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オスマン帝国外伝シーズン4あらすじ 93話前半 E139の4 スレイマンの最後の出陣

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杖を片手に庭に座り、スレイマンはここでの思い出にふける。 「この庭は天国のようでみんなが愛をはぐくんだ。愛は雨のように降り注ぎみんなの上にその雨が降りかかると、あたりは緑になり生き返る。みんなが愛するための理由を探すのだ」 と・・・

『偶然とは何か』 竹内啓著 岩波新書 

生きていると偶然の出来事によく出会いますが、あんまりその意味を私は深く考えたことはありませんでした。ところが最近偶然についてよく考えます。偶然の話をしているとある人からこの本『偶然とは何か』を紹介され、手に取ることになりました。 私は今まで偶然と運命(真意)は振る舞いが同じなので、本質的にはこの2つが指し示しているものは同じもので、違いは受け取る側の人のとらえ方の問題だと思っていました。でもこの本ではこの二つをしっかり分けています。 本文引用 「古代の人々は宇宙に秩序が存在することを発見し・・・同時に人間が理解できないことも起きることを認めざるを得なかった。・・・それを何か不可解な必然性の表れとして真意、因縁、運命などと解釈したのであった。それはある意味では偶然を別種の必然とみなすものであり、偶然の存在を否定するものであった。純粋の偶然、つまり何ら理由なくして発生したり怒ったりするものやことの存在を受け入れることは人間にとって難しいのである」 ここでいう 純粋の偶然 というものに著者は注目しています。 数学的な確率の話も出てきますが、苦手なのさっと読み飛ばしましたが「大数の法則」を押さえておけば、だいじょうぶだと思いました。 著者はあんまり数式の話はせず、現実の中で実際に出会う偶然を、科学や経済、金融、天文、歴史等々いろんな分野から例を挙げて面白く説明し、次に偶然を邪魔者扱いしないで積極的肯定的にとらえることの良さを話していきます。偶然とは世界を作り出す本質的要素というふうに考え、その偶然の意味を積極的に、肯定的に、とらえることで、予測不可能な偶然とうまく付き合える方法を模索します。 ところで、 この間読んだ「まぐれ」「ブラックスワン」の著者タレブさんは限りなく小さなほぼ起こらない確率で起こる出来事は案外人々が感じる以上に高い確率になる場合があるので重要だと繰り返し言っていましたが、この本の著者竹内さんは「確率が0に近いほぼ起こらない出来事は無視しろ」と言っています。それは「杞憂にすぎない」とも・・・ このように、短期間に正反対の意見を目にましたが、どちらもそれなりになるほどと納得させられました。 と同時に、ある主張だけでなくその反対の主張をまたは少し角度の違った主張にも目を向けることが大切だと思いました。物事を

セリム2世はいい人それともわるいひと? オスマン帝国外伝を語る

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エピソード139の2ではバヤズィットがなくなってもう5年もたってるんだね、ミフリマーフがセリムをやり込めているところはなんだかスカッとしたね。 そう?ミフリマーフはセリムを通り越して、その次の時代まで見据えているみたいだわ。

オスマン帝国外伝シーズン4あらすじ 92後半 エピソード139の3 ミフリマーフ対マヒデブラン 

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祭りを終え、子供たちが去った後スレイマンは部屋に入りながら 「権力とはただこの世の争いをいみするのだ」 と感じた。 同時にとてつもないむなしさに襲われた。

ギュルフェムの最後はあわれすぎる・・・オスマン帝国外伝を語るプチ会

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ついにあのギュルフェムがしんじゃったんだね それにしても悲惨なさいごだったわね、ほんとにかわいそうね 思いもよらなかったよ、かのじょがあんなことするなんて ・・・

