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ケマル・ハマムジュオール Kemal Hamamcıoğlu トルコの作家・詩人・脚本家

ケマル・ハマムジュオールは、詩人であり作家であり、小説や物語、演劇や脚本を手がける作家であり、演劇や映画の監督としても活動している多才なアーティストです。 ハマムジュオールは、マルマラ大学とミマル・シナン美術大学を卒業し、シャヒカ・テカンド・スタジオ・オユンジュラリで演劇のトレーニングを受けました。 長年にわたりテレビで文化芸術プログラムを担当し、その後はクラフト・テアトロで執筆した劇が大きな注目を集めました。 メティン・アクデュルゲル さんや ヌル・フェタホール さんなどが朗読しています。 さらに、2016年からは様々な映画やテレビドラマで監督や脚本家としても活動しており、「ヤルジャプキニ」 「仕立て屋」 ジャンスデレさん主演の 「不誠実 サダカトスズ」 などのテレビドラマの脚本を手がけました。また、「ヨク、サー・オル」という短編映画では脚本家兼監督として参加しています。 youtube では彼のオリジナルの詩を有名アーチストが朗読するという動画も制作しました。 ハマムジュオールは出版された本も持っており、 「バルダン・カランルク」Baldan Karanlık (Öykü, 2020)という物語集、 「アシュク・ヒカイェスィイレ・ゲリル」Aşk Hikayesiyle Gelir (Roman, 2018) という小説、 「ガラージュ」Garaj (Oyun, 2018) という劇、 「ビリニ・ペンジャレ・ケチェク・コヤチャク・カダル・セヴメク・ラズム」Birini Pencere Kenarına Çiçek Koyacak Kadar Sevmek Lazım (Roman, 2017) という別の小説があります。 演劇の分野でも活動し、 「フィレル・ハククン・コヌシャク」 「バルダン・カランルク」「カプラン・サリルマシ」 「カフラマンラル・ヘプ・エルケク」 「ガラージュ」 「カビン」などの劇で演出家、脚本家、俳優として参加しています。

「ラン」(森絵都作)を読んで 

悲しい過去を抱えた女の子が、ひょんなことからマラソンのサークルに入り、42kmマラソンに挑戦するまで変わったお話。彼女の走る目的はあの世に家族に会いに行くためにだったのだけれど、仲間と過ごしていくうちに最後は、一緒にフルマラソンを目指し出場してしまう。 ところで、森さんの作品には輪廻の考え方が色濃く反映されていると思う。 今回は自転車であの世の第一ステージに生きたまま行けるシーンが書かれてあったし、以前読んだ本にも闘牛士から、はかない少女に生まれ変わる話もあった。 一神教のオスマン人から見るとこの輪廻という考え方は、まったく理解されないだろう。オスマン帝国外伝の舞台になった時代は1500年代から1600年代のオスマン帝国の時代だ。 オスマン帝国はモンゴルの力に押されたセルジューク王朝の末期に創始者オスマンが築いたトルコ国だった。 オスマンは、当時有力で、民衆に慕われていたイスラム長老と共に、国の基礎を作った。 彼らの考えでは人の魂は永遠に1人は1つなのだ。その魂は4つのステージを生きる。この世に生まれてくる前、そしてこの世、死後のお墓の中、そして死後の世界だ。 どのステージでも魂は同じ魂で、変わることはない。 輪廻ではそういうわけにはいかない。人は生まれ変わるし、それも人だけでなく牛や虫にもかわることがあるという。くるくるまわって忙しい。でもロマンも生まれやすい。 前世で縁があったと思うことで、その縁のあった人と現世でより強い結束が生まれたり、「ラン」のようにあの世の人たちと付き合うことで、今生きている主人公の人生が、現世で前向きになるといったストーリーが生まれたりする。森さんの作品の面白さはそこらへんにあるような気がする。 今回の「ラン」では、主人公の女の子は交通事故で若くして家族を一度に亡くし孤独な人生を過ごしてきたと感じていた。 そしてある時死んだ家族に会うことができた。 その後彼女は何度も会いたくなる。 会う方法は自転車だったが、その方法は期限限定だった。 ほかに40㎞をかなりの速度で走るという方法もあるらしい。そこで彼女は走ることに挑戦し始めた。 でも死んだ家族と、会えなくなる時が来る。どうやら彼らは次のステージへ進んだらしい。 彼女は大丈夫か? 今度の別れは大丈夫だった。彼女には自然で優しい別れとなった。 なぜなら、彼女はマラソン(の仲間)と共に、現世に

