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新・オスマン帝国外伝~影の女帝 キョセム~ シーズン11 話 前半

デルヴィシュは皇女との結婚の返事を母后にする。「結婚は大変うれしいことだがあなたは私を婿として認めますか」と彼は率直に母后に尋ねた。母后は婿と認めたくない様子だった。なぜならデルヴィシュは「結婚しても皇帝への忠誠は変わらない」ときっぱり言ったからだ。 ところでアナスタスィアはどうなっちゃったんだろう?彼女をを傷つけた女奴隷はすぐに捕まえられ牢に入れられた。アナスタスィアはと言うと死んではいなかった。だが顔中傷だらけになりひどくおびえていた。ちょうどギョルゲが彼女を探していた。 話ができないギョルゲは手話で一生懸命彼女の居場所を尋ねる。 当時手話がもうあったのだろうか?手話はいつ頃トルコで始まったのだろう。西洋では1760年パリで初めて聾唖学校が作られたそうだ。それ以前はホームサインと言う家族単位で違うサインをつかっていたようだ。 話がわきにそれてしまったけれどギョルゲはいつもアナスタスィアの見方だ。アナスタスィアは人をこわがっていたが、彼女だけは信じてい安心している様子だった。 「ここから逃がしてほしい」とまた頼むが、ギョルゲは急いで皇帝のところへ向かう。 皇帝はイエニチェリの宿舎から戻ったばかりだった。というのはアマスィアで戦っていた兵士が脱走し、トカトで見つかったというのだ。その者の話によると、オスマン軍は苦戦している様子だった。だが皇帝の元へは良いニュースしか来ない。そこで皇帝は現地に調べに行こうと思い始めた。 さてアナスィタシアだが、皇帝が急いで彼女のもとへ駆け付けると、彼女は皇帝に会いたがらなかった。 彼女の顔は傷だらけだったので彼女はその醜い姿を皇帝に見せたくなかったのだ。皇帝は彼女に誰がやったかと尋ねる。そして牢屋から女奴隷が連れてこられる。皇帝はアナスタスィアの好きな罰をあたえてよいという。追放でもしでも構わないと言うのだが、彼女はなんと自分を傷つけた女奴隷を許したのだった。 わあ、珍しいことだと。ハレムではみんなが生きるか死ぬかで戦っているのに、まだアナスタスィアはそんな考えの外にいた。

ムラディイェ複合施設の中にある3人の女性の墓2~4

今日はムラディイェ複合施設の中にある3人の女性の墓を紹介します。みんなファーティフメフメト2世に関係している人々です。 2 ギュルバハル(エベ) ハートゥンの墓 Ebe (Gülbahar) Hatun Türbesi メフメット2世の幼少のころ世話をしてくれた方の墓と考えられています。そのほかのことは名がギュルバハル ハートゥンということぐらいしかの詳しいことはわかっていません。1420年代ごろに作られたようです。とてもつつましやかな感じの良い墓です。 3 ハートニイェの墓 Hatuniye türbesi  メフメト2世の母親ヒューマ・ハートゥンの墓です1499年に作られました。そばにもうひとつある墓は誰のか不明です。 彼女についても詳しい情報はありませんが49歳で亡くなりました。ファーティフ・メフメト2世が書かせた記述の中に亡くなった年が1449年と記されてありました。あとはある裁判の記録に彼女の名前がヒューマと書かれでていました。 父親の名前は明らかではありません。ですが、ある記録にアブドッラーの娘である女性(Hatun binti Abdullah)と書かれてあるので、父親は改宗ムスリムであることがわかります。(昔の書き方でアブドッラーの娘と書かれた場合、唯一の神のしもべの娘という意味になり、改宗した名前のわからない人をさします。) ある諸説では彼女はフランス人またはフランス系のユダヤ人で、エステス・ステラという言われています。 4 ギュルシャー・ハートゥンの墓 Gülşah Hatun türbesi メフメト2世の4番目の配偶者で、1480年に作られました。 カラマンオウルラルの君侯イブラヒムベイの娘と言われています。または女奴隷だったという説もあります。 カラマン・サンジャクベイのムスタファの母親にあたります。1466年から1474年の間、息子と共に赴任先へに赴き、コンヤとカラマンの地域で生活しました。 1466年息子さんがなくなるとブルサへ行きました。ブルサでは1487年まで約13年住みました。 オスマン帝国君主10代まで オスマン オルハン ムラト1世 バヤズィト1世 メフメト1世 ムラト 2 世  メフメト2世  バヤズィト 2 世 セリム 1 世 スレイマン 1 世