史実の【バヤズィト皇子】

史実 バヤズィット(バヤズィト)皇子 1525年または1526年にイスタンブルで生まれる。 1561年9月25日カズヴィーンで死亡。 スレイマン1世とヒュッレムの3番目の子 1539年にジハンギルと共に割礼を行った。 1543年ハンガリーの遠征に参加した。 1546年カラマンのサンジャクに赴任する。 1538年第2回イラン遠征に出かけた父をアクシェヒルで兄ムスタファと出迎えた。 1553年ナフジヴァンの遠征(第3回Iran遠征)に出発するときバヤズィットをイスタンブル留守居役にするためにエディルネに派遣された。 その遠征にの途中コンヤでムスタファ皇太子が絞殺されアレッポでジハンギルがなくなるとバヤズィットは皇位継承者第2位に浮上した。 もう一人はセリム皇太子だった。 クタフヤ、コンヤそしてカラマンのサンジャクに赴任した。 ヒュッレムの保護の元自分自身を皇位継承者にふさわしいと思うが、 母親の死後力不足になる。その時姉のミフリマーフがバヤズィットを保護した。 1558年セリムとバヤズィットが争ったため、どちらの息子からもスレイマンは距離を置いた。その罰としてスレイマンはセリムをコンヤヘバヤズィットをアマスィヤに移動させた。 不服に思いながらも彼は1558年12月21日アマスィヤへ到着した。 しかし翌年 アマスィヤからアンカラへやってきたバヤズィットは、1559年5月29日コンヤでセリム軍とたたかう。 2日間続いた戦いに敗れアマスィヤに戻った。 スレイマンはバヤズィットの許しを求める声を拒否し、彼を逮捕するよう命じた。 7月7日に彼は息子を連れてアマスィヤを去った。 彼は8月中旬にイランに避難しなければならなくなった。 イランの宮殿で父親の使者によって絞殺された。バヤズィットと彼の息子たちはシバスのメリクアジェム トゥルベスィに埋葬された。この墓はアボドゥルヴェハッブモスクの中にある。 バヤズィットの死後ブルサに送られた彼の妻は城に収容され、3歳の息子は殺された。  バヤズィットの作品   「シャーヒー」という詩はバヤズィットによってトルコ語とペルシア語で書かれた。 詩には皇位への望み、愛、許しを請うことについて書かれている。 父親に赦しを求めた詩、それに応対するスレイマンの詩は有名である。 国立図書館アリ エミーリーコレクションにそのコピーが保管されて

オスマン帝国外伝シーズン4あらすじ 91話後半、E139の2 ミフリマーフは甥ムラトに接近!

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ミフリマーフのもとにセリムが来る。 「つまりようやく私の前に現れることが出来るよいになったのね。 5年...ちょうど5年よ 。 毎晩あなたのことを祈ってからねむるのよ。 毎朝起きるとあなたに悪いドゥアーをするわ。 あなたはどう? 自分の弟を亡きものにして快適にねむることができるの? 」 とミフリマーフが厳しい言葉をなげつける。