メティン・アクデュルゲル Metin Akdülger のプロフィール ムラト役(新・オスマン帝国外伝)

メティン・アクデュルゲル(1988年4月10日生まれ、ブルサ出身)は、トルコのテレビドラマ、映画、舞台俳優です。 生い立ち 彼はブルサで生まれです。 セラニクとスコピエからの移民の家庭に生まれ、農場で育ちました。 高校時代には小さな劇場の舞台で演技し、友達と短編映画を撮る中で「演技に興味があること」に気づきましたが、大学で国際関係と政治学を学ぶために、演劇学校ではなく「世界で何が起こっているかを学ぶ」ことを決意しました。 コチュ大学で国際関係を学ぶためにイスタンブールに移りました。大学3年生の時に、ここでヨルドズ・ケンターが講義をしていることを知り、その授業に参加し始めました。一時期ケンターのアシスタントを務めました。 大学で初めて出演した舞台はロミオとジュリエットで、タイボルト役を希望していましたが、最終的にはロミオを演じることになりました。 ケンテルとの講義の後、メソッド演技の授業を受けることを決意し、2012年にメルヴェ・タシュカンから演技の指導を受けました。イルディズ・コカルスやイルティファート・アラカンといった有名な俳優からも指導を受けました。 同じ年に、Craft Tiyatro【クラフト劇場)の一員として活動を始めました。プロの舞台経験を初めて得たのは、2012年にテフヴィク・シャヒンが演出し、スティーブン・ベルバーの脚本に基づく「Kaset(カセット)」という舞台でした。アクデュルゲルは、この舞台でヴィンス役を演じました。 彼は2012年にCraft Tiyatroの一員としてプロの舞台活動を始め、舞台や短編映画で活動した後、2013年にテレビドラマ「Medcezir メドジェズィル」でテレビ業界に進出しました。その後、映画やテレビプロジェクトで成功した役柄を演じ続けています。 「新・オスマン帝国外伝~影の女帝キョセム」、「アティエ」、「シャフシエト」などのプロジェクトでの演技で知られています。アクデュルゲルは舞台でも優れた演技を披露し、舞台劇「Baldan Karanlık」での演技も注目されました。 メティン・アクデュルゲルは俳優業だけでなく、音楽にも関心を持ち、Burak Yeşildurak(ブラク イェシルドゥラク)と一緒に「Journers」という音楽グループを結成しています。 また、短編映画のフェスティバルで審査員を務めたり、さまざまな

