムスタファ1世を廃位した時、ファーリエは本宮で暮らし、王朝の他の物と同様に給金を受けていた。
アフメト・パシャの死から1年後、彼女はソフ・バイラム・パシャと再婚しなければならなかた。ソフ・バイラム・パシャは1627年に亡くなった。
2番目の夫の死後、ファーリエは再婚せず、未亡人として生活し、1656年に亡くなった。
新オスマン帝国外伝キョセムのドラマでのファーリエの運命は実際とは異なり、彼女の物語はむしろムラト3世の別の娘、アイシェ・スルタンのことのように思われる。
ドラマでのファーリエ
ファーリエ(ファフリイェ)はサフィエの娘でアフメト皇帝の叔母に当たる、
彼女はクリミアの応じメフメトに恋をし人生を破綻させてしまう。
最初二人は恋愛をたのしんだ。
だがデルヴィシュとの結婚が持ち上がった。完全な政略結婚だった。ファーリエは拒否したがなんと敵側だったデルヴィシュは受け入れたのだ。
それから二人は駆け落ちをしようとしたが、ムスタファ孔子を通じてハリメからデルヴィシュにその計画を描いた手紙が見つかり、二人は連れ戻される。
その後ファーリエは彼を助けようと必死にみんなにお願いするが、うまくいかなかった。
そんな時メフメトの兄のシャーヒンが毒薬を彼女に渡した。
これで皇帝を泣くものにすればメフメトは助かるといって・・・
ファーリエは恋に狂って、本当に実行してしまう。
だがそのことでまたもやメフメトが窮地に・・・
時期皇帝候補にメフメトが選ばれ、アフメト皇帝が天然痘と戦っている間に、陰でサフィエの采配の元会議を開いていたそれにシャーヒンも加わったため、皇帝が治ると二人はとらえられてまう。
今度は助けることは難しかったが、ファーリエはあきらめない。
何とかメフメトは釈放されたが、ファーリエは毒薬のことをデルヴィシュに知られてしまったので彼と結婚をしなくてはならなくなった。
結婚式前夜二人はまた駆け落ちを企てる。今度はうまくいって二人は船で逃げるところだったが、メフメトが兄を心配し始めた。
そんな時デルヴィシュはシャーヒンを使ってメフメトをおびき寄せた。彼は閉じ込められ、デルヴィシュはファーリエを捕まえた。
彼女は再び宮殿へ。
ところがこのころキョセムがファーリエが毒殺しようとしたことを知ってしまう。
もちろん皇帝が知るのは時間の問題だ。ファーリエは逃げようとしたが、場所が見つからない。そこで安全地帯へ逃げ込んだ。
そこは皇帝の権限は使えなかった。
だが一歩でもその場所から出れば、ファーリエは危ないだろう。
そんなファーリエがもしそこから出てくるとすればそれはメフメットだろう。
案の定メフメットが呼ぶと彼女は門から出てきた。愛を語ろうとしたその時ファーリエは捕らえられた。
今回はメフメトが兄を助けるためにファーリエを裏切ったのだ。
こうしてファーリエは宮殿に戻り皇帝に許しを請う。さらにデルヴィシュを脅かし、もし自分を助けないなら、前皇帝を毒殺したというデルヴィシュの秘密を話すといった。
皇帝はデルヴィシュに処分を任せるといった。
こうしてファーリエは命が助かり、デルヴィシュとやり直そうとしたが、なんとデルヴィシュは彼女を毒殺してしまった。
恋のために哀れな最期をとげたファーリエだったが、愛のために生きた女性ともいえるかもしれない。
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