オスマン帝国外伝キャスト(登場人物) 【バヤジト皇子】

1525年か1526年に彼はヒュッレムの3男として生まれる。(史実では生まれてすぐ亡くなった兄にあたるアブドゥッラーがいるので4男です。) 小さいころから活発で元気のいい子だった。年の離れた兄のメフメット( 1521年生まれ) にはかわいがられ、すぐ年上のセリム( 1524生まれ) とは小さいうちからいつも喧嘩ばかりしていた。 それでも喧嘩するほど仲がいいということわざがあるように、二人はほんとは仲がいいから喧嘩をたくさんするのだと思われていた。 でも成長するにつれた二人の間はさらに悪くなる。ヒュッレムが何度も忠告し、叱ったけれどもなかなか仲良くはならなかった。 バヤズィットは手先も器用で、剣や弓も上手だった。スレイマンのために作った短剣がよくできていたのでスレイマンがほめると、セリムはその短剣を嫉妬心から壊してしまう。 確かに上手にできていた。宝石を手作りするのが好きなスレイマンに似たのだろう。 少年のころ、セリムが先に戦いに出ることになる。「自分のほうが剣も弓も強いのになぜ戦いに行かせてくれないのか」とスレイマンに抗議するが、スレイマンは彼の言うことを受け入れなかった。 そこでバヤズィットは宮殿を抜け出し、軍隊に合流する。歩兵の一番下っ端として参加するが、ある時セリムに見つかってしまう。 スレイマンの前に立たされたバヤズィットは叱られるが、昔からバヤズィットはこのように 思ったら即実行! 型の子供だった。 この時一緒に同行した友でもあり部下でもあった少年が罰として殺された。 1539年に割礼をした。 1543年ハンガリーの戦争に参戦し、1546年カラマンのサンジャクに赴任する。そこでの様子は一切ドラマでは語られていない。 シーズン4 しばらくして皇位継承問題を解決するために子供たちがイスタンブルに集められた。その時ハティジェとイブラヒムの娘フーリジハンもイスタンブルへ向かっていた。 そこでバヤズィットは彼女と出会い恋に落ちる。ヌールジハンはバヤズィットにバイオリンを弾き、バヤズィットはフーリジハンに陶器の絵付けの仕方を教え楽しいときを過ごした。 だが後継者がセリムと決まった後でバヤズィットは失意の中にサンジャクへ戻るが、フーリジハンは別れが耐えられず、勝手にバヤズィットの元へ来てしまう。そして隠れ結婚をする。そのこ

オスマン帝国外伝シーズン4あらすじ 91話 E139の1 デフネとギュルフェムの最後

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1566年 ソコルルに知らせが届く。ソコルルはそれをよい知らせと受け取った。そしてスレイマンに知らせる。果たしてどん良い知らせなのだろう?(よい知らせをトルコ語はミュジデと言います。アルミン役をなさった方の本名もミュジデです) 回想 森を走る馬。知らせをイスタンブルから持ってきた。イブラヒムが手紙をスレイマンに渡す。 手紙にはスレイマンの父セリム皇帝が逝去したことが書かれてあった。 イブラヒムはすぐさま剣を取りだしスレイマンに捧げる(あれ、この剣はトルコ至宝展で見たスレイマン大帝の剣と似てます!) シーンは突然イスタンブルのスレイマンの部屋の中にかわる。 独り残されたセリムがバイラム(おまつり)に来ていた。手に口づけしあいさつすると、セリムも息子ムラトはこのバイラムには道が悪くて間に合わないと伝える。ソコルルは「みんながバイラムの礼拝のために庭で待っています」と伝えると元気なくうつむいたまま「分かった」というスレイマン。(あれ?いつのお祭りのことなのだろうか?) 見たところスレイマンは足がかなり痛そうだ。立ち上がろうとすると足に痛みが走る。 バヤジトがなくなって4年はたっただろうか?だがミフリマーフはバヤジトのことを忘れたことがない。彼女はバイラムの日にスンビュルと話していた。 話は1561年9月バヤジトが亡くなった後、のこされたバヤジトの家族がどうなったかについてだった。特にバヤジトの息子メフメットのことを思い出していた。 同年の冬、デフネがある部屋の前でナイフをもっていた。数人のアーたちに取り囲まれていた。部屋の中にはメフメトがいた。バヤジトの末息子だ(実際には存在しないかも?) するとヌールバーヌーがやってくる。 「もう終わったのよ、アーに引き渡しなさい。」というとデフネは半狂乱で抵抗する。「もしこどもを殺したらあなたの子供も同じ目にあうわ、やめてください、あなたも一人の母親でしょう、どうか憐みの心を持ってください」 というとヌールバーヌは「その通りだわ、私は一人の母親よ、だからこそ、こうしなければならないの。自分の子供たちのために」と答える。 するとデフネは「あなたが幸せを感じるときはいつでも、私たちにした残酷さを思い出し不幸も感じるように」と祈る。ヌールバーヌが 「捕まえろこの女を」とさけぶと同時にデフネは部屋の中に入り
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