ある友人との出会いなおし  ー「出会いなおし」(作 森絵都)読んでー

 図書館から借りた8冊の本を返しに行こうとしたが、なぜかこの「出会いなおし」の本だけもう一度読みなおした。 イラストレーターの主人公が仕事で知り合った編集者のナリキヨさんとの何回かの出会いの様子について書かれてある。 本の最後に 「年を重ねるということは、同じ相手に、何回も出会いなおすということだ。会うたびに知らない顔を見せ、人は立体的になる。・・・ナリキヨさんの後ろ姿を見送りながら、私は泣きたいくらいに強く、面白い、面白いと思い続けた。」 とある。 私たちの日常でも、同じ人に何度か会う経験はする。 実は最初にこの本を読んだときはあまり印象に残らなかった。もう一度読んで、図書館に返すまでに一週間の時が流れた。 その間に偶然にも、私は4人の人との出会いなおしがあったのだ。 私はめったに人に会わないし、親族を除けば、連絡を取り合う友人は数人だ。 にもかかわらず、短期間に4回も出会いなおしを考えることになるとは、、、 どうやらこの本が偶然私の手の中にあるとは思えなくなり、2度目はとくに丁寧に読んだ。 私はかなり作者に共感し、 「年を重ねることは面白い!」と私も思った。 私の出会いなおしは友人。 彼女とは高校1年の時知り合った。部活が同じだったのだ。3年生になって引退するまでのほぼ2年半を毎日朝から晩まで一緒に過ごしていた。 私たちの部活はかなり厳しく、二人にとって高校時代は部活一色だった。 ボール拾いやコート整備、普通の練習時間だけでなく朝練も一緒だった。 土日の1日中練習の時は、お昼ご飯も一緒だった。そして夜遅くなった時や、明日試合を控えて朝時間的に余裕がないときは家に泊めてもらった。彼女の家は高校からバスで15分ぐらいの場所にあり、乗り換えなしに高校にも駅にも行くことができた。 彼女のお母さまは、苦労人。とてもやさしい方だったけど、しっかりしていて、江戸っ子ではないけれど、粋で気風の良い感じの印象を受けた。 試合の日の朝は、おにぎりの弁当を作ってくれた。私たちの部では土日や試合の日の弁当は顧問の先生の分を交代で持っていくという決まりがあり、私が当番に当たった時は、なんと3人前も作ってくれたんだ。 たいへんだったと思うけれど、まったくそんなことはおくびにも出さなかった。 友人は母親になのか、優しいけど、芯のあるひとで、今までいつでも私によくしてくれた。 高校卒業後、私た

ズルフィカールの半生 新オスマン帝国外伝キョセムの登場人物

はじめイスタンブールの新兵訓練キャンプの長官を務め、現在はスルタン・アフメトの主要な侍従長となっています。 新兵たちと直接関わり、国とスルタンに忠実で、勇敢な兵士です。順に王宮内部で高位の役職であるHas odabaşı(宮廷内部の管理者)からPaşa(将軍)まで昇進しました。 ヒュマーシャーの弟のイスケンデルとは仲が良く、彼がイスケンデルを育てます。彼を一度助けますが、イスタンブルを去るように伝えたのに、まだ野望を抱いていたため、泣く泣くズルフィカールがイスケンデルの猪戸をとりました。 スルタン・アフメトの伯母で、サフィエ・スルタンの娘であるフマシャー・スルタンと結婚しています。 ベクタシ派の信仰を持ち、新兵キャンプに奉仕した模範的な新兵です。 必要に応じて厳格で、時には慈父のようです。新兵たちの父親的存在であり、見習いにとっての模範となる人物です。 新兵キャンプ内の指導者たちの中でも尊敬され、影響力を持っています。勇敢で正直、公平です。剣の使い手としても腕を振るいます。 アフメト皇帝をを支え、オスマン皇帝時には、オスマン皇帝が殺されるのを防ごうと必死で踏ん張りました。 しかし新兵たちの反乱の際にキャンプ内で殺害されました。 ヒューマシャーとズルフィキャルの感動別れのシーン キョセム20話から抜粋 ズルフィカールの死

