「善き男の10日間」と「悪しき男の10日間」 ネットフリックス
「善き男の10日間」
「どんなに優れた人でも、正義を追求すると悪人になることがある。」
この映画の監督は、 『エゼル』、『カラダユ』、『ジュセルデ』などの人気テレビシリーズでおなじみのウルチ・バイラクタルで、脚本はダムラ・セリムが執筆している。
この映画のキャストもかなり豪華。オスマン帝国外伝でマヒデブラン妃を演じたヌル ・フェッタホール(またはフェタホグルー)が主人公の元妻役で出演。
イライダ・アリシャン、バルシュ・ファライ、イライダ・アクドアン、セナイ・ギュルレルなどの有名人出演している。
主役はサディク。ネジャット・イシレルが参加。
映画の主題に移る前に、この映画には暴力の要素が頻繁に登場するため、この問題に敏感な方は避けた方がいいかも・・・
メフメト・エロオールの同名小説を原作としたこの映画は、職業を失った元弁護士のサドゥクが行方不明事件を受けて遭遇する一連の出来事を描いたもので、この映画は探偵映画であることに加えて、善と悪の対立や純粋な快楽主義などの哲学的な問題にも触れている。
サディクは 彼は幸せな結婚生活を送り、成功した弁護士だった。
妻が犯した犯罪の責任を負い、刑務所に入る。
彼が刑務所にいる間、彼の妻は彼を裏切り、他の人と結婚した。
出所したとき、彼には仕事も家族も友人も残されていなかった。
約7年間放浪し、おそらく人生の意味を失っていたサディクは、旧友からある誘いを受ける。
自分と同じ弁護士であるメイドは、助手のイエターの息子テブフィクから一ヶ月も連絡がないため、失踪届を提出する。
ここから、私たちは連続殺人犯、双子の儀式、脅迫、人身売買、紛争の真っ只中にいることになります。私たちのヒーロー、サディクは、このすべての悪の中でも「善」であり続けようとした。
映画全体を通して、映画『マーロウ』の刑事フィリップ・マーロウが登場する。
いつもこの映画と重ね合わせて行動するサディクは、マーロウを
「彼は私と同じように独り言を言う人だ」と評する。
サディクはこのシリーズで善良な人物の役割を果たしている。
これはシリーズの中で非常に強調されている。
特にイェテルの娘ピナル。
確かに、サディクは誰にとっても良いことしている。
まず、彼はマキットからピナルを救い、多額のお金を自分のものにする。
その後、 「アビ」という名前の好意で、彼はファトシュが借金を返済して職業から「引退」できるよう手助ける。
重要なことは、人身売買や売春などの多くの犯罪が行われている中心地の崩壊を引き起こすことをだと彼は考える。
一方元妻はまたもや無茶な厚かましいお願いする。
元妻のレザンは妊娠しているため刑務所に行くことはできないと述べ、再びサディクに自分のために刑務所に行ってくれと・・・
映画全体を通してこの問題を主張するだけでは不十分であるかのように、彼らはあたかもこれがサディクの義務であるかのように行動します。
彼の説得の最大の動機は、サディクにはかつてのような派手な生活がないということだ。彼はまず、自分の家、恋人、友人たちを辱めることから始めます
。彼女はサディクのガールフレンドを以前の職業のせいで批判しているが、彼女自身の行動は彼女にとって悪いことではないようだ。それは自分の金と権力でカバーできるからである。
メヴラーナは、「目に見えるものだけで人々を数えてはいけない。
見えていないものを探してください。
内側は真実の姿です。
外側は単なる装いです。」と言いました。
レザン、アリフ、マチッとなどは見た目は立派そうにも中身はひどい。隠しきれない。
彼を説得できないことに気づいたとき、
「あの愛情深く、献身的で善良な老人はどうなったのですか?」
サディクの答えで、。
「私は変わった。私はもうサドゥク(忠実)ではありません。私は公平(アディル)です」
とこたえたのだ。
元妻は意味がよくわからなかったようだ。