新・オスマン帝国外伝~影の女帝キョセム~ シーズン 10話後半

ムスタファの母ハリメはハンダンを脅かす。デルヴィシュが母后の娘と結婚したら状況がまた変わるというのだ。 確かにデルヴィシュは皇女とのことはまんざらでもないようだ。デルヴィシュは母后の側につくことになるのだろうか。 アナスタスィアはジェンネト女官の部屋にひそかに入って何かを探している様子だった。ようやく絨毯の下に手紙が隠してあるのを見つけた。 (トルコで時々絨毯の下に何かを入れておくことのをみたことがあります。)ジェンネトは彼女から頼まれた手紙をそこに置いていたのだ。でもなぜ捨てなかったのだろう? アナスタスィアはカンカンに怒ってジェンネトを探す。ジェンネトは洗濯場にいた。アナスタスィアはジェンネトに「嘘つき」と叫ぶ。そしてジェンネトの罪をいいだしそうになると、ジェンネトは熱いお湯に彼女の顔をおしつけようとし、彼女を脅かす。アナスタスィアは途方にくれ泣きながら皇帝の元へ向かった。そして自分の悩みを打ち明ける。彼女は自分の家に戻りたい、ただそれだけだった。 だがその望みは皇帝を悲しませる。皇帝は尋ねる。なぜ帰りたいなら、正義の塔で自分から口づけしたのかと・・・ 彼女は「わからないわ」と答える。彼女には自分自身の気持ちがわからなかった。彼女は皇帝に確かに恋をしていた。だが彼女は幼すぎてその感情が恋だとは気づかなかったのだ。そのため彼女は混乱してしまう。 だがアフメト皇帝も失望し「出ていきなさい」と言うと、アナスタスィア絶望しきって扉のほうへ向かった。だが突然何を思ったのかバルコニーのほうへ向きを変え、手すりに乗り出す。 そしてイスタンブルの街を眺め、飛び降りるかと思ったら、違った。飛んで行ったのは手紙だった。彼女は手紙をイスタンブルの街にそれらをばらまいたのだ。 そして「陽は必ず上るわ。希望を棄てないで、私を忘れないで」とはるか彼方にいる自分んが生きていることも知らないで心配しているだろう家族に向かってさけんだ。彼女は強い! レイハンはひそかにシャヒン・ギライに会いに行く。レイハンは彼のスパイだったのだ。シャーヒンはカレンデルと手を結ぼうとしていた。カレンデルは以前ハリメと合意しアフメト皇帝を倒そうとした人物だ。 宮殿の庭では母后とハンダンが出会う。母后の側にアナスタスィアはいた。母后側にはビュルビュル、ハンダン側にはハジ・アーがいた。この

ムラディイエ キュッリイェスィのムラディイェ・モスクとムラト2世の墓

キュッリイェ(複合施設)の中心は ムラディイェ・モスク です。 空高くそびえるミナーレは2本です。 入り口の天井には幾何学的な星模様がありとても素晴らしいです。 16人の部屋のあるマドラサはそのモスクの西にあり、モスクの北東にはイマーレトがあります。 ハマムはシンプルな構造で何度か修復され倉庫として使われていた時期もあります。 最近では障害者ためのセンターになっています。 1、ムラト2世の廟 II. Murad Türbesi 先日お話した12の廟の中で一番大きいのは ムラト2世の廟 です。 1451年彼はエディルネでなくなりました。ムラト2世が長男アラウッディーンのお墓のそばに埋めてほしいと願ったので、そこから息子の墓のあるブルサまで運ばれたのです。棺に入れることなく直接、土に埋められました。これは彼の遺言だったそうです。 墓の上に雨が降るようにとの要望で天井は作りませんでした。 この廟を立てたのはムラト2世の息子メフメト2世です。ムラト2世の死から2年後のことです。 息子アラウッディーン皇子のほか娘ファトマ皇女とハティジェ皇女の墓がムラト2世の墓を通り過ぎた先のシンプルな造りの部屋の中にあります。  ムラト2世は自然を好まれたのですね。亡くなった後も土にかえるように、そして雨も感じたかったのでしょう。土と骨と雨は相性がよさそうですね。 明日は12廟のうち、3人の女性のお墓を紹介します。 今日のメモ 今、日本は梅雨まっただなか。トルコ語で雨はヤウムル yağmur。 雨のおかげで、 鉢に植えたミニトマトが赤くなり始めました。パセリもなんとか育っています。トルコ風サラダにはトマトとパセリはなくてはならない野菜なので、これからはたくさんチョバンサラタス(トルコ風サラダの一つ)を楽しめます^^ オスマン帝国君主10代まで オスマン オルハン ムラト1世 バヤズィト1世 メフメト1世  ムラト 2 世  メフメト2世 バヤズィト 2 世 セリム 1 世 スレイマン 1 世