Mete Horozoğlu メテ・ホロゾール 新オスマン帝国外伝 キョセム ズルフィカール役 

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メテ・ホロゾールは、1975年10月11日にアンカラで生まれました。彼の家族はサライエヴォからブルサに移住してきた人々であり、ホロゾール自身はアンカラで育ちました。彼はアナドル大学のデヴレト・コンセルヴァトワール演劇学部を2001年に卒業しました。その後、バフチェシェヒル大学で演技の修士課程を奨学金を得て修了しました。 彼のキャリアは、最初にエスキシェヒル・アナドル大学で設立されたTiyatro Anadoluで俳優として働くことから始まりました。イスタンブールに移った後、テレビや映画のプロジェクトに参加しました。イスタンブール国立劇場、Çığır Sahnesi Oyuncuları、Semaver Kumpanyaなど、多くの劇団でも活動しました。 メテ・ホロゾールを全国的に知られる存在にしたプロジェクトには、「Yanık Koza」シリーズや「Nefes: Vatan Sağolsun」という映画で演じた「Yüzbaşı Mete」役が含まれます。しかし、最大の人気を「Öyle Bir Geçer Zaman Ki」シリーズで演じた「Soner Talaşoğlu」役で獲得しました。 数年前、トルコを離れてアメリカのニュージャージー州に移住したメテ・ホロゾールは、アメリカでも演劇のキャリアを続けています。エルデム・バシュと共に、さまざまな都市で演劇を上演し、その才能を披露しています。また、オンラインで演技の指導も行っています。 出演したテレビドラマは Yanık Koza - 燃える草原 Kalpsiz Adam - 無情な男 Hesaplaşma - 対決 Nefes: Vatan Sağolsun - 息: 国、サガウェルセン(映画のタイトル) Öyle Bir Geçer Zaman Ki - 時間が過ぎ去るよう Vay Arkadaş - おお、友よ Kavşak - 分岐点 Taş Mektep - 岩の学校 Açlığa Doymak - 飢えを満たす Kurtuluş Son Durak - 解放の最後の停留所 Kayıp - 失われた Benim Adım Gültepe - 私の名前はギュルテペ Ayrılsak da Beraberiz - 別れても一緒だ Muhteşem Yüzyıl Kösem - 新オスマン帝国キョセム テレビドラマ

 本 風に舞いあがるビニールシート 森絵都作

森絵都 作 6点の短編がおさめられている。 森さんの文章が好きだ。 今回はこの6点の中からほんの題名になっている作品について紹介したい。里佳とエドの夫婦がいる。私たちには耳慣れない国連難民高等弁務官だ。二人は愛し合って職場結婚し、そして別れた。その数か月後エドはアフガンで少女を助けるために亡くなった。 その少女と会った記者との会話からエドの最後を知った。 普通の家族の幸せを求める女性と、難民たちを少しでも助けるのが義務だと思う男との食い違いから彼らは別れたのだが、いまだに女は男を愛していた。 そして男が助けた少女の言葉を聞いて、今まで爆弾も敵の銃撃も受けないところで仕事をしていた女は、男が亡くなったアフガンに生きたいと希求するようになるというお話。 エドの意志が彼の死によって彼女に受け継がれたのだ。 日本で暮らしている私たちにとって、いつも死と隣り合わせの難民の方々を身近に感じることはできない。 でも今でも世界の各地で内戦や戦争やクーデターなどで、恐ろしい場所で生活している方々が存在しているのは確かだ。 スーダンでも内戦で首都ハルツームから避難を余儀なくされた友人のご家族もいらっしゃる。 私たちは何もできないと思い、スルーする中、エドのように、難民を作り出す世界の問題を、自分の問題にしてしまう人たちもいる。 これは少し前読んだイエスの生涯から感じたことだが、 イエス愛の考え方が、エドたちのような方々の中に息づいているのではないだろうか? 本人がイエスを信じているといないにかかわらず、アメリカの地に今まで育ってきた文化の中で、彼が育ったことに関係しているのではないだろうか。 私のようなものには、今ここ爆弾の飛んでこない日本で、衣食住が何とか足りている今の生活に、ただただかんしゃするばかりである。 by anne

ナディル・サルバジャク(Nadir Sarıbacak)ビュルビュル役 (新オスマン帝国外伝 キョセム)

