荘子の本がでてきた [内篇の太宗師篇]だいそうしへんからの抜粋
本を整理していたら学生のころ読んでいた荘子が出てきました。懐かしくてもう一度読み直しましたラ、なかなか面白かったのでちょこっと紹介いたします。 荘子 現在残っているのは郭象(かくしょう)という方が編集した33篇のものだけです。 郭象 さんは4世紀の晋の時代の方です。 荘子をつづった荘子という方は 紀元前4世紀後半の戦国時代に生きた方です。 宋の国の蒙(現在の河南省)にうまれました。孟子と同時代の方です。 彼は戦国の世で苦難にある人、どうしようもない運命から逃れようとする人々が懸命に今の状態から抜け出そうとするけれど、結局は苦難に埋もれてしまうしかない希望の見えない人々の立場に立って思索した方です。 日本では老子と荘子を同じ思想というように紹介される場合もありますが、違っている部分もあります。 老子の思想はより政治や処世等現実世界に関心を示しています。 荘子は本来は現実世界での様々なことを乗り越えて、 逍遥遊の世界 (精神的な自由と平安の境地)にたどり着き、その世界で自由に遊びまわっています。 "天と地の正常さにまかせ自然の変化に打ち乗って、終局のない絶対無限の世界に遊ぶもの"と逍遥篇の一節にあるように、彼はこのような存在でした。 ”至人には私心がなく、神人には功績がなく、聖人には名誉がない”(引用)と彼は考えていました。 彼の根本的考え方は 万物斉同 因循主義 にあるといわれます。 33篇の中でその境地がしっかりしているのは内篇の初めの部分です。 内篇は荘子本人の言葉が多く、内篇の一部と外篇と雑篇は荘子本人の言葉かどうかわかりません。 一説によると 荘子の考えを慕うものたちの作品の場合があるとのことです。 内容も内篇の初めの部分とは少し趣が変わって、老子の思想に近づいている感じー現実世界を頭の片隅に置いて物事を見ては考える感じーです。 ですので、内篇だけでも機会がありましたらご一読ください。 内篇は7つの篇から成り立っています。 逍遥篇 万物斉同篇 養生主篇 人間世篇 徳充符篇 太宗師篇だいそうしへん 応帝王篇 [抜粋] 自然の営みを認識し、人間の営みを認識したものは[人知の]最高である。 自然の営みを認識するものは、自然のままに生きていくし、人間の営みを認識するものは、自分の知能で認識したことによって、その知能の及ばないところを補い育てていく