新・オスマン帝国外伝~影の女帝 キョセム~ シーズン1 の10話前半

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遠くに見えるのはブルーモスク イスケンデルは宮殿につれて来られた。彼は座らされた。皇帝は彼の目隠しをとり、彼に剣を向ける。 罪はみんなの前で彼をたおし手はじをかかせたということらしい。本人は死を覚悟していたが、刀で彼をばさりと切るのかと思ったら、皇帝は彼の縛られていた手の縄を切った。彼の命を取るつもりはなかった。彼とその後真剣でけいこを始める。二人は仲好?になった。 このアフメトと言う皇帝は確かに面白いところがある。弟を助けたり、無礼を働くものを助けたりする。実際の彼は剣術は達者だったようだ。言葉もたくさん知っていて、文学にも通じていた。イスタンブルで必ずだれもが訪れるという ブルーモスク を建設した方だ。即位は 13歳 。ドラマの皇帝はもう少し年上に見える。ドラマでは女性にもとてもやさしいふるまいをする。アナスタスィアにも強要せずいつも彼女の気持ちを尊重している。 一方母后は娘ファフリイェ・スルタンを使って、アフメト皇帝の中心デルヴィシュを味方につけようとしていた。だが当の皇女は母后の敵対視しているメフメト・ギライと熱愛中だった。メフメト・ギライはファフリイェに会いに行こうとするが、シャーヒンにとめられる。 シャーヒンはこの恋がいかに危険かわかっていたの、必死で止めようとしていた。取っ組み合いをしてでもいかせないように頑張ったが、恋する者には勝てない。なぜなら恋をしているときは誰も、恋する相手しかみえなくなってしまうから。 メフメトはクリミア王の地位よりも、さらには自分の命よりも彼女を大切に感じていた。こうなると理性ある者がどんなにとめたからと言っても止められるものでもなかった。危険の中に飛び込むのがl恋することなのだ。 とうとう世界征服の野望をもつシャーヒンがメフメトを行かせる。一つだけメフメトに約束させる。「自分に内緒の行動はだめだ」と念を押した。二人の兄弟は抱き合い、お互いの信頼を確かめあう。 母后はアフメト皇帝に会いに来る。そして一夜でなした自分に対する裏切りを責め立てると、皇帝は反対に母后が兵士たちの給与の件で、自分を見殺しにしようとしたことを指摘し、本当のところならもっと大きな罰をあたえるところだが、年寄りゆえそれを軽減しているのだと答える。 この兵士たちの給与の件では母后はわざとエジプトからの国庫金をあし止めさせた。反乱

ムラディイェ複合施設Muradiye Külliyesiってなんだろう?

ムラディイェ複合施設Muradiye Külliyesiってなんだろう? その前に 複合施設 っていうことばをきいたことがありますか? オスマン帝国外伝のドラマでも時々出てきますね。私たちの観たオスマン帝国外伝のドラマに出てくるスルタンたちや皇族たちやパシャたちは私費で公共設備を作らせることが多いです。 たとえば水道とこモスクとか学校(マドラサ)とかハマムとかイマーレト(オスマン帝国時代に困窮者への食べ物、着物、健康を援助する目的で作られた援助機構)などですが、当時のお金持ちの人々は全部またはその一部を作るための寄付を好んでしました。 ヒュッレムもモスクやマドラサをイスタンブルに作りたいと言ってみんなをおどかせましたね。ヒュッレムはただの寄付ではなく、イスタンブルでそれを行いたいといったのでした。それでみんなが驚いたわけです。(それまで女性がイスタンブルで公共施設を作る前例がなかったからだとオスマン帝国外伝のシーズン2でドラマではいってました。) スレイマン大帝も晩年スレイマニイェ複合施設を建設しています。彼やヒュッレムのお墓もその施設の一角にあります。母后ハフサ・スルタンやマヒデブランもモスクを作りました。マヒデブランは裕福ではなかったけれども、息子ムスタファのためにちいさいながらも雰囲気の良い施設を建設しました。イブラヒムも多くの施設や寄付をいたるところでしたとカーディー(のちのイスラム長老)に話すシーンがとシーズン3にあります。 そうそうシーズン3から出てくるヒュッレムに忠誠を尽くす悪役的?なルステムもヒュッレムとの神の前での誓います。(ヒュッレムは自分の死がちかづくとルステムに息子バヤズィットを守るように聖典にかけて誓わせます。ですが、ルステムはバヤズィットの状況が不利になるとそのヒュッレムとの約束をやぶりました) そこでドラマによるとルステムは苦しみ、ホジャに尋ねます。そのホジャは悔悟し、ハユル(慈善)をすればバヤズィットを助けるという役を苦を破った償いができると言われ、公共施設を作らせたり、多額の寄付をしました。イブラヒムも多くの寄付をして民衆のための公共施設を作りました。 ということで前置きが長くなりましたが、これらの慈善事業(ハユル イシ)の一環として作られたいろいろな公共施設が一つの場所にまとまったものをKülliyeキュッ