昔の忠実な男はいないのだ、その代わり公平さを重視する男が現れることになる、これは第二弾にも関係してくる。
善良であることは簡単だが、公平であることは難しい・・・
映画の最後で、彼女は元妻のレザンと彼女の新しい夫のアリフを騙し、刑務所に行く代わりに彼女に提供されたお金を手に入れた。
善人でも正義を追求すれば悪人に変わることがあるということある。
アディル、ファトシュ、メラルのエスキシェヒルへの旅が、良い旅になるように・・・
2時間の映画は観客を飽きさせることなくサクサク進んでいくが、探偵映画によくある興奮や好奇心の要素がこの映画には少しすくないような・・・
演技、特にネジャト・イシレルーの演技は素晴らしかったとおもう。
「悪しき男の10日間」
作家メフメット・エロオールの同名小説を原作としたこの映画は、三部作の第 2 部であり、第 1 作「善きしき男の 10 日間」と同様に、ウルチ・バイラクタル監督、エロオールとダムラ・セリムが脚本を書いた。
1シリーズの最後嬉々としてエスキシェヒルに向かったサドゥク(ネジャット・イシレル)。
彼の新しい人生は順調に始まったが、長続きしなかった。
彼は結婚してホテルを経営し始め、妻のファトシュから赤ちゃんを授かったという良い知らせを聞き世浅瀬の絶頂にいた。
だがサディクは出産時に妻と子供の両方を失う。
2番目の映画は、カスタモヌで妻と子供の遺体を埋葬した直後から始まる。
青緑色の空の下、茶色の丘がむき出しになった独特の風景の中、彼は荒れ果てた直線道路を運転中に事故に遭ってしまう。
(なぜ彼が平坦な道で事故を起こしたのかは後のシーンで明らかになる。)
アビの部下であるゼイネル(リザ・コジャオール)とフーソ(カディル・チェルミックは、車が横転したサドゥクを出迎えた。彼をボスのアビのところへ連れていくためだった。
ちなみにカディル・チェルミックはオスマン:帝国外伝でらラヨシュ2世役を演じ、新オスマン帝国外伝 ではKadizade Mehmed Efend役で出演している。
アビ(エルダル・ユルドゥズ)はサドゥクに金の借りがあると主張し、新しい仕事強要したが、そこには罠があった。
今度の仕事はフェルハトという名前の人を見つけるだけだった。
ハティジェ(プナル)の仲介で、サドゥクはもう一つの仕事もすることに。
彼は同時に仕事を進める。
フェルハトを捜し、他方では裕福な実業家が殺害された犯人を探し始めた。
2作目になって他の登場人物が増えたことで、映画は面白くなった。
主役の演技は重みがあり変わらず素晴らしい。
これは、物語が小説、原作が小説であり、その本がよい流れを描いているからだと思う。
1作目では善人だと自分のことを云っていたサディクは、今回は悪者になるという。(実際はそうではなかったようだが)
良いから悪いとかわっても
ヒーローは、ヒーローであり、それは、ライフスタイルの変化によって服装が変わっただけのことだ。
彼の本質は変わらない。
良くも悪くも、サディクはたとえ好奇心が旺盛であっても、カリスマ性を持っている。
絶望の淵にあったサドゥクは再び沼の中から立ち上がり、生きる理由を見つけるか、あるいはさらに沼に沈むかのどちらかしかない。
そんなとき彼は目の前に問題を投げかけられた。
彼はついに問題を解決し、正義を貫くために再び道を歩み始める。
アビが小さな組織犯罪のリーダーであることが明らかになるが、部下に対する態度が悪すぎて、彼の手下のゼイネルとフーソは、途中でアビを排除するためにアディルにつく。
アビはフェルハトを探させることで、アディルに殺人の罪を擦り付けようとした。
策を練ったアディルはアビを退治する。
前作で自分の家に住んでいたサディクだが、今回はボスポラス海峡を望む宮殿のような家に住んでいて、マーロウと比べて話すことはない。
又殺人が第1作のように社会問題と結びついておらず、表面的なものにとどまっている感じがするが、楽しさは十分味わえる作品だ。
なおこのシリーズは3部まである。
三部の題名は