 ナディル・サルバジャク(Nadir Sarıbacak)は、トルコの俳優であり、劇場俳優としても知られています。 生年月日:1977年9月14日 出生地:アンカラ、トルコ 年齢:44歳(2023年現在) 教育とキャリア: ナディル・サルバジャクは、オンセキズ・マルト大学でトルコ語教育を学んだ後、演劇と俳優の分野で自己啓発を図りました。アヴジラル・ベレディイェ・ティヤトロス(Avcılar Belediye Tiyatrosu)で演技をし、その後アカデミ・イスタンブールの演劇学部で教育を受け、バフチェシェヒル大学で高度な演技のマスター教育を受けました。 劇場キャリア: ナディル・サリバジャクは、アヴジラル・ベレディイェ・ティヤトロスやセマヴェル・クムパニャ(Semaver Kumpanya)などの劇団でさまざまな舞台に立っています。 映画とドラマのキャリア: 映画とドラマの分野でも成功したキャリアを持っています。いくつかの有名な映画や制作物に出演しています。以下にいくつか例を挙げます: 「新オスマン帝国外伝 キョセム」ビュルビュル役 「Sarmaşık」 「Kış Uykusu」(冬の眠り) 「Sen Aydınlatırsın Geceyi」(夜を照らすあなた) 「Yozgat Blues」(ヨズガト・ブルース) 「Yük」(荷物) 「İstanbul'un Altınları」(イスタンブールの黄金) 「Gişe Memuru」(窓口係) 「Rapunzel」(ラプンツェル、短編映画) 「Kosmos」(コスモス) 「Uzak İhtimal」(遠い可能性) 受賞歴: ナディル・サルバジャクは、アダナ・アルトゥン・コザ映画祭やイスタンブール映画祭などで最優秀男優賞などを受賞しています。 海外移住: ナディル・サリバジャクは、2015年以降,海外に移住したことが知られています。

本 モーリヤックと遠藤周作の「イエスの生涯」

モーリヤックと遠藤周作のイエスの生涯 私がイエスの生涯に興味を持ち始めたのはつい最近のことだ。 中西美繪シスターのヴェロニカについての文章がきっかけだった。 ヴェロニカはイエスが刑場に引き出されるまでの道中でイエスに唯一寄り添おうとした方だ。 私は彼女が書かれてあるかと思って期待してイエスの生涯の本を読み始めた。 残念ながらモーリヤックには数行ほどあり、遠藤周作にの作品には一言も触れていなかった。 それにしてもなぜイエスの母マリアは イエスを呼び止めなかったのだろうか? ところで、 モーリヤックは イエスから見た世界を語っている。 そのためかイエスに対して敬語が使われていない。 又時にはイエスらしからぬ思いや表現をしている。弟子たちが自分の真意をわからずじまいにいることへのいらだちに表現などがそれである。 そして、捕らえられて刑場までのみじめな描写はイエスから見た視点といえばそれまでだが、私たちにには直視できないほどの無残で残酷な周囲の人々の対応が描かれている。 にもかかわらず、彼のイエスの生涯は忘れられない作品になりそうな予感もある。 それは亡くなられる間際の両サイドの政治犯たちの会話だ。 死刑囚としてして死ぬ直前、一人は「キリストなら自分自身と私たちを救え」と言う。するともう一人が、「この方には何の不善もない。」といい、イエスを信じ、イエスに向かって「主よ(イエスよ)御国に入りなさるとき私を覚えておいてください」といった。 これまでイエスはすべての人に裏切られ、最後まで残った12人の弟子たちにも、まずはユダにそして死刑が確定し捕らわれる時は、11人の弟子たちに裏切られた。 11人はイエスを置いてみな離散した。 そうした中で、イエスを信じるといった隣の十字架にかけられた政治犯に対して、「あなたは私と共に天国におるだろう」と答えた。 弟子ではなく、一緒に処刑される隣の政治犯が天国行の切符を持っているというどんでん返しはなかなか忘れられるものではない。 遠藤周作の「イエスの生涯」では、 彼はみんなの期待し夢見た現実のユダの国でもなければ、病人が健康な体を、空腹の者たちが望むパンを、実際に与える者ではなくただただ神の愛を伝えるため生きたと表現している。 苦渋に満ちた一生は純粋にただ愛のためだったというのだ。 そして、いったんはイエスを見捨てた弱い弟子たちが、彼の死後急に
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それはオスマン帝国外伝から始まった
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