ラヨシュ2世
ラヨシュ2世 は1506年に生まれ。1516年若くして即位します。20歳の1526年モハーチの戦いにハンガリーのトップとして参戦しますが、どうなったんでしょうか。エピソード26でモハーチの様子がでてきますよ。 モハーチの戦いのかれこれ5年前ヨーロッパの玄関であるベオグラードには、すでにオスマン軍の軍旗がかかげられ、ハンガリー王国はかなり弱っていましたし、若年のためか貴族たちをまとめるのがむずかしかったようで、エピソード26によると、かなりワンマン的なところがあります。平原での戦いは不利であると箴言する部下の騎士たちの話に耳を傾けず、平原で真っ向から戦おうとし、スレイマン大帝の首をとれば形成は一気にハンガーリー軍に傾くと安易な予測をたてました。
それとは逆に、オスマン軍は ドナウ川を渡る橋を短期間につくり、あっというまにドナウ川をわたりました。渡りきると「前進あるのみ!!」と橋を大砲で破壊してしまいました。みんなの志気は一気にあがりました。
そういえば、曾おじいちゃんのメフメット2世はもっとすごいですよね。コンスタンチノープルを陥落させるとき、陸地を船が通ると言う奇抜な作戦で、ビザンチンの人々をおどらかせましたし、オスマン人には橋をつくのは簡単なのかもしれませんね。 いよいい決戦ですが、ここのところスレイマン大帝に冷遇されていたイブラヒムパシャが、なかなかの作戦をおもいつきましたよ。ここでスレイマン大帝のすごいところは、ちゃんとイブラヒムパシャに耳を傾けるとことです。冷静に、良い作戦ならとりいれるのですね。1526年8月29日両軍モハーチ平原にであいまみえ、正に戦いが始まろうとしています。そこでハンガーリー王国側から使者が馬を走らせ、平原中央の両軍の真ん中あたりまでやってきます。オスマン帝国側からもそれに応えて使者がむかいます。二人はお互いの意志をつたえあいます。ハンガーリー王国軍の騎士は、「われわれはハンガリー王国の為に死ぬ覚悟です。」と言い、オスマン帝国軍は「スレイマン大帝は全世界の正義のために戦う。」と応え、両者が陣に戻るといよいよ戦いが始まります。ハンガリー王国軍は総攻撃体制でオスマン帝国軍につっこみます。オスマン帝国軍側は、イブラヒムパシャの作戦通り3軍にわかれ、中央部隊がハンガリー王国軍を迎え撃ちます。左右翼軍は、ハンガリー王国軍をはさむように陣取り、ハンガリー王国軍が進撃し続けるのを見守ります。勢いにのったハンガリー王国の騎士たちはオスマン帝国軍の作戦だとも知らず、撤退を始めた中央部隊をさらに追いかけます。しばらくするとオスマン帝国軍とハンガリー王国軍の距離がある程度離れ、ハンガリー王国軍はモハーチ平原に残され孤立します。そこへ、大砲がバンバン飛んできて、ハンガリー王国軍は大慌て。すかさずハスオダバシュのマルコチオウル バーリベイが果敢に軍を率いて突撃します。大打撃を受けた敵軍は撤退命令を出しますが、オスマン帝国軍の総攻撃が始まり、彼らはドナウ川のほとりにまで追い詰められます。ラヨシュ2世も含み生き残った少数の人々は逃げる場を失い、ついに入水し息絶えます。あっというまに決戦の決着がつきその日の午後には平原はちまみれになっていました。この戦いで一番印象に残ったのは何といってもマルコチオウル バーリベイでしょう。橋を作るときの統率力や、戦いのときの使者として交渉力、そして何よりも武芸に富み、寡黙ながら忠実で、敵には回したくない人物です。
ところで大勝利の後スレイマン大帝は鏡に向かって話しかけます。その様子はまた次回に・・・
ところで大勝利の後スレイマン大帝は鏡に向かって話しかけます。その様子はまた次回に・・・