新・オスマン帝国外伝~影の女帝 キョセム~ エピソード9話

迫り狂う兵士たちの前に、エジプトから戻った高官たちが出てきて、兵士たちを鎮める。 そして今日給与を支払うと宣言したのだ。 先ほどはないから払えないと言っていたのに急に払うというと、さらに兵士たちは騒ぎ出す。皇帝が「だましたんだ」と言い出した。 パシャたちは続ける。「この給与は母后の個人的な財産から支払われる」と発表する。兵士たちは「母后サフィイェ・スルタン万歳!」と叫び喜ぶ。 こうしてどうにか兵士たちの暴走は食い止められた。 一方その様子を女性たちは正義の塔から見ていた。母后に皇帝の母ハンダンが「あなたの孫です。助けてください」と頼むが母后は冷たく彼女を振り払う。そのため乱闘騒ぎにまで発展したのだ。 母后の計画は宮殿に戻ることだったので、皇帝が危険に晒されることは二の次だった。 たぶん皇帝が亡くなればまた違う皇帝を立てればよいと覚悟していたのだろう。 皇帝は母后に屈したと感じ憂う。するとデルヴィシュは「今日は負けましたが、次の日はまた違った日になるでしょう」と言って即行動を起こした。 まずその夜、反乱を先導した2人を処罰し、さらにその日のうちにサフィイェ母后の側近たちを左遷するかやめさせた。 朝母后が気持ちよく目覚めるとあたりには人影がなかった。 だがこの迅速な行動が今後皇帝と母后の争いを激化させることとなった。 この日はもう一つ大きな変化が起きた。この緊迫した様子を見ていたのは母后たちだけではなかった。アナスタスィアも一部始終見た。 彼女は急に皇帝に会いたくなり彼に会いに行く。そして「とても死が怖い」と話しだす。 彼女は以前捕らわれの身よりは死んだほうがましだと言っていたが、そのかんがえがかわったのだろうか? いやそうではなく皇帝アフメトが死ぬかもしれないと思った瞬間、死の恐怖を感じたのだった。 アナスタスィアは皇帝の死を恐れた。アナスタスィアはようやく自分の気持ちに気づき、皇帝の前で素直になることができたのだった。これは不幸中の幸いかもしれない。 もう一つお知らせしなければならないことがある。先日皇帝にぶたれたイスケンデルのことだ。彼はそのごとじ込められていたが、皇帝に呼ばれる。皇帝が判決を下すとのことだった。 みんな彼は死ぬだろうと思った。彼も死を覚悟し、何か大切なものを仲の良い兵士に渡し、「死んだらこれを墓に一緒

オスマン帝国クイズ マヒデブランとムスタファ皇子の墓はどこにある?

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1,オスマン帝国の首都でなかった年はどれですか? ソユット ブルサ イスタンブル エディルネ コンヤ 答え コンヤです。 2、次の地名はマヒデブランとその息子ムスタファには何かとなじみの深い地域ですが、2人のお墓はどこにあるでしょう? イスタンブル アマスィア ブルサ コンヤ マニサ 答え ブルサです。ブルサのムラディイエ複合施設の中にあります。甘スィアとマニサはムスタファ皇子が知事として赴任したサンジャクです。そして今夜はムスタファ皇子が殺されたところです。 3、メフメット2世のお父さんは誰ですか?  ムラト2世 セリム2世 バヤズィット2世 答え ムラト2世です。メフメト2世は1453年当時のコンスタンチノープルを陥落させ中世を終わりにさせたこうていですが、彼がイスタンブルを手に入れたのはなんと21歳でした。わかいですね!!彼の前の皇帝はムラト2世ですが、実は彼の後の皇帝もムラト2世です。  ムラト2世は親東ローマ派、そして息子のメフメット2世は真逆で東ローマ帝国を滅ぼしました。 ムラト2世は生きている間に息子に皇位を譲ったのですが、これはスレイマン大帝の時代などに見られたような骨肉の争いではなく、ムラト2世の要望によるものだと言われています。ムラト2世はイスラム神秘主義に魅せられ、俗世を離れたかったようです。しかし最初にメフメットが即位したのは12歳で、約2年間皇帝としてがんばりましたが、外敵を不安に思った当時の大宰相がムラト2世にお願いします。ムラト2世は復位することになります。復位後、コソボの戦いなどで勝利をおさめ、約4年半オスマン帝国を守りましたが、エディルネで逝去されました。  4.ムラト2世の墓はどこにある? 答え ブルサです。ブルサのムラディイエ複合施設MURADİYE KÜLLİYESİの中にあります。そうなんです!マヒデブランもムスタファ皇子のお墓もこの複合施設の中にありました! 5、 ムラディイエ複合施設にはいくつお墓があるでしょうか? 4 6 8 10 12 答え 12 です。 ムラト 2 世の墓 ヒューマハートゥンの墓Hüma Hatun (Hatuniye) Türbesi, シェフザーデ アラウッディーンの墓Şehzade Alaaddin Türbe

新・オスマン帝国外伝~影の女帝 キョセム~ シーズン1の8話 ハジアー登場

正義の塔に呼び出されたアナスタスィアはアフメト皇帝が毎晩女性と過ごしていることに 嫉妬し、そこから去ろうとするが、アフメトに止められる。アフメト皇帝は自分がどんなに彼女のことを思っているかを伝えると、彼女もようやく彼を受け入れる。 アフメトは口づけしようとすると、彼女は嬉しそうに目をつぶる。だがアフメトはおでこにキスした。彼女が心から望むまで待とうとしていたのだ。 馬車から降りる貫禄のあるアー。彼はハジ・アーと言った。宦官たちが出迎える。エジプトから来たのだった。つまりイエニチェリやスパーヒたちが待ちに待ったエジプトからの国庫がイスタンブルに到着したということだっ。 ところが皇帝に拝謁したエジプトからもどったばかりのパシャたちは、国庫金は遅れると伝えた。わあ、ただでさえ待てない困窮している兵士たちにこれ以上待てというのは無理な話だが。「海路は海賊たちが出没するので陸路道を変更した」とパシャは言う。今こちらにむかっているのでもう少しじかんがかかるというのだ。  皇帝は真っ蒼になる。そこで皇帝はイェニチェリをなだめようと彼らの元へ行く。その時以前アナスタスィアを助けた新兵が喧嘩を始めてしまった。それを見た皇帝はその兵と剣の練習をしようと言い出す。 最初は皇帝が優勢だったが新兵のけんか相手が彼を挑発したため、彼は皇帝に襲い掛かり、皇帝を倒してしまう。そのため皇帝は新兵をピシャッと叩き宮殿に戻った。新兵のエスケンデルは罰を受ける。 ここでも面白いのは、皇帝にわざと負けろと上官がエスケンデルに耳打ち打ちしたことだっだ。にもかかわらず彼は勝ってしまった。 そんなことってあるんだろうか、スレイマン大帝だったらとても考えられない。彼ならその兵士をほめ側近に下に違いない。これではオスマン帝国が傾いていくのは仕方がないことのように思える。 宮殿ではエジプトか戻ったばかりの宦官が皇帝に会いに来ていた。その宦官は前皇帝が毒殺されたのではないかという手紙を以前送った者だった。 そこで皇帝は「毒殺の証拠が何かあるのか」を尋ねると、「ないが医者なら知っているのではないか」と答えたために、皇帝は医者を連れてくるように命じる、ところがその医者は行方不明だった。アナスタスィアが海から援けられた日に宮殿を訪れたのが最後で、その後の彼の足取りはつかめない。 そう
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